曲輪

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岩槻城(埼玉県)

岩槻城の感想 埼玉県さいたま市岩槻区にあるお城、岩槻城へ行ってきました。岩槻城は岩槻藩のお城で関東の平野部で比較的多い沼地を堀として利用した平城です。非常に広大な面積が残っており、ほとんどは公園や市民会館など現代の施設になってしまっております。普通に家族連れで遊びに来ても楽しめる公演ですが、遺構も多く残っており城跡としても見どころの多い岩槻城です。岩槻城の歴史は、室町時代の末期に上杉持朝(扇谷上杉 […]

佐和山城(滋賀県)

佐和山城の感想 石田三成のお城、佐和山城へ行ってきました。ただ、訪問した時が非常に天気が悪かったためなのか、駐車場が閉鎖されており車を停めることができず登頂することができませんでした。下から眺めることしかできなかったのが残念です。関ヶ原の天下分け目の戦いで徳川家康と対峙した武将のお城としては今の状況は少し寂しい感じですが、今でも遺構など保存してくれていることに感謝ですね。築城は近江の守護だった佐々 […]

伊王野城(栃木県)

伊王野城の感想 栃木県那須町にある山城、伊王野城です。城跡の下の方は花などが植えられている公園として整備されており、上の方は当時の曲輪をそのまま残した城跡になってます。訪問する時期にもよるかもしれませんが、私が訪問した時には猪らしきもの(距離が遠く違うかもしれないです)と蛇を見かけましたので行かれる方は気をつけて下さい。事前情報があったわけではなく、ただ那須に旅行に来て国道294号線を走っていたら […]

水戸城(茨城県)

水戸城の感想 水戸城といえば水戸黄門のイメージが強いですね。私もその一人です。徳川御三家の水戸徳川家でしかも江戸時代に築城されたお城だろうと勝手に思っていたのですが、実は平安時代末期から鎌倉時代にかけての築城ということでだいぶ古くからあるお城のようです。 現在は文教地区となっており、ほとんどの遺構が高校か中学校、小学校に幼稚園などになっております。お城に学校がある感じですね。たぶん観光目的の集客も […]

笠間城(茨城県)

笠間城の感想 茨城県笠間市(かさまし)にある笠間城へ行ってきました。ここは鎌倉時代に笠間氏が築城したとされるお城で、笠間氏はこの地で18代まで領主として納めていたということです。宇都宮氏(笠間氏の本家)に滅ぼされて笠間氏は滅亡したとのことです。その後、宇都宮市、蒲生氏と城主を変えながら廃城令の明治までお城としては残りました。 かなり山上にあり、また下は草や土、階段も滑りやすいのである程度登山を考慮 […]

関宿城(千葉県)

関宿城(せきやどじょう)の感想 関宿城は関東以外もしくは千葉、茨城あたりの境に住んでいない方には聞いたことも無いお城かも知れません。でも、このお城、とても重要な位置に築城されており、築城は簗田氏(やなだし)と言われてますが、その後、北条氏の城となっても重要なお城とされ、小田原征伐以降は徳川家系の城となりますが、家康も重要と判断し家康の弟、松平康元を城主として送り込みます。そして明治の廃城令まで使用 […]

伊賀上野城(三重県)

伊賀上野城の感想 『伊賀上野城』です。伊賀上野城と言えば藤堂高虎(築城の名手)を思い出すと思いますが、元々は豊臣秀吉の命で大和国から国替えされた筒井定次が伊賀国に入国しこの地に築城を始めたとか?????今の石垣や縄張り石垣などは藤堂高虎の時代になって築かれたものなんでしょうね。 徳川家康の伊賀越えにあった通り、こきは機内と伊勢を抜ける最短ルートだったのでかなり重要な位置づけだったんでしょうね。豊臣 […]

大阪城(大阪府)

大阪城の感想 泣く子も黙る『大阪城』です。今は近代的になっていますが、今確認できるのは本丸の中の本丸!笑笑 ご存じの方はたくさんいらっしゃると思いますが、当時の『淀川』と『大和川』を天然の堀として総構え(町も取り込んだ要塞)の作りとして、堅固中の堅固のお城だったみたいですね。大阪城の主は豊臣秀吉!彼の英知が詰まったお城だと思います。石垣のスケールは半端なく凄くてまさに権力の象徴ですね。淀川と大和川 […]

逆井城(茨城県)

逆井城の感想 茨城県坂東市にある逆井城(さかさいじょう)に行ってきました。遺構が綺麗に整備されておりとても勉強になるお城の一つです。元々は逆井氏が納めていたところのようですが、1536年に北条氏に攻められ落城。その後は豊臣秀吉に北条氏が滅ぼされるまで北条氏の北関東を守る重要なお城であったようです。茨城県というとイメージ的には佐竹氏か結城氏どちらかのお城なのかななんて思って訪問しましたが違ってました […]

米子城(鳥取県)

米子城の感想 前から一度足を運んでみたかったお城です。 『米子城』です(*`艸´)ウシシシ毛利の一族、吉川広家さんが築城したお城です。 吉川広家さんは毛利元就の次男吉川元春の三男坊で、幼き頃は『うつけ』として周りからは厳しい評価をされていたようです。父の元春と長男の元長が死去すると、吉川家を継いで当主となり武闘派としてならし豊臣秀吉からも高い評価を得ることとなります。 当時の毛利家(毛利輝元)は拡 […]

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