鳥取城 / 久松城 / 久松山城(鳥取城)
鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]
鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]
鷹尾山城の感想 鷹尾山城は三木城鷹尾山城とも言われており、三木城の南側を守る支城だったようです。別所長治の時代に鷹尾山城には別所長治の弟、別所友之が入っていましたが、1580年、秀吉軍により落城してしまいます。別所友之は兄の別所長治同様に自刃されたようです。現在の鷹尾山城のあたりは、市役所と勤労者体育センターができてしまっており、土塁や堀などが一部残っているのみとなっております。三木城で出会った地 […]
三木城の感想 三木城に訪問してきました!三木城は釜山城や別所城とも呼ばれていたみたいです。三木城といえば、別所長治(べっしょながはる)が羽柴秀吉から離反して起こした三木合戦が有名ですね。でも、その前に別所氏が東播磨で力を付けていくきっかけを作ったのが別所則治(べっしょ のりはる)です。この方がいたから別所氏は東播磨八郡の守護代にまでなり別所氏を名門にしたと言えます。三木城を築城したのも別所則治にな […]
洲本城/三熊城の感想 洲本城(すもとじょう)に行ってきました!洲本城は、1526年に安宅(あたぎ)氏によって築かれたとされています。この安宅氏ですが、三好氏の水軍として活躍した氏族になります。発祥は熊野水軍の一員とされ、紀伊国安宅荘が発祥とされ、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町日置川地区にあたるようです。安宅氏は阿波小笠原氏の流れの家系で阿波小笠原氏の小笠原頼春が阿波国から紀伊安宅荘に移り住んだことで […]
(羽柴)秀吉本陣跡の感想 三木合戦の際に秀吉が本陣として使用した陣跡になります。平井山ノ上付城跡(ひらいやまのうえつけじろあと)とも呼ばれているそうです。三木合戦は秀吉を離反した三木城城主の別所長治を討伐するための戦いになります。案内板には「天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされている。8月に羽柴秀吉が入ると、1 […]
置塩城の感想 置塩城と書いて「おしおじょう」もしくは「おじおじょう」と読みます。置塩城は赤松氏が居城としたお城で、赤松 政則(あかまつ まさのり)が1469年に築城したお城になります。その後、100年、5代が居城にしたとのことです。赤松氏はもともと名門なのですが、1441年に赤松満祐が室町幕府の第6代将軍・足利義教を暗殺(嘉吉の乱)。ここで踏ん張れれば幕府を討ち、事実上の天下統一?くらいで教科書に […]
姫路城の感想 ある意味有名すぎているかもでは避け続けてきたお城なのですが、ついに姫路城へ行ってきました。厳密にはいるかも始める前には行ってますが。。姫路城といえば、国宝であり、世界遺産でもあり、現存天守を持つお城、現存12天守のうちの一つでもあります。世界的にみても日本で一番有名なお城と言っても過言ではないお城なのでこのサイトで取り扱わなくても調べればいくらでも情報が出てくるので取り扱ってきません […]
福岡城の感想 最も有名な城のひとつですよね! 九州を代表する城と云ってもいいでしょう~♪福岡城です(`・ω・´)ゞ 別名は舞鶴城・石城(今でも舞鶴公園・大濠公園(おおほりこうえん)と呼ばれています)ともいいますが、ここは福岡城一本で進めたいと思います。(o^―^o)福岡城はよく黒田官兵衛の城と云われますが築城は黒田官兵衛の息子、黒田長政が築城した城で長政渾身の名城だと思います。 黒田長政が関ケ原の […]
大高城の感想 『大高城』は現在の愛知県名古屋市緑区大高町にある比高約20mの丘陵上に立地する小高い丘にある平山城です。。。正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代には尾張の守護も兼ねた土岐一族の池田頼忠が居城したという記述がある様に、大高城は古くから城(砦?)として機能していた可能性がありますね。当時、大高城は尾張国知多郡大高村にあった城(砦?)で、織田氏の家臣だった鳴海城の城主山口教継は織田信長に […]
鷲津砦の感想 鷲津(わしづ)砦は丸根(まるね)砦と同様、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間で今川軍の連絡網を断つために築かれた砦です!!!鷲津砦は西方へ舌状に延びた丘陵の頂部付近に位置し、大高城跡からは北東に約700mの場所に丸根砦跡からは北北西に約600mの距離あるため、大高城を抑えるため、また、鳴海城との連携を遮断するために築かれた砦で間違いないですね!(はっきり言えば丸根 […]