土塁

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土塁のあるお城

小牧山城(愛知県)

小牧山城の感想 小牧山城は織田信長のお城として1563年に築城されました。お城としては1567年に廃城となってしまうのでわずか4年ほどの間しか存在してなかったお城となります。でも、非常に有名な戦いがあり、知っている方も多いお城なのではないかと思います。その戦いが1584年に起こった「小牧・長久手の戦い」になります。この戦いは何が大きな特徴かというと、豊臣秀吉と徳川家康が敵同士になって戦った唯一の戦 […]

足利学校(栃木県)

足利学校の感想 足利学校に行ってきました。足利学校は日本最古の学校で創建は平安時代とも鎌倉時代とも言われています。今でこそ日本の最高学府といえば東京大学ですが、日本歴史全体で見ると長らく1000年くらい足利学校だったんですよね。いぁーすごいですね!!!足利学校は室町時代ころには一時廃れていたとの話もありますが、室町時代の永享11年(1439年)に関東管領の上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在は国宝 […]

花園城(埼玉県)

花園城の感想 花園城は1156年~1159年頃に藤田政行(←元々は猪俣正行と名乗っていて藤田荘に入り藤田氏を名乗った様です)により築城されたとされたいます。そして・・・江戸時代末期に編纂された『新編武蔵風土記考』によりますと!?『花園城』は藤田氏15代が在城したと記されている様です!?(@_@)!?!?すごっ!!!!この藤田氏もなかなかで・・・(o^―^o) 藤田氏は『武蔵七党』のひとつ『猪俣党』 […]

中城(埼玉県)

中城の感想 中城は小川盆地にある先端部に約100m四方に巡らした平山城で、鎌倉時代に増尾郷の豪族で郷内にある猿尾荘を領していた猿尾種直(ましお たねなお)の居館だったと云われていた様です。。。(o^―^o)ニコ南北朝時代初期では斎藤重範(さいとう しげのり)が同地の地頭となって支配したと伝えられています。。。一方、中城は太田道灌ゆかりの城でもあるそうです。 太田道灌が関東管領山内上杉顕定の側近の高 […]

高見城 / 四ツ山城 / 四津山城(埼玉県)

高見城 / 四ツ山城 / 四津山城の感想 高見城 / 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に『高見』『高見在番衆』というのがあったらしく、その名が登場することからこの年頃には築かれていたんじゃないかなぁ~!?!?って云われています(〃艸〃)ムフッ現在の小川町駅(東武東上線?)から約3.5km北方面、比企丘陵(ひききゅうりょう)最北部の丘陵部・四津山(標高197m […]

腰越城(埼玉県)

腰越城の感想 青山城 / 割谷城から約5.4km先に、扇谷上杉氏の家臣だった武蔵松山城の城主、上田氏が青山城と同様に支城として築いたとされているのが『腰越城』です( `ー´)ノ上田直朝の重臣である山田直定が城主をつとめた城で、代々山田氏の居城となっていた様です。目立った戦闘の記録はないものの、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に武蔵松山城と共に落城したんじゃないかと思われます。その後は・・・その […]

青山城 / 割谷城(埼玉県)

青山城 / 割谷城の感想 青山城 / 割谷城は、青山と下里の大字境に位置しており、青山側は『青山城』と呼ばれ、下里側は『割谷城』と呼ばれていた様です。青山城/割谷城は山城自体に大きな仕掛けがある感じではなく、標高265mの山頂に築かれており、山頂の尾根を利用した山城でそれぞれの郭は堀切で防衛されているシンプルな山城のイメージでした。少し離れますが、尾根をたどっていけば小倉城に辿り着くことができ、扇 […]

小倉城(埼玉県)

小倉城の感想 国指定史跡である『比企城館跡郡(菅谷館跡 松山城跡 杉山城跡 小倉城跡)』のひとつである『小倉城』を城攻めしてきました!(⌒∇⌒) 小倉城は関東では珍しい大規模な石垣を有する山城で、しかもその石垣は全国でも稀な『石積み遺構』の石垣になっています。その規模は郭3をコの字型にかこむ最大高約5m総延長120mあまりの大規模な『石積み』が発見されています。また、現在は埋め戻されている様ですが […]

名古屋城/金鯱城(愛知県)

名古屋城の感想 徳川御三家の一つである尾張徳川家のお城として有名なお城、名古屋城です。金のシャチホコのイメージが強い名古屋城ですが、現在天守閣に乗っている金鯱は2代目で初代は江戸時代から昭和まで現存していたのですが、太平洋戦争の空襲で焼けてしまい、戦後2代目金鯱が作られて現在に至ります。ちなみに天守閣も鉄筋コンクリートで作られた再現天守で江戸時代からあるものではありません。天守閣も戦後に再建された […]

佐野城(栃木県)

佐野城の感想 佐野城は佐野氏のお城で、佐野氏は平安時代からずっと唐沢山城を居城にしてきましたが、1602年に平地の丘陵であるこの佐野城を築城し居城を移しました。この唐沢山城から移った理由には本当か定かではありませんが、江戸で大火が起こり、その火事が唐沢山城から見えたとのことで早馬で江戸に馳せ参じたところ、家康から江戸を見下ろす場所に城を建てるなとのお達しが出て佐野城に移ることになったとの逸話があり […]

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