- 2025.07.26
- 入場料無料,
御着城/天川城(兵庫県)
御着城/天川城の感想 黒田官兵衛ゆかりのお城として御着城へ行ってきました。御着城は黒田家の主君である小寺氏のお城になります。小寺氏は赤松氏の支流で小寺頼季(こでらよりすえ)が祖として始まった氏族になり、黒田氏は黒田重隆(くろだしげたか)=黒田官兵衛の祖父 が小寺政隆(こでらまさたか)に仕えるようになり小寺氏の家臣として頭角を現していきます。重隆(しげたか)の息子、黒田職隆(もとたか)が姫路城代の役 […]
御着城/天川城の感想 黒田官兵衛ゆかりのお城として御着城へ行ってきました。御着城は黒田家の主君である小寺氏のお城になります。小寺氏は赤松氏の支流で小寺頼季(こでらよりすえ)が祖として始まった氏族になり、黒田氏は黒田重隆(くろだしげたか)=黒田官兵衛の祖父 が小寺政隆(こでらまさたか)に仕えるようになり小寺氏の家臣として頭角を現していきます。重隆(しげたか)の息子、黒田職隆(もとたか)が姫路城代の役 […]
平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]
内山城の感想 内山城は永世年間(1504年ごろ)に大井美作入道玄岑(おおいみまさかのにゅうどうげんしん)が築城したとされています。1546年に武田晴信(信玄)の佐久侵攻により落城し、その後は武田家臣の小山田 虎満 / 小山田 昌辰(おやまだ とらみつ / おやまだ まさたつ)が城代として入ったお城になります。内山城はその後、1582年に武田氏が滅んだことにより翌1583年に廃城になったようです。そ […]
笠原新三郎(清繁)首塚の感想 笠原新三郎(清繁)は志賀城の城主で武田晴信(信玄)との戦いで敗れた武将です。佐久地域を収めたい信玄が1546年に志賀城を攻めて、笠原新三郎は関東管領だった上杉憲政に援軍を依頼しますが、武田軍は援軍を志賀城に近づける前に碓氷峠の辺りで打ち破ります。その時に討ち取った敵将と敵兵の首を武田晴信(信玄)は志賀城の周りにおよそ3000も並べたと言われております。それから、程なく […]
志賀城の感想 志賀城は武田晴信(武田信玄)の志賀城攻めで有名なお城で、「小田井原の戦い」の中心になったお城です。現在は佐久市内の長閑な場所といった印象ですが、1546年に武田晴信(信玄)は領地拡大のために佐久地域がどうしても欲しく、志賀城城主の笠原清繁(新三郎)に戦いを挑みます。笠原氏は関東管領の上杉憲政に援軍を頼みますが、流石の武田晴信(信玄)、家臣たちに碓氷峠へ向かわせて上杉の援軍を足止めどこ […]
久米城の感想 久米城は佐竹氏の支流佐竹北家のお城です。築城は藤原秀郷の系譜の小野崎氏と言われていて、14世紀末から15世紀初頭にかけて建てられたのではないかと言われております。その後、佐竹義武がこの久米城に入り、山入氏と戦いますが、義武は討死となり、久米城は山入氏のお城となります。義武の父、佐竹義治、弟の義信が久米城を奪還し、義信が久米城に入ります。義信のことを「北殿」と呼んだことから義信の家系を […]
馬坂城の感想 佐竹氏発祥のお城と言われている馬坂城に行ってきました。馬坂城の築城は平安時代の末期で、新羅三郎(源)義光の孫、源昌義が佐竹を名乗るようになります。その昌義が居城としたのが馬坂城です。ちなみに、新羅三郎義光は武田信玄などで有名な甲斐武田氏の祖でもあります。武田氏発祥の地も茨城県ですので興味がある方はそちらも訪問してみるのをおすすめします。馬坂城は三つの曲輪を持つ平山城で、北側に鶴が池、 […]
小牧山城の感想 小牧山城は織田信長のお城として1563年に築城されました。お城としては1567年に廃城となってしまうのでわずか4年ほどの間しか存在してなかったお城となります。でも、非常に有名な戦いがあり、知っている方も多いお城なのではないかと思います。その戦いが1584年に起こった「小牧・長久手の戦い」になります。この戦いは何が大きな特徴かというと、豊臣秀吉と徳川家康が敵同士になって戦った唯一の戦 […]
足利学校の感想 足利学校に行ってきました。足利学校は日本最古の学校で創建は平安時代とも鎌倉時代とも言われています。今でこそ日本の最高学府といえば東京大学ですが、日本歴史全体で見ると長らく1000年くらい足利学校だったんですよね。いぁーすごいですね!!!足利学校は室町時代ころには一時廃れていたとの話もありますが、室町時代の永享11年(1439年)に関東管領の上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在は国宝 […]
名古屋城の感想 徳川御三家の一つである尾張徳川家のお城として有名なお城、名古屋城です。金のシャチホコのイメージが強い名古屋城ですが、現在天守閣に乗っている金鯱は2代目で初代は江戸時代から昭和まで現存していたのですが、太平洋戦争の空襲で焼けてしまい、戦後2代目金鯱が作られて現在に至ります。ちなみに天守閣も鉄筋コンクリートで作られた再現天守で江戸時代からあるものではありません。天守閣も戦後に再建された […]