2024年

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大友宗麟公の墓(大分県)

大友宗麟公の墓の感想 大友宗麟の墓です!!!大友宗麟はキリシタン大名の代表的な武将として有名で、大友宗麟が当主となってから武威を誇り、豊前豊後、筑前筑後、肥前肥後の6箇国と日向伊豫の各半分を領し、勢威九州を圧し大友の最盛期を築いた、戦国時代屈指の武将とされていますが・・・個人的にはあまり好きではありません~苦笑自分が抱いているイメージは女性漁りがひどくて家臣の嫁まで奪い取り、キリスト教に没頭し過ぎ […]

大友別館跡(大分県)

大友別館跡の感想 現在の大分県津久見市にあるのが『大友別館』と呼ばれる跡です。一時九州を席巻しキリシタン大名として名高い大友宗麟の終焉の地となる館跡とされています。九州北部に覇を唱えていた大友宗麟は1578年に『高城川・耳川の合戦』で南九州の雄 島津氏に大敗すると、次第に島津氏に領土を蚕食されるようになります。にっちもさっちもいかなくなった大友宗麟は、1586年に豊臣秀吉謁見し秀吉に臣従することで […]

佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城(大分県)

佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城の感想 大分県佐伯市にあり豊後水道を見下ろす山城として築かれた城、『佐伯城』です!!!『佐伯』と書けば『さえき』と読みそうですがこれは誤りで『さえき』ではなく『さいき』と読みます。。。よって、『佐伯城(さいきじょう)』です!!!\(◎o◎)/! 佐伯城の築城は意外と新しく1606年で関ケ原の戦いが終わった後に、1601年に豊後国海部郡佐伯に2万石で入国した […]

中村城 / 為松城(高知県)

中村城の感想 中村城は、公家一条氏の流れを組む前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が、土佐の国人衆だった大平氏の支援により土佐国幡多郡中村に下向し土着したのが発端し、初代の一条房家、房冬、房基、兼定、内政の五代に渡り土佐一条氏の居城となった城です。中村城は元々土佐国中村にいた国人の為松氏が築いた城で、一条氏がこの地に流れてくると為松城は一条氏の城となり、為松氏は一条氏の重臣として仕えることとなり […]

朝倉城 / 重松城(高知県)

朝倉城の感想 すげぇ~前々から行きたかった憧れの山城です( `ー´)ノ『朝倉城』です!!!めちゃくちゃ気合入れて朝倉城の城攻めに向かったのですが・・・・・・・・・・・・・・・ 築城はいつだか定かではありませんが(1521年〜1527年頃かな・・・?)、本山茂宗(清茂)によって築城されたと云われており、本山茂宗は勢力拡大を図り南下し当時岡豊城の城主だった長宗我部兼序(長宗我部国親の父親、元親の祖父) […]

吉良城 / 吉良峰城(高知県)

吉良城の感想 土佐国の戦国七守護のひとりである吉良(土佐吉良)氏によって築かれた城で築城の年は不明です!吉良氏は土佐国でも名門の一族です。吉良城は標高111mほどの平山城で南北両嶺の曲輪を有しているみたいです。北嶺は南北40m、東西20mの楕円形で南端には櫓台のような場所もあるそうです。 土佐国における吉良氏の全盛期を築いた吉良宣直が五千貫を領し土佐七雄のひとりとして覇を唱えていたが、勢力を急激に […]

浦戸城(高知県)

浦戸城の感想 長宗我部元親を想うと切っても切り離せない重要なお城です!浦戸(うらど)城です!!!( `ー´)ノ♪♪♪ 浦戸城の築城ははっきりしていませんが、本山城を居城としていた「土佐七雄」の一つである本山氏が勢力を伸ばし、朝倉城と共にこの浦戸湾のある地に本山茂宗(清茂)によって築かれたと云われています。浦戸城の本山氏は復興した長宗我部国親・元親親子の攻撃を受け浦戸一帯(土佐国)の覇権を争うように […]

長宗我部元親公の墓(高知県)

長宗我部元親公の墓の感想 私の大好きな武将のひとりです!!!(≧◇≦)長宗我部元親!!!四国を統一した唯一の戦国武将!英雄だと思っています!\(゜ロ\)(/ロ゜)/ その『長宗我部元親の墓』に行ってきました~(^▽^)/ 長宗我部元親は1539年に長宗我部国親の嫡子として岡豊(おこう)城で誕生したと云われています。幼名は『弥三郎』のちに土佐守護だった細川晴元の偏諱を受け『元』の文字をもらい『元親』 […]

長宗我部盛親公慰霊之碑(高知県)

長宗我部盛親公慰霊之碑の感想 秦神社に長宗我部元親の四男『長宗我部盛盛親公慰霊之碑』がありました。秦神社は長宗我部氏が秦氏の流れからくる一族なのであったのかな?って思っていたんですが、元々長宗我部氏の菩提寺であった『雪蹊寺』が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の機運が高まっていた明治3年に廃寺となったため、長宗我部元親の弟の親房(別名は島親益といい四男の弟である親益を元親はとてもかわいがっていたが、親益 […]

土佐 長浜城(高知県)

土佐 長浜城の感想 長浜城は長宗我部元親の初陣となった『長浜の戦い(長浜表の戦い)・戸ノ本の戦い』の舞台となった城です。長宗我部国親・元親親子は、種﨑城に運んでいいた兵糧を本山氏側の潮江(うしおえ)城の兵に奪われたことから戦に発展し、長浜城攻略に踏み切った戦となりました。長浜城攻めには面白いエピソードが残っています。元々は長宗我部氏配下の福富右馬允という者が罪を犯し放逐されました。福富右馬允は本山 […]

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