にんじゃ

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栃尾城/舞鶴城/大野城(新潟県)

栃尾城の感想 謙信ゆかりの地、栃尾城へ行って来ました。謙信は春日山城で生まれた跡、1544年、14歳ごろにここ栃尾城の城主になります。そして、周辺の領主たちが反旗を翻した「栃尾城の戦い」で初陣を飾ります。栃尾城の戦いの簡単な経緯ですが、もともと、国人領主の傍若無人な振る舞いが目に余るので栃尾城に謙信が送り込まれるのですが、周辺の領主(長尾俊景や黒田秀忠)などは若造なら叩き潰せると思って栃尾城に攻め […]

坂戸城(新潟県)

坂戸城の感想 坂戸城に行って来ました!なかなか麓からの比高があるので大変そうだなとちょっと躊躇っていたのですが熊対策もした上で行って来ました。登山としても人気の山なので休日はけっこうな人とすれ違いました。登山としても人気あるんですね。ちなみに、行かれる際にナビに坂戸城と入れると坂戸城という宿に到着したりするのでお気をつけください。坂戸城跡で検索すると辿り着けます。私は宿に誘導されてしまいました笑 […]

御館/上杉館(新潟県)

御館/上杉館の感想 上杉家最大の家督争いで有名な「御館の乱(おたてのらん)」のその御館の場所がここ御館公園になります!行かないとなぁ。と思って数年が経ちやっと訪問できました!今はただの公園で遺構もない状況なのでここにあったんだ。みたいな雰囲気です笑 御館の乱は1578年に上杉謙信が跡取りを指名することなく急死したことで上杉景勝と上杉景虎の間で起きた争いになります。謙信が亡くなる以前から景勝派と景虎 […]

柿崎城(新潟県)

柿崎城の感想 柿崎城に行って来ました!ここ何がすごいって、高速のインターチェンジのループしている道路に囲まれたお城なんです!(◎_◎;)道路に囲まれているので城跡はあるけど入れないのかな?と思いましたがちゃんとわかりづらいですが入口もあり、城の説明版もありました!だいぶ草木に覆われて見えづらくなってましたが。。 柿崎城とはどんなお城なのかですが、柿崎氏の居城で柿崎氏は宇佐美氏の支流になる家系のよう […]

福島城(新潟県)

福島城の感想 新潟県に福島城という名前のお城があったなんて知りませんでした。しかも意外と有名でもおかしく無いような方が城主だったりと訪問してみて勉強になりました!越後福島藩という班が存在していたんですね。 そんな越後の福島城ですが、上杉景勝が1598年に会津へ移封になると、堀秀治が上杉謙信の居城だった春日山城に入ります。山城のため、平時としては使い勝手が悪くこの福島城を築城したとのことですが、福島 […]

琵琶島城(新潟県)

琵琶島城の感想 琵琶島城(びわじまじょう)は現在、県立柏崎総合高校となっていて遺構は残っていない状況になります。高校ができる前までは土塁などが残っていたみたいですが、現在は高校の敷地内にある石碑が城跡であることを表示している以外周りを見ても城跡の面影を見つけることはできません。琵琶島城の歴史ですが、上杉憲顕(うえすぎのりあき)が越後の守護を任された時に家臣として着いて来た宇佐美定満(うさみさだみつ […]

明智煕子・明智光秀一族の墓(滋賀県)

明智煕子・明智光秀一族の墓の感想 明智煕子(あけちひろこ)の墓へ行ってきました。煕子は明智光秀の正妻になります。明智光秀は生涯、煕子以外に側室などを持たなかったとされていて2人の夫婦愛が伝わってくる話が多く有ります。明智光秀は斎藤道三に仕えていたので道三が亡くなると浪人になります。本当かどうかわかりませんが、とても貧しかったこの時代に煕子は自分の自慢の黒髪を売って家計を助けたなどの逸話が残っていま […]

島津義久公の墓・徳寺庵跡(鹿児島県)

島津義久公の墓の感想 島津義久公の墓へ行ってきました。島津義久公といえば、第16代島津家当主であり、島津4兄弟の長男で戦国島津の、「薩摩・大隅・日向」三洲統一の立役者といった認識のお持ちの方も多いと思います。ただ、最近はネットで違う人気を博している武将でもありまして、「戦国最強の引きこもり」とか「引きこもり武将」などとして話題になっている人物でもあります。話題性を持たせるためにこの様な表現でYOU […]

国分城/舞鶴城/国分新城/国分御屋形(鹿児島県)

舞鶴城/国分城/国分新城/国分御屋形の感想 この前の記事で最初に島津義久が隠居した居城の富隈城について書きましたが、富隈城の後に移った居城が国分城(こくぶじょう)になります。説明するまでもないかもしれないですが、島津義久(しまづよしひさ)は島津家第16代当主にあたり、義弘(次男)、歳久(三男)、家久(四男)と共に「島津四兄弟」として戦国時代で活躍した武将として知られています。そんな義久の居城ですが […]

富隈城(鹿児島県)

富隈城の感想 富隈城は「とみくまじょう」もしくは「とみのくまじょう」と読みます。1595年に島津征伐として豊臣秀吉に強制的に隠居させられた島津家第16代当主「島津義久(しまづよしひさ)」が内城を島津忠恒に譲ったため、急遽仕方なく築城したお城が富隈城と言われています。当時はほぼ目の前が海になっていて港を作り、商人を招き薩摩藩のなかでもかなり栄えた場所になったとのことです。ただ、詰城になるような山が近 […]

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