淡河城(兵庫県)
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]
山名伊豆守時氏公之墓の感想 山名時氏は一代で急成長させた英主と称されます(。◕ˇдˇ◕。)/ 山名時氏は鎌倉時代末期~南北朝時代に掛けて活躍した武将で、当時は伯耆国・出雲国・隠岐国・若狭国・丹波国などなどを支配する守護代大名で『太平記』にも登場する武将です。足利尊氏・直義兄弟の母である上杉清子は山名時氏の母方の従姉妹にあたる様です。山名氏は元々上野国(こうずけのくに)の新田氏の一族だった山名政氏 […]
岩倉城 / 岩倉山城の感想 現在の鳥取県倉吉市岩倉にある岩倉城です!!!ここは行ってみたかったお城なのですが・・・全く入口がわからず(もしかしたら民家を抜けないとだめだったのかもしれません)、案内板で大興奮した後・・・1時間以上炎天下の中でさまよって断念してしまいました~( ノД`)シクシク…~くやしぃぃぃぃぃぃぃ!!!! 岩倉城は小鴨(『こがも』ではなく『おがも」って呼びます)氏の居城で、尼子氏 […]
三刀屋城の感想 三刀屋城は山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝にあり、三刀屋氏は出雲国において有力な国人衆として存在しています。三刀屋氏は清和源氏満快の流れを組む伊那氏の一族らしく、その子孫が出雲国飯石郡三刀屋荘の地頭職となり、その地名から三刀屋氏を名乗ったのが始まりらしいですね。約20㎞離れた場所にある三沢城の三沢氏もそうですが、出雲国には信濃国から移ってきた人が多いんだなぁ~って感 […]
大江広元邸址の感想 『大江広元邸址』屋敷は、大江広元のお墓がある山の下にある明王院の向かい側、『明石橋』の交差点の所に滑川が流れていますが、その滑川沿いに屋敷があったものと思われます。 『大江広元邸址碑』にはこぉ書かれていました・・・(=゚ω゚)ノ『大江氏 奕世(えきせい:累代)学匠として顕(あらわ)る 嘗(かっ)て匡房(まさふさ) 兵法を以て義家に授く 広元は其の匡房の曽孫(ひまご)なり 頼朝に […]
伝 大江広元の墓の感想 大江広元は毛利元就の祖として、私とかはとても重要な人物と考えていました。(毛利元就も一時、幕府側に出す書状に大江元就と記載していたことがあります) 大江広元は京都の儒学を専門とする京都で朝廷に務める下級貴族だった中原広季の養子となったとあります。大江広元もその時は中原広元と名乗っていたようですね。途中、1216年にあらためて大江広元と改めた様です。京都にいたころ、兄の中原親 […]
遠江 飯田古城 太田川東岸中飯田の段丘上に『曹洞宗崇信寺』があります。 山門前の寺名を刻んだ石柱には『飯田城主山内対馬守開基』と記載しています。 ここが『遠江飯田古城』があった場所だと思われます♪山内氏は鎌倉期に飯田荘の地頭となり、次第に勢力を拡大して室町期には天方本城を中心に勢力を拡大し、今度は約7km先に南下し新たに遠江飯田古城を山内対馬守道美が築いたとされています。その後、山内道美の孫となる […]
加古川城の感想 加古川城は羽柴秀吉(織田軍)が毛利氏討伐について話し合い(加古川評定)を行ったお城になります。この加古川評定に三木城の城主だった別所長治は参加せず、別所氏はその後、織田氏から離反していき三木合戦へと繋がっていきます。この加古川城の城主は粕屋武則という武将で、豊臣秀吉の賤ヶ岳の七本槍として活躍した武将の一人です。糟屋氏は源頼朝から平氏討伐の褒美として糟屋有季(かすやありより)がこの加 […]
向石毛城 / 平将門公本拠豊田館跡の感想 向石毛城は鬼怒川を挟んで石毛(本石毛)城の西側にあります。ここは 平良将(平将門の父)が豊田館をこの地に築き、平将門 もここで誕生したということが碑文には書かれていました(⌒∇⌒) 後に豊田氏が城を築いたとも云われています。(難しいのは、近くに模擬の豊田城があり、また、鬼怒川沿いにも豊田城跡https://jh.irukamo.com/post-3058 […]
源頼朝の墓の感想 源頼朝の墓は、鎌倉市の白旗神社の高台にあります。源頼朝は皆さん知っての通り初代『鎌倉殿』で貴族の世の中から武家の世の中に最初に導いた人です。源平の合戦や義経の追討など一番最初に知った武家社会の政治家のようなイメージがありますね。そんな源頼朝の最後(死に方)は、1198年の12月27日に相模川の橋供養からの帰路中の稲村ガ崎で落馬し、その落馬が原因で翌年の1199年1月13日に亡くな […]