- 2026.05.17
- 土塁, 入場料無料, 山城(登頂難易度「易」),
望月城(長野県)
望月城の感想 望月城は平安時代から鎌倉時代ごろに滋野氏の支流にあたる望月氏によって築城されたようです。戦国時代に入り、武田信玄による信濃方面への侵攻により1543年に落城されたとのことです。その後、望月氏は武田家の家臣となり、望月城は武田氏の佐久支配の拠点として改修されたとのことです。武田氏滅亡後はこの記事の前に書いた伴野城と同様に1582年、天正壬午の乱の時に徳川方の依田信蕃(よだのぶしげ)に攻 […]
望月城の感想 望月城は平安時代から鎌倉時代ごろに滋野氏の支流にあたる望月氏によって築城されたようです。戦国時代に入り、武田信玄による信濃方面への侵攻により1543年に落城されたとのことです。その後、望月氏は武田家の家臣となり、望月城は武田氏の佐久支配の拠点として改修されたとのことです。武田氏滅亡後はこの記事の前に書いた伴野城と同様に1582年、天正壬午の乱の時に徳川方の依田信蕃(よだのぶしげ)に攻 […]
伴野城/野沢城の感想 伴野城(とものじょう)は別名野田城とも呼ばれており、室町時代ころに拡張されてその時代に野沢城と呼ばれていたようです。伴野城は鎌倉時代初期、小笠原長清の六男である「伴野時長」によって築かれたとされており、現在残っているのは野沢城時代の本丸跡とのことです。伴野城は室町・戦国時代に城郭(二の丸・三の丸等)へと拡張され周囲に濠と土居を巡らせ、南側に正門、西南の高台に物見櫓があったと説 […]
西宮城の感想 西宮城は『西宮古墳』を利用した城だったと思われ、ちょうど嶋氏の居城だった椿井城と松永久秀の信貴山城の間の盆地に築かれた城です。椿井城もそうなのですが筒井氏の家臣だった嶋氏の城だったとされ、松永久秀が椿井城を奪った際にこの西宮城も奪われ支配されていたんじゃないかと思います。また、北側には下垣内(しもがいと)城が築かれており、西宮城と下垣内城の間には大きな谷間(人工なのだろうかぁぁぁ?) […]
松永屋敷跡の感想 信貴山城からの続きで・・・信貴山城から徒歩5~7分ぐらいの所に『松永屋敷跡』がありました!!!\(◎o◎)/!あまり調べていなくて現地で偶然気が付き『え???屋敷ってだいたい山城の麓に造っているケースが多く、戦になるとみんなで山城に登って籠るんじゃないの?』って勝手に思っていましたの何だろうあぁ???って思って向かってみました。信貴山城の土塁を感じながら下っていくとありました♪ […]
信貴山城 / 信貴城 / 磯城の感想 信貴山(しぎさん)城は戦国の梟雄 松永久秀の居城として有名であり、織田信長の息子 信忠を総大将とした大軍に攻められ信貴山城で日本初の自爆(爆死)した武将とされていますが・・・たぶんそんなことはないでしょう!((´∀`))ケラケラ(けど、私はそっちの方が好きなので松永久秀=爆死にしてあります♪)そんなエピソードなど・・・大和国や筒井氏からすれば悪魔の様な武将がい […]
湯浅城の感想 湯浅城は1143年頃に紀伊国佐田郡に青木山に鎌倉時代の武将 湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ)によって築かれた城と云われております。湯浅宗重は平清盛に平治の乱の一報を伝え共に上洛したことから有力武将のひとりとされ、その後、平重盛の子 平忠房と共に湯浅城に籠城し源氏と戦いますが、源頼朝に降伏し1186年には所領も安堵されたため紀の川流域の辺まで勢力を拡大し、『湯浅党』と呼ばれていたみたいで […]
八幡山城 / 吉田城の感想 1346年頃(かなり古いですねぇ~)に旧矢田荘領主の吉田頼秀によって築かれた山城と云われている様です。吉田頼秀は近隣の土生城主逸見氏や山崎城主川上氏と縁戚を結び、連携をとってこの地を納めていたものと思います。三男の吉田金毘羅丸(すげぇ~激しい名前ですね!?(;゚Д゚))の居城となると、亀山城主の湯川(湯河)氏が日高平野に侵攻してきたため、吉田氏らは敗れ・・・没落したと云 […]
入山城の感想 紀伊国にある入川城は、西側に西川が流れ堀として東側には亀山城を備える両城で連携した山城だと思われます。丘陵中央部は標高76mの『城山』部分と南端の標高は34mの『本丸』部分の二か所を備えた山城です。築城は定かではありませんが、三好義長が1522年に阿波国から紀伊国に侵攻した際に畠山氏と戦った際に築かれた山城だと云われているみたいですね。その後は、一度敗れた畠山氏が地元の豪族湯川(湯河 […]
村岡城/高谷砦の感想 村岡城は現在村岡城址公園になっており、住宅街にある普通の子供が遊んだりできる公園になっています。遺構らしきものはほとんどなく村岡城の説明板などで城跡だったのがわかる程度です。公園内にある説明を読むと、10世紀に桓武平氏の平良文(村岡五郎良文)がこの辺りに荘園を開いたと書かれていてこの城跡だったかまではわからないですが、この辺りに館などが築かれていたものと推測されるみたいです。 […]
放生津城の感想 放生津城(ほうじょうづじょう)と読みます。放生津城は神保氏の居城として有名でもありますが、個人的には足利義稙(あしかがよしたね)/義材(よしき)の逃げてきたお城。身を寄せていた場所としての方が面白く興味がある人です。ここの説明版では義材(よしき)と書かれていますが、この記事では義稙(よしたね)で書かせていただきます。義稙は室町幕府の第10代将軍ですが、幼少期に家督争いの都合で父と共 […]