村岡城/高谷砦の感想 村岡城は現在村岡城址公園になっており、住宅街にある普通の子供が遊んだりできる公園になっています。遺構らしきものはほとんどなく村岡城の説明板などで城跡だったのがわかる程度です。公園内にある説明を読むと、10世紀に桓武平氏の平良文(村岡五郎良文)がこの辺りに荘園を開いたと書かれていてこの城跡だったかまではわからないですが、この辺りに館などが築かれていたものと推測されるみたいです。 […]
守山城の感想 松倉城、増山城、とこの守山城が越中三大山城と呼ばれているそうです。守山城は「もりやまじょう」と読みます。頂上まで舗装されていて車で登れてしまうので訪問するのは非常に簡単な山城なので登山が苦手な方にもおすすめです。守山城はこの前に書いた放生津城の詰城だったとされているお城で、放生津城の神保氏と長尾為景が戦った際には神保氏はこの守山城を拠点に戦ったとされているようです。ちなみに長尾為景は […]
放生津城の感想 放生津城(ほうじょうづじょう)と読みます。放生津城は神保氏の居城として有名でもありますが、個人的には足利義稙(あしかがよしたね)/義材(よしき)の逃げてきたお城。身を寄せていた場所としての方が面白く興味がある人です。ここの説明版では義材(よしき)と書かれていますが、この記事では義稙(よしたね)で書かせていただきます。義稙は室町幕府の第10代将軍ですが、幼少期に家督争いの都合で父と共 […]
升方城/舛方城の感想 升方城は椎名氏が松倉城の支城として築城したお城とされています。椎名氏は越中の守護代として室町時代あたりに来たと思われます。同じ時代に守護代として神保氏も越中に来ており、戦国時代にもなると両者の間で越中の領国支配で争いが加熱して行きます。武田や一向宗を味方につけた神保氏と上杉を味方に付けた椎名氏で争いますが、神保氏の勢力が弱まると椎名氏は武田氏を味方につけて上杉に反旗を翻します […]
太田本郷城の感想 太田本郷城は今泉城の付城として河田長親が築城したとされているお城とのことです。織田軍に備えてかと思いましたが、1573年に一向一揆勢に対する向城として築城と書かれているので、この近くに一向一揆の城か砦のようなものがあったのではないかと思われますが、具体的にどこに対しての向城なのかはよくわからないみたいですね。 現在の太田本郷城ですがm、遺構らしきものは見ることはできず石碑と説明板 […]
天神山城の感想 天神山城は織田軍と上杉軍が戦った際に上杉景勝が陣として使用した場所とされています。戦いの戦地となったのはこの天神山城の麓にある魚津城で1582年に魚津城の戦いが起こり、織田軍に包囲された魚津城を救援するために天神山城に陣を敷きました。しかし、さすがに柴田勝家、佐々成政、前田利家と織田軍でも有力な武将たちに包囲されたお城を上杉景勝も助けることができず魚津城は落城。ただ落城が本能寺の変 […]
新庄城の感想 富山市の新庄城へ行って来ました!現在は富山市立新庄小学校になっています。小学校の体育館を建設する際に発掘調査をしたとのことですが、その後は埋め戻されて遺構らしきものを確認することはほぼできないです。 学校入り口の脇に説明板があります。説明板と富山市のHPの説明に違いがあり、HPによると新庄城は天文年間(1532〜1555年)に越中守護代神保氏の家臣、三輪飛騨守(みわひだのかみ)が築城 […]
栃尾城の感想 謙信ゆかりの地、栃尾城へ行って来ました。謙信は春日山城で生まれた跡、1544年、14歳ごろにここ栃尾城の城主になります。そして、周辺の領主たちが反旗を翻した「栃尾城の戦い」で初陣を飾ります。栃尾城の戦いの簡単な経緯ですが、もともと、国人領主の傍若無人な振る舞いが目に余るので栃尾城に謙信が送り込まれるのですが、周辺の領主(長尾俊景や黒田秀忠)などは若造なら叩き潰せると思って栃尾城に攻め […]
坂戸城の感想 坂戸城に行って来ました!なかなか麓からの比高があるので大変そうだなとちょっと躊躇っていたのですが熊対策もした上で行って来ました。登山としても人気の山なので休日はけっこうな人とすれ違いました。登山としても人気あるんですね。ちなみに、行かれる際にナビに坂戸城と入れると坂戸城という宿に到着したりするのでお気をつけください。坂戸城跡で検索すると辿り着けます。私は宿に誘導されてしまいました笑 […]
亀山城 / 丸山城の感想 亀山城は道湯川(今の和歌山県田辺市)から日高地域(現在の和歌山県御坊市湯川町)へ進出した湯河光春が1348年に築いた城だと云われています。この湯河(湯川)氏がなかなか面白く家紋は『割菱』であることから・・・たぶん、気のまわる方ならわかると思いますが、元々はあの甲斐源氏の武田氏が祖となり、たぶんですが何かしら罪を犯し紀伊(和歌山)国の熊野に配流(まぁ~簡単に言えば島流し的な […]