にんじゃ

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笑隈城/隈ノ城/咲隈城(鹿児島県)

笑隈城(えみのくまじょう)と読みます。読み方は同じで「咲隈城」とも書くようです。別名「隈ノ城(くまのじょう)」とも呼ばれるみたいです。説明版を読むと南北朝期の貞治2年(1363年)頃、第六代当主島津氏久が三年間布陣し、天降川対岸の姫木城(ひめぎじょう)に立て籠もる税所一族だった重久氏と戦ったようです。税所(さいしょ)とは徴税のために任ぜられた役職でこれを世襲していた一族が、税所氏を名乗ったとされる […]

鹿屋城/亀鶴城(鹿児島県)

鹿屋城/亀鶴城の感想 鹿屋城(かのやじょう)は、鹿屋氏、伊集院氏などが居城としたお城になります。鹿屋城は城郭は本丸(貯水池)、二の丸(公園)、中城(公園)、松尾城(幼稚園・老人福祉センター)、大名城、今城、鳥添城からなるお城となっているとのことです。正直、初見だと全くどこが本丸とか中城とかわからないです。現在道などに合わせて案内板が欲しいところですね。説明板を読むと、「島津久経時代津野四郎兵衛、鹿 […]

志布志城・松尾城(鹿児島県)

志布志城・松尾城の感想 志布志城の松尾城になります。志布志城は松尾城、内城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城となっています。内城は別で記事をあげていますので興味のある方は見てみてください。現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということで来たのですが、入り口近くにお住まいの方とお話をさせていただき迷子(遭難)。するからやめときなさい。誰も登ってかないよ!。と言われてしまいました笑諦めずに […]

志布志城・内城(鹿児島県)

志布志城・内城の感想 志布志城の内城へ行ってきました!志布志城はこの内城と松尾城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城と呼んでいるそうです。ただ、現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということになっています。志布志城・新城については現在、志布志中学校の校庭となっていて遺構はだいぶなくなってしまているようですが、校庭の周囲に土塁が残っているとのことです。別で書きますが、松尾城の登城に挑戦しよ […]

宇喜田秀家潜居跡平野屋敷(鹿児島県)

宇喜田秀家潜居跡平野屋敷の感想 宇喜田秀家は宇喜田直家の嫡男で関ヶ原の戦いで西軍側として戦った武将になります。宇喜田秀家の正室は豪姫(ごうひめ)で映画にもなったので知っている方もいらっしゃるのではないかと思います。ちなみに宇喜田秀家の居城は岡山城になります。豪姫は加賀藩(石川県)の大名前田利家の四女になります。 宇喜田秀家は西軍の副大将として参戦し、西軍が敗れたので関ヶ原から伊吹山に逃走します。そ […]

松山城/松尾城/志布志松山城(鹿児島県)

松山城の感想 松山城、(別名:松尾城)は1188年平清盛の弟、頼盛の孫である重頼(しげより)が松山に来て築いた山城だとされるお城とのことです。1413年には新納氏(にいろし)が領有しており、嘉吉の乱1441年頃に赤松満祐(あかまつみつすけ)の子、赤松教康(あかまつのりやす)島津氏を頼ってこの地へ来て赤松氏が領有していた時代もあるとのことです。個人的にはこの赤松氏が松山城に来ていたことに驚きました! […]

平松城/末吉平松城(鹿児島県)

平松城の感想 平松城ですが、こちらは曽於市にある平松城になります。姶良市の平松城はこちらの記事になります。この平松城は末吉町橋野の陣ノ山というところに築かれており、市のHPの説明では天正年間(1573年〜1592年)に、北郷氏の永山刑部が築城したと書かれていました。ただ、肝付氏の家臣が築城したとも言われていて正確にはわかっていないようです。 今回のこのお城訪問ですが、大雨の後に訪問してしまったので […]

都城/都之城/鶴丸城(宮崎県)

都城/都之城/鶴丸城の感想 都城は北郷義久によって1375年に築城されました。北郷氏は島津家第4代当主の島津忠宗の子、島津資忠(しまづすけただ)から始まります。都城市周辺の地域をもらい北郷氏を名乗り、この地で約240年領有を続けます。江戸時代に入り、北郷氏はまた島津姓に戻したことで都城島津家とも言われます。都城市周辺は戦国時代領地の取り合いで目まぐるしく城主が入れ替わっているお城が多いので周辺のお […]

六ヶ村城/六ヶ城(宮崎県)

六ヶ村城/六ヶ城の感想 六ヶ城と書いて「ろっかんじょう」と読みます。六ヶ村城と村が入った場合は何て読むのかわかりません😅 そのまま「ろっかんじょう」ですかね?「ろっかんむらじょう」?? まぁ読み方はそのくらいにして、六ヶ村城についてですが、1533年に北郷忠相(ほんごうただすけ)が伊東氏に対抗するために三俣城・月山日和城を攻撃する一時的な城として築いたとされているようです。都城周辺 […]

姫木城(宮崎県)

姫木城の感想 姫木城は「ひめぎじょう」と読みます。説明版を読むと、肝付氏の支城だったとのことです。肝付氏は南北朝時代に南朝方に属したので、北朝方の守護代だった森行重とここで戦闘になったとのことです。その後姫木城がどうなったのかは不明とのことでいつ築城されていつ廃城になったのかよくわかっていないようです。1339年には肝付兼重が日向から畠山氏に負けて追い出されているので遅くともこの頃には肝付氏のお城 […]

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