- 2026.08.30
- 入場料無料,
八柳館(秋田県)
八柳館の感想 八柳(やつやなぎ)館は出羽国の国人衆である八柳氏の居城です。戦国大名として地盤を固めつつあった檜山安東氏の安東愛季(あんどうちかすえ)が同族の湊安東氏と『湊騒動』が勃発すると、八柳氏をはじめとする国人衆たちはその合戦に巻き込まれていきます。安東愛季(あんどうちかすえ)が亡くなり安東(秋田)実季(あきたさねすえ)が家督を継ぐと、1589年に『第三次湊騒動』が起きてしまいます。安東実季( […]
八柳館の感想 八柳(やつやなぎ)館は出羽国の国人衆である八柳氏の居城です。戦国大名として地盤を固めつつあった檜山安東氏の安東愛季(あんどうちかすえ)が同族の湊安東氏と『湊騒動』が勃発すると、八柳氏をはじめとする国人衆たちはその合戦に巻き込まれていきます。安東愛季(あんどうちかすえ)が亡くなり安東(秋田)実季(あきたさねすえ)が家督を継ぐと、1589年に『第三次湊騒動』が起きてしまいます。安東実季( […]
六郷城の感想 実は・・・地味ですが・・・私がここ最近でめちゃくちゃ行きたかった城です( `ー´)ノ 『六郷城』です!m(_ _)m 六郷城の生い立ちは・・・笑 二階堂信濃守行光の末裔・六郷弾正道行が、1559年に稲荷岡の東に築城したのがスタートだと云われています( `ー´)ノまた『諏訪神社縁起』によると1384年に鎌倉御家人であった二階堂三郎左衛門道晴が武蔵国六郷より出羽国仙北郡に入国したと云われ […]
払田柵跡の感想 払田柵跡(ほったのさくあと)は、平安時代の初めころ律令国家がこの地方の統一を進めるために造った政治的・軍事的拠点として、また儀式の場としての役割を持っていたと云われています。まぁ~秋田城と同じような役割だったんだと思います(`・ω・´)ゞ 外柵(がいさく)と呼ばれる角材(高さ3.6m/縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8haにもなるめちゃくち […]
孔雀城/孔雀館の感想 孔雀城は先程レポートした土屋館から南へ約3km先に築いた城が孔雀城です(`・ω・´)ゞ 孔雀城の築城は先の土屋館の富樫忠之の子の富樫勝家が築いた城とされており、城と云うよりは『陣屋』のイメージが強い館だったんじゃないかと思います! 土屋館での説明板には『富樫氏は文和年間(1352~55)に加賀国より主従17騎で落ち延び、神宮寺の富樫館に居住していた。永正5年(1508)、富樫 […]
土屋館の感想 土屋館は『つちややかた』ではなく『どやだて』って読みます!!!何度も書いていますが日本語って難しいですねぇ~((+_+)!? でもでも興味深い史跡です( `ー´)ノ この土屋館の説明には『富樫氏は文和年間(1352~55)に加賀国より主従17騎で落ち延び、神宮寺の富樫館に居住していた。永正5年(1508)、富樫氏6代左衛門忠之の代に大曲村の土屋館に移り住み、天文5年(1536)には戸 […]
横手城/朝倉城/阿櫻城/韮城/龍ヶ崎城/衝城の感想 有名な横手城ですヾ(≧▽≦)ノ そぉ~あの横手焼そばの横手城です♪『横手城』はその昔『朝倉城』と呼ばれていましたが、その他にも『阿櫻城』『韮城』『龍ヶ崎城』『衝城』などなど・・・っと呼ばれていたようですね((+_+))1554年に小野寺景道が小野寺家配下だった、横手氏・大和田氏・金沢氏たちの反発を鎮圧して小野寺氏の居城を横手城に移したと云われてい […]
増田城/土肥城/土肥館の感想 増田城は小笠原義冬が1362年~1367年頃に築城したと云われており、その際に愛娘を生贄(たぶん人柱)したと云う悲話が残されている城です。1458年に小笠原氏は小野寺氏との戦いに負け仙北郡の楢岡城に逃げ去ったため、増田城は小野寺氏の家臣だった土肥氏(土肥頼景)が川連大館の亀岡城より移り入城したため、増田城は土肥城とか土肥館(どいだて)とかと呼ばれるようになった様ですね […]
今泉城の感想 今泉城は平城で、城って云うか『館(たて)』の方がイメージしやすいのかもしれませんね!現在の大和神社を中心とした周辺だと思われます。南北朝時代に南朝方の村山義信・隆義親子が築き居城としたと云われています。その後は上杉謙信の跡目を争った『御館の乱(上杉景勝と上杉景虎(北条氏康の息子)が争った)』の際に、上杉景虎が敗れ御館から鮫ヶ尾城へ逃れる途中にこの今泉城に立ち寄ったと云われています。 […]
箕冠城/箕冠山城の感想 日本(漢字)って難しいですなぇ~(=゚ω゚)ノ箕冠城(みかぶりじょう)と読みます!!! 箕冠城は越後国にあり上杉謙信の居城の春日山城や高田城の直ぐ近く、信濃国から越後国に攻められるときの越後国の入口を向かいの山城である鳥坂城と共に抑える非常に重要な位置づけにある山城です。 箕冠城は越後国守護の上杉家の重臣大熊氏が守る重要な城で、上杉謙信の時代には大熊朝秀(おおくまともひで) […]
本堂城の感想 本堂城は本堂氏が築いた平城で、『戸沢三十五城』の1城と云われています。城跡の北西側を矢島川が南西方向に流れており、東西182m・南北273mの矩形をなして幅は約10mで東西南北にめぐらされ内堀が築かれていた様です。本堂城の周囲には内堀に接して高さ4mの土塁が築かれていた様で、今ではよくわかりませんが西門の付近に少し土塁の形跡が確認できます!本堂氏は清和源氏の流れを組む一族で鎌倉時代に […]