鎌倉時代

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池和田城(千葉県)

池和田城の感想 鎌倉時代の名門、三浦氏の一族がこの地に移った和田正治が築いたと云われています。池和田の地名も和田氏に由来するもんなのかなぁ???(=゚ω゚)ノ 戦国時代に入ると和田氏ではなく多賀氏が池和田城の城主となり、常に里見氏と行動を共にした様ですね。池和田城主多賀高明は里見義堯(さとみよしたか)に従軍し第一次国府台合戦・第二次国府台合戦に参戦。結果はすべての合戦に惨敗し勝ちに転じた後北条氏は […]

奥津城 / 興津城 / ゆうげの城(千葉県)

奥津城 / 興津城 / ゆうげの城の感想 千葉県勝浦市興津字要害にある山城の奥津城/興津城(おくつじょう)です( `ー´)ノ奥津城は1258年頃に地元の武将佐久間兵庫介重吉とその子佐久間兵庫頭重貞によって築城されたと云われています。その後は、真里谷(まりがやつ / まりやつ)氏(真里谷氏は上総武田氏ですね!)や正木氏の傘下に入ります。正木氏が奥津城/興津城を傘下に治めたのは1544年頃だと思われ、 […]

山口城 / 児泉城(埼玉県)

山口城 / 児泉城の感想 たまたま所沢付近をクルマで走っていたら信号機に『山口城跡前』ってあるのを発見したので、急遽、この辺りをウロウロして発見しました!<(`^´)> 山口城は平安時代末期の頃、武蔵国の武蔵七党のひとつ村山党の山口家継が築城したと云われ、その後は代々山口氏の居城だった様です。当初は曲輪と土塁ぐらいだった様ですが、周りの地名からしても室町時代の頃には徐々に大きくなり堀や […]

西別府氏館(埼玉県)

西別府氏館の感想 東別府に居住した別府行隆が東別府館(別府城)を築いた後に、次男の別府行助が西別府館を構えた居城としました。別府氏は平安時代末期から鎌倉時代にかけて本家の成田氏とともに武功をあげて、武蔵国内での地位を確立していったようです。別府氏は源義仲追討の時に源頼朝の命を受けて源範頼に従ったとされており、また、源義経に従い平家追討にも出陣し、一の谷の合戦などでも功を上げたと伝わっています。南北 […]

東別府氏館/別府城(埼玉県)

東別府氏館/別府城の感想 東別府氏館は元々別府氏の別府城だった様で、途中で次男の別府行助が西別府氏館を構え移っていったため、別府城は東別府氏館と呼ばれるようになった様です。 別府氏は元々成田氏の流れを組む一族らしく、成田氏館を築城した成田助高の二男の成田行隆が別府の地を領有し別府氏を名乗ったのが始まりだと云われており、別府行隆の長男義行が東別府氏館/別府城を築き居城したと思われます。別府氏は源頼朝 […]

成田氏館(埼玉県)

成田氏館の感想 成田氏って一部の方はご存知ですよね!ヾ(≧▽≦)ノ成田氏ってあの映画『のぼうの城』で有名になった、成田長親と甲斐姫(これは本家成田氏の氏長の娘)が石田三成率いる豊臣軍と対峙して(小田原征伐)一歩も引かず小田原城が降伏するまで戦い抜いた『忍城』の城主のイメージがあると思います( `ー´)ノ でも結構、成田氏って曲者だなぁぁぁぁ・・・って思っています( ̄▽ ̄)苦笑 成田氏の出どころは二 […]

徳川義季館跡(徳川館)(群馬県)

徳川義季館跡(徳川館)の感想 徳川義季館跡(徳川館)はこの前に書いた記事、徳川館跡の新田義重の宝塔のすぐ近くにあります。徳川義季は新田義重の次男(四男とも)とされ、徳川氏の祖、初代徳川氏ということになります。あの天下統一をした徳川家康の徳川家の発祥が群馬県だったとは驚きませんか?徳川家康は元々は松平でしたが、官位(三河守)をもらうためには松平性ではダメとされたために祖先が新田氏の徳川氏に行き着くと […]

徳川館跡の新田義重の宝塔(群馬県)

徳川館跡の新田義重の宝塔の感想 徳川館跡にある新田義重の宝塔ということですね。ということはここは徳川館の敷地内に当たる場所ということになるんだと思いますが、周りは畑で住宅もありますが、城跡らしい痕跡はこの場所では感じ取れませんでした。この宝塔の麓から2つの遺骨が出たとのことなので、新田義重とその妻では無いかと考えられているようです。新田義重(源義重)は新田氏の祖でこの新田の荘をもらったことで新田氏 […]

反町館跡/新田義貞公古城跡(群馬県)

反町館跡/新田義貞公古城跡の感想 新田義貞の居城とも言われている反町館に行ってきました。築城は鎌倉時代から南北朝時代頃とされているので、13世紀から14世紀ごろでしょうか?最初は一重の掘りだったようですが、戦国時代には三重堀に拡張されたとのことです。現在の堀跡は道路工事などで当時のものというわけではないみたいですが、綺麗な水堀なので見る価値ありです! お城の遺構らしきものはほとんど残っていないです […]

倉賀野城(群馬県)

倉賀野城の感想 倉賀野城は武蔵七党の兒玉党(秩父氏)がこの倉賀野の地へ来て、秩父三郎高俊が倉賀野氏と名乗ったことで始まったとされています。この秩父氏ですが、名前的に武蔵七党の秩父党の秩父氏のイメージですが、兒玉党の秩父氏というのも面白いですね。 倉賀野氏は関東管領・山内上杉氏に支えていたので戦国時代には上杉氏と武田氏の戦いに巻き込まれていきます。というか、「倉賀野一六騎」と呼ばれ武田信玄の攻撃をな […]

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