九戸城(岩手県)

九戸城の感想

念願が叶いました~♪ 九戸城です(((o(*゚▽゚*)o)))
南部氏を語る上では、北の津軽氏そして南の九戸氏を語らなければならず、特に九戸政実(くのへまさざね)は、南部信直に対し最後の最後まで南部氏の主と認めず反抗を続け、南部信直への反抗から豊臣政権を巻き込んだ反抗となる『九戸政実の乱』へ大きく発展し、豊臣秀吉の天下統一国内最後の戦として九戸城は名を残します。

九戸氏は南部宗家と同じ血筋で、南部光行の六男である南部行連(ゆきつら)が分家しめ陸奥国九戸郡伊保内(現在の岩手県九戸村)を領したころから南部から九戸に名を変えたと言われています。

九戸政実の代になると宗家である南部(三戸)晴政の要請に応え安東氏から鹿角郡を奪い返したり、斯波氏侵攻の際には石川高信の支援を行うなど九戸氏の勢力拡大につなげていったみたいです。

南部氏二十四代目南部(三戸)晴政には男子がなかったため、長女を南部(田子)信直に嫁がせ婿養子とし後継者として考えていた様で、その一方、南部家で存在感の大きな九戸氏にも次女を九戸政実の弟九戸実親にも嫁がせていました。信直に嫁いでいた長女が亡くなり晴政に男子が生まれると、信直を三戸城から追い出し後継の疑いを掛けて、九戸政実や七戸氏などと組み南部信直や南長良義、北信愛らと敵対するようになります。南部晴政が亡くなり成人した晴継が二十五代目の南部宗家を継ぎますが、晴政の葬儀終了後に暗殺され宗家の座が空白になってしまいます。
南部(田子)信直はこれを機に三戸城に乗り込み南部宗家を継ぎますが、晴政の次女と結婚している弟の九戸実親が南部宗家を継ぐのに相応しいと、九戸政実は南部信直に徹底的に抗議!反抗!をします!
九戸政実と南部信直の確執はここから滅びるまで始まるってことです~

九戸政実はその後自身が南部家の当主であると公然と自称するようになります。このような政実の姿勢は1590年(天正18年)豊臣秀吉の奥州仕置き後も態度・姿勢に変化はなくついには1591年(天正19年)1月に南部氏の正月参賀を拒絶し、同年3月にこの九戸城に5,000人の兵力をもって挙兵します。

南部一族の中でも最強・精鋭部隊だった九戸氏の挙兵に南部信直は自力で鎮圧することが出来ず、豊臣秀吉に使者を送り助けを求め九戸討伐を嘆願した。
秀吉は豊臣秀次を総大将に蒲生氏郷・浅野長政・石田三成などを主力として送り込み、途中、小野寺義道・戸沢政盛・秋田実季・大浦為信などを加え九戸討伐軍は6万を上回る軍となります。

すごく興味深いのが、この『九戸政実の乱』に大浦為信が参陣していることです(^▽^)/
この陣において南部信直・大浦為信、そして包囲した城には八戸政実・・・この三人の心境はどんなものだったのかすごく興味がわきますし興奮しますね!((´∀`*))

同年の9月に討伐軍は九戸氏領内の攻撃を開始!2日後には九戸城を包囲し攻撃しますが九戸城側も善戦し押し返します。

九戸討伐軍は相当焦ったと思います(o^―^o)ニコ 九戸城が奥州の田舎城ぐらいにしか思っていなかったと思いますし、こんな大規模の山城だとは認識していなかったとも思います。また、後数か月持ちこたえれば『冬将軍=雪』の城になるため、そうなってしまったら敗北は必須だったことは容易に想像がつきますもんね~(〃艸〃)ムフッ

九戸討伐軍は作戦を変更し調略を行い和議による開城に成功します。
たぶん(これは俺の勝手な妄想ですが)、浅野長政あたりが適当な好条件を出して九戸政実たちをだましたんじゃないかと思います。勿論、騙すことは豊臣秀次も蒲生氏郷も了承済みだったのではないでしょうか?
開城した九戸政実・実親兄弟は縄を掛けられ秀次の陣に連れていかれ斬首。
助けるはずだった一族や立て籠もった農民たちは全員見せしめのために皆殺し・撫で切り・焼き殺されたんだと思います。

実際に九戸城に行ってみてその壮大さ!堅固さ!九戸政実の魂が刷り込まれている感に本当に圧倒される山城です!この山城なら天下を相手にしてやるぜ!!!って思わせれる城であったんではないかと、九戸城に行ってみてつくづく感じることが出来ました。

九戸城画像ギャラリー

今回は大手門あたりから城攻めを開始しました♪

二ノ丸大手です。二ノ丸自体がかなりの規模!これなら十分に兵や食力、兵馬も蓄えますね。

二ノ丸から本丸方面を眺めると大きな空堀や本丸の隅櫓などが存在しています。

草や土に埋もれていますが石垣?かぁぁぁ???

九戸城の全体感がわかる模型が置いてありました!
これはめちゃくちゃありがたい~♪ よくよく城の全体感!スケールがわかりますね(^▽^)/

広大な二ノ丸を攻め続けます!

本丸に石垣が残っていました(〃艸〃)ムフッ

すげぇぇぇ~ため息が出ますなぁぁぁ~

本丸の虎口に突入します♪

くね!って曲がって敵に侵入を防ぎます!

本丸跡です

本丸から城下の風景。木が生い茂ってしまい城下があまり見えませんね(´;ω;`)ウゥゥ

建物・館あとかな?

本丸追手門 くぅぅぅぅぅぅ~この感じめちゃくちゃいい!!!

二ノ丸搦手~石沢館~若狭館

九戸政実の乱で殺された方々の供養塔がありました。

この後はいったん九戸城を出て、今は住宅地になっている三ノ丸側にまわってみました!
ここにはガイダンス(ガイドハウス)がありますが、ここからの九戸城が半端なく凄かったです!

三ノ丸側からの九戸城です!わかりますか?この凄さ!(〃艸〃)ムフッ

攻めます!空堀を乗り切るとそこにはとてつもない絶壁!土の壁が立ちはだかっています!
山城の醍醐味!土の城の魅力爆発の土の壁です~!これは大軍でも突破するのは難しいですよ!
九戸城~最高♪♪♪(〃艸〃)ムフッ

九戸城土塁(動画)

【動画】九戸城の最大の魅力!鉄壁の土の壁をご覧ください!

本当に日本屈指!奥州No1の山城『九戸城』だと個人的には思います。
九戸城を城攻めできて、あらためて日本の文化!城!が大好きになりました~♪

九戸城情報

築 城1492年〜1501年の間
城 主九戸氏、南部氏
住 所岩手県二戸市福岡城ノ内
種 別平山城
廃 城1636年
特 徴国指定史跡
続日本100名城※族日本100名城スタンプは「九戸城ガイドハウス(建物内)二戸市福岡字城ノ内3-3(九戸城エントランス広場内)」もしくは「二戸市埋蔵文化財センター(受付)二戸市福岡字八幡下11-1」にて押せます。
入場料無料
営業時間九戸城ガイドハウス 10:00〜15:00 (4月中旬~11月 ※期間中は原則毎日開館しています。)
二戸市埋蔵文化財センター 9:00〜17:00 (入館料)一般 50円  小中学生 20円
休館日:月曜日、祝日の翌日(土・日は除く)、12月29日~1月3日
駐車場有(無料)

九戸城へのアクセス

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