孤高の反逆児ポンタ

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人取橋古戦場(福島県)

人取橋古戦場の感想 青森から東京まで続く国道4号線沿い、福島県本宮市の東流する瀬戸川流域のかつて太田ともいわれた場所には、佐竹・蘆名氏らの連合軍と伊達軍との激戦が行われた『人取橋古戦場』があります。 人取橋古戦場とは、伊達政宗が畠山義継(二本松城城主)によって父である伊達輝宗が拉致され国境を超える場所で政宗が阻止・殺害(両名を)し、『父親の弔い合戦』として二本松城を攻撃したのをきっかけに、勢力拡大 […]

大森城(福島県)

大森城の感想 大森城は福島市の少し南(福島南IC付近)にある小高い丘の城です。行ったときは朝早く気晴らしに行ってみたのですが・・・・え???伊達氏とすごく所縁のある城で、しかも城主が伊達実成だった時もあるんだなんて!?勉強不足は申し訳ないのですが、行ってみて初めて知ることもめちゃめちゃありますねぇ~(〃艸〃)ムフッ 大森城がいつ築かれたのはよくわからないみたいですね~ ただ、昔から有力国人の城だっ […]

九戸城(岩手県)

九戸城の感想 念願が叶いました~♪ 九戸城です(((o(*゚▽゚*)o)))南部氏を語る上では、北の津軽氏そして南の九戸氏を語らなければならず、特に九戸政実(くのへまさざね)は、南部信直に対し最後の最後まで南部氏の主と認めず反抗を続け、南部信直への反抗から豊臣政権を巻き込んだ反抗となる『九戸政実の乱』へ大きく発展し、豊臣秀吉の天下統一国内最後の戦として九戸城は名を残します。 九戸氏は南部宗家と同じ […]

石川城/大仏ヶ鼻城(青森県)

石川城の感想 石川城、若しくは、大仏ヶ鼻城といい、石川城とは周辺の城と館とあわせて『石川十三楯』と呼びこの13城舘をまとめて『石川城』と呼んでいたみたいです。知らなかった(+_+)因みに・・・13城舘は、大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館の13か所がほぼ一列に配置されていたらしく、せっかくだったら全部廻りたかったなって個人的には思 […]

堀越城(青森県)

堀越城の感想 堀越城は陸奥の雄である津軽(大浦)為信が弘前城を築城するまで居城にしていた津軽氏の本拠地です。築城は1336年頃、北朝方の曽我氏が築城したと言われており、当時、堀越城は武田氏の城となっていましたが津軽為信の父である大浦為則の時に武田氏を降し堀越城を手に入れたんだと思います。その後、息子の津軽(大浦)為信は南部氏からの独立を果たすべく、南部(三戸)晴政と南部(田子)信直との内紛に便乗し […]

大浦城(青森県)

大浦城の感想 正直、大した場所ではないと周りからは言われるかもしれませんが、俺はここに来たいとずっと思っていました・・・大浦城です! 南部氏の陸奥支配のため南部(大浦)光信を津軽西浜の種里城(ちょっと遠いので今回は行けませんでしたが・・・いつかは行ってみたいと思っています)に配置し、南部(大浦)光信が安東氏(藤崎城)の抑えとして大浦城を築き養子の大浦盛信に守らせた城です。 大浦盛信も子供が出来なか […]

藤崎城(青森県)

藤崎城の感想 これまた移動していてたまたま目に留まり行ってみました!!!藤崎城です♪(*`艸´)ウシシシ♪♪♪最初は行き過ぎてしまったのですが、なんとなく戻ろうぜぇ~って話になって、戻って藤崎城の城攻めを開始したら驚きました~ あの『安東氏』の発祥の地である城が藤崎城でしたぁぁぁぁ(´;ω;`)ウゥゥ(感動) 皆さんは安東氏ってあんまりわかんないですよね~苦笑 安東氏は陸奥(東北)の雄ですなぁ~っ […]

七戸城(青森県)

七戸城の感想 七戸(しちのへ)城って読みます(⌒∇⌒)七戸城はその昔は柏葉城と呼ばれており、七戸川近くの標高40mぐらいの小高い丘に築かれた平山城です。七戸城は南部政行の子、根城を築いた南部師行の弟の南部政長が築いたとされておりますが、最近の研究では三戸南部家の流れを組む南部政光が築城した城ではないかと云われているみたいですねぇ~のちに七戸南部家といわれるようになり、南部信直(田子→三戸当主)時代 […]

根城(青森県)

根城の感想 根城は南北朝時代、南朝方の武将 南部師行(もろゆき)が同じく南朝方の武将 北畠顕家が陸奥国司として義良親王を奉じて陸奥国に下向した際に国代として伴に陸奥に下向し、建武元年の1334年に『陸奥における南朝方と南部氏の根本となる城』という願いから『根城』と名付け築城して以来、領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。その願い通り、根城を拠点に根城南部氏や八戸南部氏となり二 […]

剣吉城(青森県)

剣吉城の感想 クルマで移動中に偶然見つけました! 『剣吉城』です♪♪♪((´∀`))ケラケラ めちゃくちゃラッキー♪♪♪ 剣吉城は北信愛(きたのぶちか)の居城であり、主君、南部(三戸)晴政の居城である三戸城から約14㎞(クルマで20分ぐらい)ぐらいの所にあります。三戸城内にある家臣屋敷にも北信愛の屋敷も構えられており、三戸南部家では重臣中の重臣であったことがわかります。1571年頃から始まった南部 […]

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