孤高の反逆児ポンタ

36/45ページ

皆川城(栃木県)

皆川城の感想 東北道の佐野ICの間、栃木ICの手前にあり東北道走行中にも確認できます山城。『皆川城』です!((´∀`))ケラケラ 遠目からでも『山城』と見分ける力を得ました!笑別名が『法螺貝城』と強烈な城名です!!!その名の通り法螺貝状に築城された山城みたいで実際に城攻めしてみるとその面影がビンビン伝わってきます! 代々、皆川家の居城で宇都宮家の圧力を受けて帰属したり離反したりを繰り返し、その後、 […]

白河小峰城(福島県)

白川小峰城の感想 東北三名城の一つとなります『白河小峰城』です。別名を『白河城』『小峰城』とも言います。 スタートは南北朝時代に結城親朝が平山城を築いたのが始まりで、本格的な城郭を築いたのは約20㎞先の棚倉城から移ってきた丹羽長重が幕命により3年の月日をかけて築いた城です。(長重は織田四天王の丹羽長秀の長男です) 個人的に感じるのは・・・北に阿武隈川を天然の巨大な堀を形成し、谷津田川の間に城を築き […]

会津若松城/白虎隊自刃の地(福島県)

会津若松城(鶴ヶ城)の感想 有名な福島を代表する名城『会津若松城』です。別名を鶴ヶ城ともいい美しさを表現しているのでしょうか?笑会津若松城も別名かもしれませんね。文献では『若松城』若しくは『黒川城』を記載されている方が多いです。 黒川城の名の通り蒲生氏郷が入城し『若松城』と名前を変えました。それまでは蘆名(あしな)氏7代目当主の蘆名直盛が黒川館を構えたのがスタートみたいですね。当時はその名の通り館 […]

竹田城(兵庫県)

竹田城の感想 日本のマチュピチュと呼ばれる『竹田城』です。超!超!超!!!有名で憧れのお城ですね((´∀`))しばしば『雲海に浮かぶ城』『天空の城』と呼ばれますが、竹田城の真下を流れる円山川の川霧が現象的な風景見せてくれます。 当時は但馬・丹波のあたりに権力を広げる山名氏の配下だったと思われ、築城は『応仁の乱』の西軍総大将としても名高い但馬守護山名宗全(持豊)らしく、その後は太田垣光景を初代城主と […]

宇和島城(愛媛県)

宇和島城の感想 『宇和島城』です!((´∀`))別名は『鶴島城』です!!!!!!!!! 現存12天守(現存天守)の一つ。仙台から分家した伊達氏が築いた城だと思っていたんですが、元々は伊予南西部エリアを支配していた西園寺(さいおんじ)氏が築いていた板島丸串城の跡を築城の名手藤堂高虎が築き直したお城みたいですね。 現在は勿論本丸(本城)付近しか残っていませんが、二の丸・三の丸っと現在の市街地を取り込ん […]

平井城(群馬県)

平井城の感想 今日は朝から・・・群馬県藤岡市をぶらぶらしていました(^ ^)朝の8時! 流石に人っ気がありませんなぁ〜笑笑関東管領上杉憲政の居城『平井城』です。 鮎川を天然の堀として、逆方面は平井城を中心とした城下町が広がっていたと思います。今は何ともない城址公園となっています。ここから眺める関東平野は凄く石高(お米)が見込まれたんだと思います。 なのに何でこんなに弱い上杉憲政???(T ^ T) […]

久留里城(千葉県)

久留里城の感想 今日は朝から久留里城でーす(* ´艸`)別名を『雨城』とも呼ばれていました。 ここは、里見さんが北条さんに攻められた時に籠城し撃退したお城です。もともとは上総武田氏の武田信長によって築かれた城ですが、その後、里見氏の城となり改めて縄張りし久留里城を築城、関東へ進出してくる北条氏に対して佐貫城と共に久留里城が対北条氏との最前線基地として重要視されたお城です。 江戸中期には久留里藩から […]

田辺城(京都府)

田辺城の感想 京都の舞鶴にある『田辺城』です。別名を舞鶴城(ぶがくじょう)ともいいます。 関ヶ原の前哨戦の時に細川藤孝さんが田辺城籠城戦を500名ぐらいで戦った城だったので期待して行ってみたのですが、今ではすっかり住宅地の中の公園になっていました。 細川藤孝さんってすごく変わった武将ですね。大河ドラマで有名になりましたが、足利将軍を担ぎ全国を流浪し最終的には織田信長に仕え武門の人でありながら文学に […]

難波田城(埼玉県)

難波田城の感想 買い物の帰りに何気なくみつけた『難波田城』の看板を発見し立ち寄ってみました。 埼玉の住宅地の中にある城跡を利用したのどかな公園になっていました。その昔、武蔵七党という武士団がいたらしく、そのうちのひとつ村山党の金子さんって方がここ難波田村に住み着いて、難波田さんを名乗ったとか。。。 難波田氏は扇谷上杉氏に従っていましたが、川越の野戦で北条氏康軍に扇谷上杉連合は歴史的な大敗・・・共に […]

相合四郎元網のお墓(広島県)

相合四郎元網のお墓の感想 相合四郎元綱のお墓です。腹違いではありますが、毛利元就の唯一残された弟です。 武田元繁が攻めてきた時は毛利元就の右腕としてよく戦い!元々は元就とも仲が良かったんじゃないかと勝手に想像しています。『今義経』と呼ばれるぐらいの武勇の人。 しかし、家督争いの際にで宿老坂広秀らに担がれて元就に謀反を企んだため殺されてしまいました。(尼子経久や高橋氏の謀略とも思われます・・・) お […]

1 36 45