馬ヶ岳城(福岡県)
馬ヶ岳城の感想 個人的に・・・絶対に攻め落としたかった山城です( `ー´)ノ『馬ヶ岳城(うまがたけじょう)』ですわ!!!!何故かと云えば、俺の大好きな黒田官兵衛が九州征伐後、豊臣秀吉から豊前国八郡のうち六郡(ただし宇佐郡の一部を除く)12万5000石を領地として与えられ入国した際に、豊後国最初に入城したのがこの馬ヶ岳城でした!!!(⌒∇⌒)黒田官兵衛は、当初、馬ヶ岳城を拠点としましたが短期間だった […]
馬ヶ岳城の感想 個人的に・・・絶対に攻め落としたかった山城です( `ー´)ノ『馬ヶ岳城(うまがたけじょう)』ですわ!!!!何故かと云えば、俺の大好きな黒田官兵衛が九州征伐後、豊臣秀吉から豊前国八郡のうち六郡(ただし宇佐郡の一部を除く)12万5000石を領地として与えられ入国した際に、豊後国最初に入城したのがこの馬ヶ岳城でした!!!(⌒∇⌒)黒田官兵衛は、当初、馬ヶ岳城を拠点としましたが短期間だった […]
日出城の感想 日出城は『ひでじょう』と書いて『ひじじょう』と読みます(^▽^)/元々は、豊後国を大友氏が支配をしていた頃は大神氏の城でしたが、島津軍が侵攻し火を放たれ落城したとも云われています。大友義統が改易されると豊臣氏の家臣が豊後国にも入国し、この日出城一帯を毛利重政(元々の名前は森氏で毛利輝元より『毛利氏』を名乗ることを許され(豊臣家臣なのに?笑)毛利氏を名乗っています。佐伯城の城主毛利高政 […]
黒田如水本陣跡の感想 東側に海があり西側の実相寺山に布陣して約2.2km下った石垣原古戦場へ殺到する中、北側に布陣していたのがこの『黒田如水本陣跡』だと思われます。『黒田如水本陣跡』とありますが、黒田官兵衛(如水)本人は赤根峠を越えて国東に進出し富来城の垣見一直を包囲し、続いて安岐城の熊谷直盛攻めて出てきた熊谷軍を撃退し、ここ石垣原に向かっていた様です。黒田如水本陣にいたのは井上九郎衛門と野村市右 […]
石垣原古戦場跡の感想 『西の関ケ原(言っているのは私だけ?笑 『九州の関ケ原』かな?笑)』と云われている戦い、『石垣原の戦い』が行られた『石垣原古戦場跡』を訪れてみました(^▽^)/石垣原は『いしがきはら』ではなく『いしがきばる』と読みます♪なんかこの辺が九州ぽくてめちゃめちゃいいですねぇ~♪(⌒∇⌒) 『石垣原の戦い』は関ケ原の戦いをきっかけに、黒田官兵衛(如水)軍(東軍側)と復活を目指す大友義 […]
吉弘嘉兵衛統幸陣所跡の感想 『大友義統本陣跡』から約1㎞山を下った場所に『吉弘嘉兵衛統幸陣所跡(よしひろかひょうえむねゆき)』があります!石垣原の戦いの際に大友義統の右腕として前線に陣を張ったのが吉弘統幸です!( `ー´)ノ!!! 吉弘統幸は大友氏を最後まで支える忠臣で、豊臣軍が大失態(大敗)した戸次川の戦いの際は、主君、大友義統や長宗我部軍、仙石軍らを逃がすために祇園川原の戦いで三百の手勢を分け […]
大友義統本陣跡の感想 1600年に関ケ原の合戦が始まると、『西の関ケ原の戦い』と云われる戦いが発生します。『石垣原の戦い(いしがきばるのたたかい)』です! 豊臣秀吉に改易されていた大友義統は、西軍の総大将毛利輝元の支援を受けて西軍に味方をすることに決め、広島城から西軍の将として出陣して豊後国に侵攻していっきに勢力を拡大した。関ケ原の戦いで混乱していた九州を暴れまくっていた黒田官兵衛は、西軍方の大友 […]
臼杵城の感想 臼杵城です(o^―^o)ニコ臼杵城はその昔、大友宗麟の居城として知られその頃は丹生島(にゅうじま)城と呼ばれていました。 臼杵城を見上げて!率直に『異様な城だな!』って強烈に感じました( `ー´)ノ!?一目見て普通のこれまでの平山城とは全然違うと違和感を感じていました。なんていうか・・・『岩の城』って感じです!!! それはそのはず『丹生島』とある様に、臼杵川の河口近く臼杵湾に浮かぶ東 […]
大友宗麟公の墓の感想 大友宗麟の墓です!!!大友宗麟はキリシタン大名の代表的な武将として有名で、大友宗麟が当主となってから武威を誇り、豊前豊後、筑前筑後、肥前肥後の6箇国と日向伊豫の各半分を領し、勢威九州を圧し大友の最盛期を築いた、戦国時代屈指の武将とされていますが・・・個人的にはあまり好きではありません~苦笑自分が抱いているイメージは女性漁りがひどくて家臣の嫁まで奪い取り、キリスト教に没頭し過ぎ […]
大友別館跡の感想 現在の大分県津久見市にあるのが『大友別館』と呼ばれる跡です。一時九州を席巻しキリシタン大名として名高い大友宗麟の終焉の地となる館跡とされています。九州北部に覇を唱えていた大友宗麟は1578年に『高城川・耳川の合戦』で南九州の雄 島津氏に大敗すると、次第に島津氏に領土を蚕食されるようになります。にっちもさっちもいかなくなった大友宗麟は、1586年に豊臣秀吉謁見し秀吉に臣従することで […]
佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城の感想 大分県佐伯市にあり豊後水道を見下ろす山城として築かれた城、『佐伯城』です!!!『佐伯』と書けば『さえき』と読みそうですがこれは誤りで『さえき』ではなく『さいき』と読みます。。。よって、『佐伯城(さいきじょう)』です!!!\(◎o◎)/! 佐伯城の築城は意外と新しく1606年で関ケ原の戦いが終わった後に、1601年に豊後国海部郡佐伯に2万石で入国した […]