藤橋城(東京都)
藤橋城の感想 藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/ ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る […]
藤橋城の感想 藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/ ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る […]
勝沼城 / 師岡城の感想 勝沼城は現在の東京都青梅市にある平山城で、鎌倉時代から続く名族三田氏が築いた城と云われています。同じ国人で勢力のあった今井氏が衰退すると三田氏がこの辺一帯に勢力を拡大し国人としては大きくなり、鎌倉時代から約250年以上ここを居城とし三田氏が勢力を持ちますが、小田原から勢力拡大する後北条氏が勝沼城を落城させると、三田氏はさらに西側(山奥)へ約8kmの場所に辛垣城を築き対抗し […]
今井城の感想 現在の東京都青梅市の住宅地の中にあるのが今回城攻めしてみた『今井城』です。今井城は今井氏の居城で、今井氏は『武蔵七党』と云われる『児玉党』に属していたとされます。(児玉党は現在の埼玉県本庄市を中心とする党で、武蔵国児玉郡(現在の埼玉県児玉郡)から秩父~大里~入間郡および上野国南部あたりに勢力があった一族だったとされています。1416年に起きた『上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん) […]
土肥城の感想 『土肥城』は相模国の有力豪族中村党の中の一族で土肥郷(現在の湯河原町)を本拠としていた土肥実平(どいさねひら)が築いた城とされています。土肥実平は『桓武平氏良文流中村宗平の次男が相模国土肥荘に土地を持ち『土肥氏』を名乗ったため『相模土肥氏』の祖となります・・・私が土肥城の土肥氏が大好きなのは、尊敬する『毛利元就公』の三男の小早川隆景が養子に入った家で、この土肥実平の子の土肥 遠平(ど […]
茅ヶ崎城の感想 茅ヶ崎と聞けば・・・『サザン』『夏』『海岸線』的なイメージじゃないですか!(〃艸〃)ムフッなのに!なのに!ですが・・・めちゃくちゃ内陸側(現在の港北ニュータウン近く)で見つけたのがこの城です・・・『茅ヶ崎城』です(^▽^)/~♪♪♪ 現在は公園になっていますが、行ってみて( ゚Д゚)びっくり!?なかなかガチでいけている城跡でしたよ!!!こんな都心っていうか住宅地で最高でした! 行っ […]
鎌田城の感想 鎌田城は1189年に鎌田俊長によって築かれた山城だと云われていますが、はっきりとはわかっていません。。。平治の乱で敗れた源義朝は家臣の鎌田政清(鎌田俊長のお父さん)と共に尾張国に逃亡するが平家側に討たれてしまいます。息子の鎌田俊長は平家の来襲に備える為に鎌田城を築いたと云われているみたいですね。その後、鎌田城は伊東氏の居城となり伊東氏の別の一族は日向国(宮崎)へ下向し一大勢力を築く伊 […]
伝 梶原氏一族郎党(七士)の墓の感想 梶原景時館から東に80mのところに『伝 梶原氏一族郎党(七士)の墓』があります。『伝 梶原氏一族郎党(七士)の墓』には2つの説があり、ひとつ目の説は『1200年頃、梶原景時の一族郎党が一之宮を出発後、清見関(現在の静岡県静岡市清水区)で討死してしまいます!(確かに静岡県の山の上に梶原景時討死の地があったような・・・) 一之宮館の留守居役であった家族や家臣がこの […]
梶原景時館の感想 梶原 景時(かじわら かげとき)の館跡になります!(o^―^o)ニコ 梶原景時は鎌倉時代の源頼朝に仕え有力な御家人のひとりとされています。 調べてみると・・・桓武天皇を高祖父に持つ平良文の子孫らしいですねぇ~!?(@_@)凄い!?『石橋山の戦い』で敗れた源頼朝を救ったことから頼朝に重要視され、東国の荒武者集団の中で珍しく『和歌』などを好む教養人だったとも云われていますね。 源義経 […]
長久保城 / 長窪城の感想 築城時期や築城者はまったく確認されていませんが、鎌倉時代初期に竹之下頼忠が築いた砦が始まりとされています! または、大友親頼(おおともちかより)の三男大友親政が今川氏に仕え駿河国駿東郡(すんとうぐん)長久保に領地をもらったため、大友氏から長久保氏と名を変えとされています・・・けど、そんな時代にマジで豊後・筑後の守護大名だった大友氏の一族がこの駿河国まで来たのかなぁ・・・ […]
今川氏親の墓の感想 1473年、駿河国の守護大名だった今川義忠の嫡男として生まれました。幼名は龍王丸(たつおうまる)です!(^▽^)/ 今川義忠の奥さん(氏親の母親)は北川殿と呼ばれ、あの北条早雲(伊勢盛時 → 伊勢宗瑞)の姉とされています。 まだ氏親が龍王丸だったころ今川家は混乱の最中でした!1476年に今川義忠が遠江国の塩買坂での戦で戦死してしまいます。龍王丸は未だ幼少だったため、家臣の三浦氏 […]