にんじゃ

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北条館遺跡(岩手県)

北条館遺跡の感想 北条館遺跡(ほうじょうだていせき)は鎌倉時代の館跡になります。発掘調査で平安時代のかわらけや土師器、中世の陶磁器などが出土しているみたいです。現在は埋め戻されているので、土塁と堀跡が見られる程度ですが、城館跡の雰囲気は感じ取れるくらいの遺構は残っています。 誰の館跡なのかははっきりとわかっていないそうですが、樋爪氏とも北条氏の末裔ともいわれているそうですが、町のHPでは天正20年 […]

高水寺城/斯波御所/郡山城(岩手県)

高水寺城/斯波御所/郡山城の感想 名門奥州斯波氏の居城、高水寺城(こうすいじじょう)です。斯波御所とも言われます。高水寺城は1335年に奥州管領として斯波家長がこの地に来た時に築城されたと言われています。そこから約400年間もの間、斯波氏の居城として使用されます。そんな名門だった斯波氏も戦国時代に入り、南部氏が力をつけてくると、南部氏から養子として中野康実を送りこまれます。これ以降、斯波家の乗っ取 […]

久々館(岩手県)

久々館の感想 たまたま見つけた久々館遺跡の標柱。どんな館跡なのかと車を止めて見て見ましたが藪に覆われて遺構などはわからず。また、道路整備の際に作られたもののようで関係ないみたいです。 久々館(くくだて)は書物など資料には出てこないようで伝承とかも謎のようですが、状況から判別して中世から近世にかけての方形の居館跡とのことです。現在は中央部を南北に通る県道盛岡石鳥谷線によって東西に分断されてしまってい […]

藤原泰衡の首洗い井戸(岩手県)

藤原泰衡の首洗い井戸の感想 鎌倉時代、奥州藤原氏最後の当主(第4代)で、源義経を大将に頼朝と戦うことを目指しますが、結局は鎌倉幕府の圧力と朝廷を通じた討伐令に耐えられず義経を自害に追いやった武将になります。1189年、源頼朝から義経を匿ったことでお咎めを受けて幕府と戦うことになります。結局泰衡は負けて敗走するのですが、平泉から河田次郎に助けを求めて贄の柵(にえのさく)(現在の大館市)に逃げますが、 […]

三増合戦場跡(神奈川県)

三増合戦場跡の感想 武田軍と北条軍が戦った三増合戦の場所になります。元々は今川・武田・北条の三国同盟を組んでいましたが、1560年桶狭間の戦いで今川義元が敗れ武田信玄が三国同盟を破棄して1568年今川領への侵攻を始めます。武田信玄は徳川家康と今川領の分割を条件に手を結びさすがに勝てないとなった今川氏真が1569年掛川城を開城し今川家は滅亡します。今川氏真は小田原北条氏の元に逃げて最終的には徳川家に […]

小沢古城址(神奈川県)

小沢古城址の感想 小沢古城址(こさわこじょう)は武蔵七党の横山党の小沢(こさわ)氏の城とされているお城になります。小沢氏は平安時代末から鎌倉時代初期に活躍した一族とされていて、この城は鎌倉時代に築城されたお城と言われています。横山党は武蔵七党の最大派閥と言われていて、この辺りでは相模川の対岸に田名氏、相模川上流に小倉氏の領地があったようです。小沢氏と血縁関係のあったとされています。小沢氏は1213 […]

牛ヶ淵古戦場(神奈川県)

牛ヶ淵古戦場の感想 武田信玄と小田原北条氏が戦った場所とされている古戦場になります。1569年、武田信玄の相模侵攻の際に戦場になった場所の一つになります。明確にこの地で戦ったとの証拠が残っているわけではなく伝承として語られているものではないかと思われます。実際、武田信玄の相模侵攻後の撤退戦で有名な三増合戦の話では武田軍は平塚で方向を変えて三増の地で北条氏照・氏邦と戦っているとの史実が残っています。 […]

  • 2026.07.25

愛甲三郎館跡(神奈川県)

愛甲三郎館跡の感想 愛甲三郎季隆(あいこうさぶろうすえたか)の居館跡に訪問。近くを通ったので訪問。事前知識無しで誰?と思いながら訪問してきました笑 市のHPによると、「愛甲氏は、平安時代末期に武蔵国で興った武蔵七党と呼ばれた有力な武士団の一つ、横山党の流れをくむ一族です。」とのことで横山党の武将になります。平安末期から鎌倉時代に活躍した方になりますね。今度別で横山党の発祥(横山神社)については記事 […]

太田道灌の墓(洞昌院)(神奈川県)

太田道灌の墓の感想 神奈川県伊勢原市(洞昌院)にある太田道灌のお墓に行ってきました。このお寺(洞昌院)自体が太田道灌が開いたお寺とのことです。太田道灌は最後、先日あげた糟屋館/上杉館跡にて主君だった上杉定正に殺されてしまいます。そしてこの場所にお墓が建てられています。 太田道灌について簡単に説明しておきます。1432年にこのお墓などがある現在の神奈川県伊勢原市あたりで生まれたとされています。父は太 […]

糟屋館/上杉館跡(神奈川県)

糟屋館/上杉館跡の感想 太田道灌が好きなら気になる場所の一つですよね。1486年7月26日に太田道灌はこの場所にあった扇谷上杉氏の館に招かれ、主君だった上杉定正に誅殺されてしまいます。市の案内によると風呂場で襲われ「当方滅亡」と叫び、絶命したといいます。と書かれてました。現在は産業能率大学になってしまっており館の面影はほぼ残っていないですね。その後はこの前の記事、実蒔原古戦場や七沢城などで書きまし […]

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