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金ヶ崎城(福井県)

金ヶ崎城の感想 金ヶ崎城と云えば!!!戦国時代に織田信長が越前国の朝倉義景を攻めの際に近江国の浅井長政に裏切られます。織田信長の妹のお市の方は浅井・朝倉両軍に挟まれ窮地に陥ったことを知らせるため両方を紐で結んだ袋に小豆(織田家の家紋)を入れ陣中に届けます。受け取った織田信長はこの様子が袋の鼠の意を表しているということに気付き、一目散に軍をすてて撤退し(近江国朽木越え)京まで戻り着きます。殿(しんが […]

伊作城/亀丸城(鹿児島県)

伊作城/亀丸城の感想 伊作城(いざくじょう)と読みます。伊作城は別名中山城とも呼ばれるみたいですが、伊作城は各曲輪を「城」と呼ぶ山城で、本丸を亀丸城、他にも御仮屋城・山之城・蔵之城・東之城・西之城・花見城などと呼ばれる曲輪があります。山城としての規模もかなりのものですが、曲輪一つ一つが独立しているお城くらいに堀切が深く広いのでこのような呼び方にしたのかな?なんて思ったりします。 伊作城の歴史ですが […]

建昌城/瓜生野城(鹿児島県)

建昌城/瓜生野城の感想 建昌城(けんしょうじょう)もしくは瓜生野城(うりうのじょう)と読みます。歴史的には最初、瓜生野城が築城されてその後、江戸時代に建昌城という名前で現れたため「建昌城」と呼ばれているみたいです。画像の方で説明しますが、さらに建昌城の曲輪の一部は「胡麻ヶ城(ごまがじょう)」と呼ばれておりこの胡麻ヶ城と呼ばれる場所が「瓜生野城」があった場所とされているようです。うーん。解りづらい& […]

砕導山城(福井県)

砕導山城の感想 『砕導山⇒はどうやま』と読むのかなって思っていたら『砕導山⇒さいちやま』って読むんですね!日本語って難しい!?((+_+)) 砕導山城(さいちやま城)は逸見昌経によって築かれた城です。これまた難しいなぁ~って思うのが、『逸見⇒いつみ』ではなく『逸見⇒へみ・へんみ』と呼ぶそうです!?これまた((+_+))!!!逸見氏を少し深堀すると、ルーツは甲斐源氏の流れを組むみたいで、甲斐の武田・ […]

丹後中山城(京都府)

丹後中山城の感想 冒頭に言っておきます・・・丹後中山城攻め断念です!!!!( `ー´)ノ 丹後中山城は丹後国守護大名の一色氏の家臣 沼田幸兵衛の居城だったとされ、築城ははっきりされていません・・・1579年に織田軍の細川藤孝・明智光秀軍が侵攻してくると、丹後国守護大名の一色義道は居城の建部山城を支えきれずにこの中山城に退いたとされています。その際に中山城主の沼田幸兵衛が細川氏に内通して逃げ場を失っ […]

宮津城(京都府)

宮津城の感想 宮津城にはてこずりました・・・(ノД`)・゜・。細川(当時は長岡姓)藤孝(名将ですねぇ~♪)が築城した宮津城だったので、めちゃめちゃ興味があり城攻めしてみましたが・・・ほぼほぼ城郭は住宅地として再開発され跡形も無くなっていました・・・(´;ω;`)ウッ…  それでも宮津城の形跡を追い宮津市の市内をあっちに行ったりこっちに行ったり右往左往です!丹後国守護大名の一色氏を滅ぼした細川藤孝は […]

弓木城(京都府)

弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]

鳥取城 / 久松城 / 久松山城(鳥取城)

鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]

蒲生城/竜ヶ城(鹿児島県)

蒲生城の感想 蒲生城(かもうじょう)もしくは別名で竜ヶ城(りゅうがじょう)と呼びます。鹿児島県の姶良市にあるお城で、なんと築城は1123年で平安時代に築城されたお城になります。蒲生城は蒲生氏のお城で、初代蒲生氏の蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が築城したと言われております。舜清は蒲生・吉田の惣領職として京都からやってきた人物のようです。その後、蒲生城は蒲生氏の居城として戦国時代の155 […]

淡河城(兵庫県)

淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]

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