- 2026.04.28
湯浅城(和歌山県)
湯浅城は1143年頃に紀伊国佐田郡に青木山に鎌倉時代の武将 湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ)によって築かれた城と云われております。湯浅宗重は平清盛に平治の乱の一報を伝え共に上洛したことから有力武将のひとりとされ、その後、平重盛の子 平忠房と共に湯浅城に籠城し源氏と戦いますが、源頼朝に降伏し1186年には所領も安堵されたため紀の川流域の辺まで勢力を拡大し、『湯浅党』と呼ばれていたみたいですね。。。 肝 […]
湯浅城は1143年頃に紀伊国佐田郡に青木山に鎌倉時代の武将 湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ)によって築かれた城と云われております。湯浅宗重は平清盛に平治の乱の一報を伝え共に上洛したことから有力武将のひとりとされ、その後、平重盛の子 平忠房と共に湯浅城に籠城し源氏と戦いますが、源頼朝に降伏し1186年には所領も安堵されたため紀の川流域の辺まで勢力を拡大し、『湯浅党』と呼ばれていたみたいですね。。。 肝 […]
八幡山城 / 吉田城の感想 1346年頃(かなり古いですねぇ~)に旧矢田荘領主の吉田頼秀によって築かれた山城と云われている様です。吉田頼秀は近隣の土生城主逸見氏や山崎城主川上氏と縁戚を結び、連携をとってこの地を納めていたものと思います。三男の吉田金毘羅丸(すげぇ~激しい名前ですね!?(;゚Д゚))の居城となると、亀山城主の湯川(湯河)氏が日高平野に侵攻してきたため、吉田氏らは敗れ・・・没落したと云 […]
入山城の感想 紀伊国にある入川城は、西側に西川が流れ堀として東側には亀山城を備える両城で連携した山城だと思われます。丘陵中央部は標高76mの『城山』部分と南端の標高は34mの『本丸』部分の二か所を備えた山城です。築城は定かではありませんが、三好義長が1522年に阿波国から紀伊国に侵攻した際に畠山氏と戦った際に築かれた山城だと云われているみたいですね。その後は、一度敗れた畠山氏が地元の豪族湯川(湯河 […]
宮寺氏館跡の感想 宮寺氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏かな?)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構えて宮寺氏を称したとされるみたいですね。1333年の鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代初期にかけて、新田義貞に仕えた加納下野守なる人物がこの宮寺氏館に拠ったと伝わっています。武蔵七党と呼ばれた小規模武士集団は鎌倉幕府開設以前から源氏棟梁との関係が深く、源頼朝の父親、源義朝が関 […]
亀山城 / 丸山城の感想 亀山城は道湯川(今の和歌山県田辺市)から日高地域(現在の和歌山県御坊市湯川町)へ進出した湯河光春が1348年に築いた城だと云われています。この湯河(湯川)氏がなかなか面白く家紋は『割菱』であることから・・・たぶん、気のまわる方ならわかると思いますが、元々はあの甲斐源氏の武田氏が祖となり、たぶんですが何かしら罪を犯し紀伊(和歌山)国の熊野に配流(まぁ~簡単に言えば島流し的な […]
若江城の感想 若江城の築城は不明ですが、1460年に京都を追われた畠山義就(はたけやまよしなり)若江城に入城したと文献にあるので、その頃には畠山氏関係の城として築かれていたんじゃないかと思います。(*´ω`*) この頃、応仁の乱の引き金となる畠山氏の家督争いが始まり、畠山政長が畠山義就の若江城を攻めると畠山義就は敗れ嶽山城(だけやまじょう)に逃げ去ると、若江城に畠山政長が入城します。たぶん若江城が […]
私部城 / 交野城の感想 私部城は『さきのべ』城と読むようですね~難しい~(*´ω`*) 文献か何かに『サキノヘノ城』と呼ばれる城が出てくるようです。また、この地点は交通の要所から『片野』と呼ばれていた様で、片野から『交野』となり、交野(かたの)城とも呼ばれていいた様ですね( ̄▽ ̄)築城は1558年~1560年頃だと云われ安見右近によって築城された様です。安見氏は元々畠山氏の家臣でしたが、畠山氏が […]
茨木城の感想 1444年~1449年頃に記載されている『文安年中御番帳』に奉行者のひとりとして茨木氏の名前が確認できることから、この頃から摂津国で台頭してきた一族だと思われ、築城された年は不明であありますが、その茨木氏がこの茨木城を築城したと云われています。細川高国と細川晴元が対立すると当時の城主だった茨木長隆は細川晴元側に付き、細川高国を打ち破り死に追いやっています。その後、茨木重朝の時代になる […]
高槻城/久米路山龍ヶ城/入江城の感想 高槻城は摂津国高槻村にあった平城で築城は不明ですが901年~1000年頃にはあったみたいで、1874年の明治7年まで使用されていた驚きの城です!(;゚Д゚)室町時代には入江氏の居城としていたため入江城と呼ばれていましたが、織田信長に入江氏が滅ぼされてしまうと和田惟政(わだこれまさ)が入城し居城とします。和田惟政は足利義輝に仕えていたが不信を買って和田村に蟄居さ […]
三好長慶公の墓の感想 三好長慶はご存じの通り、織田信長よりも早く天下人を目指し天下人となった武将で、三好長慶は阿波国で生まれ(三好長慶公誕生地)スタートになっているのは阿波国の芝生城だと云われています。阿波国の吉野川沿いから阿波国の中心地に進出した三好氏は、勝瑞館を築き館に隣接した勝瑞城を築きました。当時では珍しい平城だった様ですね。その後、勝瑞城は細川氏9代・三好氏3代で約230年間本拠点とした […]