福島城/大仏城/杉妻城/杉目城(福島県)
福島城/大仏城/杉妻城/杉目城の感想 福島城の築城は伊達氏だったんではないかと云われているみたいですね。阿武隈川と荒川を天然の堀とした平城だったらしく、元々は『杉妻城/杉目城(すぎのめじょう)』と呼ばれたり『大仏城』とも呼ばれていたらしく、古墳時代の頃には既に何かしらの機能を持った機関の建物があったと云われているみたいですね~すごい(+_+)1413年の頃は伊達持宗が関東公方足利持氏(この人は本当 […]
福島城/大仏城/杉妻城/杉目城の感想 福島城の築城は伊達氏だったんではないかと云われているみたいですね。阿武隈川と荒川を天然の堀とした平城だったらしく、元々は『杉妻城/杉目城(すぎのめじょう)』と呼ばれたり『大仏城』とも呼ばれていたらしく、古墳時代の頃には既に何かしらの機能を持った機関の建物があったと云われているみたいですね~すごい(+_+)1413年の頃は伊達持宗が関東公方足利持氏(この人は本当 […]
須賀川城の感想 須賀川城は福島県須賀川市にある平山城で近くを釈迦堂川(しゃかどうがわ)が流れています。須賀川城の築城は二階堂行続が行ったと云われており、長くからこの地を支配する二階堂氏がこの須賀川城を居城としたみたいです( ̄▽ ̄)1572年には那須 資胤(なす すけたね)の軍勢が攻めてきたが、何とか須賀川城は凌ぎ!!!1581年に城主の二階堂盛義(須賀川二階堂氏7代当主)が亡くなると、後室の大乗院 […]
盛岡城の感想 十数年ぶり(2025.09.10)に盛岡城に行ってみました!(o^―^o)ニコ 盛岡城は豊臣秀吉が全国を制覇し、豊臣秀吉の傘下に入った南部氏が三戸の地より不来方(こずかた)の地に居城を移し築城したのが盛岡城です! 盛岡の地は以前は不来方って云われていたんですねぇぇぇ 厳密には当初不来方城であり後に盛岡城となった別物とだとも云われているみたいです。 盛岡城は西側に流れる北上川と南東部を […]
伊達稙宗公の墓の感想 はっきり云って、ここでこんなことを云うと批判されるのは重々わかってはいるのですが、私は人気のある伊達政宗よりもこの伊達稙宗の方がめちゃくちゃ興味があり好きかもしれません!( ̄▽ ̄)伊達稙宗は伊達家13代当主の伊達尚宗の嫡男として生まれ、伊達稙宗の亡き後、14代当主を継ぎ、継いだその年に羽州探題(うしゅうたんだい)の最上義定を破り自分の妹を最上義定の室として送り込み、実質的に最 […]
曽我城 / 曽我氏館跡の感想 曽我城/曽我氏館跡は、曽我祐信の居城で鎌倉時代初期にかけて武士・御家人で相模国曽我荘の領主であり、曽我祐信はあの有名な『曽我兄弟』の養父としても有名ですよねぇ~(o^―^o)曽我兄弟と云えば『曽我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)』であり、これは源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曽我祐成と曽我時致の兄弟が父親である河津 祐泰(かわづ すけやす)の仇である工藤佑経を […]
飛山城の感想 飛山城は勝山城同様に鬼怒川沿いにある平山城で、鎌倉時代の後期に宇都宮氏の家臣だった芳賀氏の居城で、1293年~1299年頃、宇都宮景綱の家臣 芳賀高俊にって築かれた城だと云われています。芳賀氏は益子氏(益子城)と同様に『紀清両党(きせいりょうとう)』と呼ばれた、宇都宮氏の家臣団の中で精鋭武士団の両氏とされていた様で、『紀』→益子氏の本姓『紀氏』から『清』→芳賀氏の本姓『清原氏』からそ […]
勝山城 / 氏家城の感想 勝山城は1190年~1199年頃(かなり幅がありますねぇ~笑)に氏家公頼(うじいえきみより)が築いたとされています。 氏家氏は元々宇都宮氏の一族と云われており、宇都宮朝綱(うつのみやともつな)の子、公頼が芳賀郡(はがぐん)氏家郷に移り土着して氏家氏の名を名乗り始めたのがスタートみたいです( `ー´)ノ なぜ私がこの勝山城に行ってみたかっと云えば、氏家氏っと云えば『氏家ト […]
岩原城の感想 小田原城主の大森氏頼は城を嫡男 実頼に譲り、自らは岩原城へ移ったとされており、岩原城はこのときに築かれたんじゃないのかと思われます!関東管領扇谷上杉氏の重鎮であった大森氏頼は自らこの岩原城に移り晩年この城で没したと伝わっています。北条早雲の半生を描いた司馬遼太郎の作品『箱根の坂』にも『岩原の館』として登場しています。これはたぶん『岩原城』の事だと思われます。現在での遺構は2つの郭と堀 […]
相模沼田城 / 沼田城の感想 あえてここでは、上野国(こうずけのくに)の沼田城との勘違いを防ぎたくて、ここでは『相模沼田城』としてレポートしたいと思います( `ー´)ノ(って云っても・・・そんなにレポートすることもあんまりないのかもしれませんが!苦笑) 『新編相模国風土記稿』ってやつに記載されているみたいなのですが、波多野氏の一族がこの地に土着して沼田氏を名乗り相模沼田城を築城したみたいです。さら […]
奥州探題 畠山家墓所の感想 南北朝時代に1340年北朝方より欧州探題として入国した畠山高国が初代とし、十一代目当主畠山義継が伊達政宗と戦い討ち死にするまでの約240年間この地を支配し、畠山義継の次男義孝が畠山氏から二本松氏を名乗ったとされてると案内板には書いてありますが、もっと前から二本松氏と名乗っていたのかもしれませんね!(●^o^●) まぁ~二本松氏よりも畠山氏の方が名が通ているのでごちゃごち […]