佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城(大分県)
佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城の感想 大分県佐伯市にあり豊後水道を見下ろす山城として築かれた城、『佐伯城』です!!!『佐伯』と書けば『さえき』と読みそうですがこれは誤りで『さえき』ではなく『さいき』と読みます。。。よって、『佐伯城(さいきじょう)』です!!!\(◎o◎)/! 佐伯城の築城は意外と新しく1606年で関ケ原の戦いが終わった後に、1601年に豊後国海部郡佐伯に2万石で入国した […]
佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城の感想 大分県佐伯市にあり豊後水道を見下ろす山城として築かれた城、『佐伯城』です!!!『佐伯』と書けば『さえき』と読みそうですがこれは誤りで『さえき』ではなく『さいき』と読みます。。。よって、『佐伯城(さいきじょう)』です!!!\(◎o◎)/! 佐伯城の築城は意外と新しく1606年で関ケ原の戦いが終わった後に、1601年に豊後国海部郡佐伯に2万石で入国した […]
中村城の感想 中村城は、公家一条氏の流れを組む前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が、土佐の国人衆だった大平氏の支援により土佐国幡多郡中村に下向し土着したのが発端し、初代の一条房家、房冬、房基、兼定、内政の五代に渡り土佐一条氏の居城となった城です。中村城は元々土佐国中村にいた国人の為松氏が築いた城で、一条氏がこの地に流れてくると為松城は一条氏の城となり、為松氏は一条氏の重臣として仕えることとなり […]
朝倉城の感想 すげぇ~前々から行きたかった憧れの山城です( `ー´)ノ『朝倉城』です!!!めちゃくちゃ気合入れて朝倉城の城攻めに向かったのですが・・・・・・・・・・・・・・・ 築城はいつだか定かではありませんが(1521年〜1527年頃かな・・・?)、本山茂宗(清茂)によって築城されたと云われており、本山茂宗は勢力拡大を図り南下し当時岡豊城の城主だった長宗我部兼序(長宗我部国親の父親、元親の祖父) […]
潮江城の感想 潮江は『しおえ』ではなく『うしおえ』と呼びます。よってこの城は潮江(うしおえ)城と云います(^▽^)/ 潮江城の築城はわかっていません。南北朝時代には南朝方の大高坂山城(現在の高知城)を支援するために南朝方の諸将が潮江山に陣取って北朝方と対峙したとされているので、砦などがあったのかもしれません。戦後期時代に入ると潮江城の城主に『片岡氏』や『長氏』の名前が見えますが、『長氏』は本山氏の […]
岡豊城の感想 さてさて・・・岡豊城です!!!云わずと知れた長宗我部元親の居城!岡豊城です!!!(*`艸´)ウシシシ♪『岡豊=おこう』と呼びます。(^▽^)/ 岡豊(おこう)城は、現在の南国市街の北西にある香長平野の北西、国道32号線沿いの国分川を天然の堀とした北側にある標高97mの『岡豊山』に築かれた山城です。岡豊城は長宗我部能俊(よしとし)が鎌倉時代初期に信濃から土佐国に移住し築いた城と云われて […]
大津天竺城 / 大津城 / 天竺城 / 大津御所の感想 大津天竺城は土佐守護の細川氏の流れを組むとか家臣とかと云われている天竺氏が居城とした城で覇を唱えていましたが、『応仁の乱』をきっかけに細川氏が土佐国から離れると(土佐国から阿波国、畿内へ進出したのかな???)天竺氏はその後ろ盾を失い勢力は縮小していったと思われます。1547年、当時の城主だった天竺孫十郎花氏は隣接(直線距離で約3~4㎞)の岡豊 […]
香宗城の感想 香宗(こうそ)城です!けっこう~期待して香宗城に訪れてみたのですが・・・・何???すげぇちっちぇ!(´;ω;`)ウゥゥ 香宗城は土佐の名門 香宗我部氏の居城で、香宗我部氏は土佐七雄の一家とされていた勢力のある一族だったとされています。香宗我部氏のスタートは1193年頃、一条忠頼の家臣だった中原秋家が土佐国香美郡宗我の地頭に命じられ、主君だった一条忠頼が暗殺されるとその子の秋通が養子と […]
姫倉城の感想 昔この辺は大忍荘と呼ばれ熊野新宮の領地であったが、戦国時代は安芸氏の勢力下にはいった朝倉右京の居城として姫倉城は存在していたみたいですね。。。築城はいつだかわからないみたいです(o^―^o) 姫倉城は、夜須川右岸に南北に連なる丘陵が土佐湾に突き出した先端部に位置する月見山山頂部に築かれている山城で、月見山山頂部を二段に削平して一の曲輪と二の曲輪とし、一の曲輪には低くなっているが囲繞す […]
白地城の感想 白地城は四国の中央部の山間地に立地し、西の境目峠を越えると伊予国に・・・北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国に・・・東の吉野川を下っていくと徳島平野が広がる阿波国に・・・そして南の大歩危小歩危という難所を越えると土佐国に行ける、四国の中心地であることがよくわかります。調べてみると、白地城の大西氏は細川の流れでも小笠原(三好)の流れでもなく、白地の地の荘官だった近藤京帝が白地城を構え大西氏を名 […]
重清城の感想 重清城は1399年に小笠原長親によって築城された城と云われており、1577年に重清城の城主だった小笠原長政は、約25km離れた白地城の大西覚養の弟で、長宗我部元親に人質として出されていた大西頼包と中鳥城主の久米刑馬(川島城の川島氏と関係が深い一族とも云われているみたいです)に二人によって殺害され、一度、長宗我部に降り弟を人質に出したが三好氏に復帰し長宗我部氏を裏切ったため、長宗我部元 […]