室町時代(主に南北朝時代)

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筒井城(奈良県)

筒井城の感想 筒井城です。筒井氏は大上神社の神官・大神氏の一族と言われ、大和国添下郡筒井の有力国人として勢力を持っていた一族で、筒井順興の時代には当時大和国の守護職だった興福寺を背景に勢力を拡大していた。その子、筒井順昭の時代に大和国を統一し全盛期を迎える。しかし、順昭は病になっており急ぎ比叡山に入り生まれたばかりの嫡男・藤勝(順慶)へと家督を譲り(当時2歳ぐらい?)、家督を譲った20日後、順昭は […]

白井城(群馬県)

白井城の感想 白井城は群馬県渋川にある城で、山内上杉氏の家宰であった長尾景仲が築いた城と言われ、この長尾景仲は「関東不双の案者(知恵者)」と称され、孫には北条早雲と同じく下剋上の雄のひとり長尾景春や、外孫には名将太田道灌がいるなど、なかなかの人物であったようです。 白井城は利根川と吾妻川の合流地点に突き出すような台地に築かれた城で、東西800m・南北1200mの規模の城で、中央に本丸を構え、二の丸 […]

沼田城(群馬県)

沼田城の感想 戦国時代に越後の上杉、相模の後北条、そして甲斐の武田が争った要衝の地であり、軍事上の重要拠点として『関東平野への入口』とされていたため、多くのドラマが生まれた城です。 築城は鎌倉時代からこの地で有力な国人であった沼田氏であった、第12代当主 沼田万鬼斎顕泰が築いたとされており、当時は沼田の倉内の地に城を築いたことから『倉内城』とも呼ばれていた様です。 沼田城が激戦の舞台に躍り出るのは […]

大庭城(神奈川県)

大庭城の感想 大庭城は訪れたい城のひとつでした((´∀`)) 大庭城は古くは平安時代に桓武平氏の流れを組む鎌倉景正によって築かれた(当時は館みたいなものだと思いますが)とされ、後にこの地の名をとって大庭氏と名乗り、築城は大庭景親の父である景宗によって築かれた城らしいです。大庭景親の時代には相模国の大物となっており、平清盛の信頼もとても厚かったようです。 伊東祐親と共に大庭景親も源頼朝の監視役だった […]

早川城(神奈川県)

早川城の感想 早川城は現在の神奈川県綾瀬市にある城です。 早川城は鎌倉時代に活躍した渋谷氏が築城したといわれており、渋谷重国の時に源頼朝の家臣である御家人となり早川城一帯の地域を統率していたと思われます。その後、息子の高重が跡を継ぎますが1213年(建暦3年)に和田義盛が起こした反乱『和田合戦』の際に、渋谷高重は和田義盛に組したため討たれてしまいます。 他の渋谷一族は許され宝治合戦の際には多くの軍 […]

権現山城(神奈川県)

権現山城の感想 大都会の真ん中に城と合戦場があります!!! 権現山(ごんげんやま)城です(^▽^)権現山城は横浜駅のすぐ隣神奈川駅の目の前にあり、今は住宅と公園になっています。 権現山城は扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎ)の家臣であった上田氏の居城で、出自は武蔵七党のひとつである西党の流れを組む上田氏の嫡流、上田政盛の城であったとされています。自らの支配地域だった神奈川県湊地域を主君であった扇谷上 […]

三崎城(神奈川県)

三崎城の感想 三崎城は定かではありませんが、三浦半島に勢力を覇っていた三浦氏が築城したと云われております。三崎城はたぶんですが、三浦氏が居城とした新井城と岡崎城支城として重要な城だったと思われますが、北条早雲に攻められて三浦道寸が自決し三浦氏が滅びると支城としての役割は無くなり、その後は北条早雲や氏康の保養城?として利用されたみたいですね(〃艸〃) 今は・・・・・三崎城としては跡形もありませーん( […]

北条城(新潟県)

北条城の感想 北条(きたじょう)城と呼びます。北条城は上杉謙信の家臣だった北条高広の城で、その昔は鎌倉幕府時代に源頼朝の重臣だった大江広元が四男季光が相模原毛利荘を貰い毛利季光となり、季光の四男経光が越後国刈羽郡佐橋荘南条を与えられ入国したことから始まります。その南条の地に館を築き毛利経光→基光(嫡男)→時元(嫡男)と続き毛利から南条の名を語っていた様ですが、時元の時代に南条(なんじょう)から北条 […]

安田城(新潟県)

安田城の感想 越後国(新潟県)には安田城が2城あります。安田城 (越後国蒲原郡:現在の新潟県阿賀野市)は鎌倉時代初頭に伊豆の大見氏が地頭として入国し築いた城の様で、その後、越後大見氏は安田氏を名乗ることとなり安田氏は上杉謙信の家臣として活躍したそうです。 一方、今回紹介したい安田城 (越後国刈羽郡:現在の新潟県柏崎市)は、たぶん、入国時期は大見氏と同じぐらいだと予想される鎌倉時代に、鎌倉幕府の重鎮 […]

相馬中村城/中村城/馬陵城(福島県)

相馬中村城の感想 相馬中村城です。戦国時代から江戸時代にかけて相馬氏の居城として長く続き、中村藩の中心的役割を果たしていました。その頃は馬陵城(ばりょうじょう)と呼ばれており、その頃から馬を連想させるお城だったんですね。 南北朝時代に中村氏によって築かれた(当時は館かな?)とされており、小高城の相馬盛胤が勢力を拡大させると、次男の隆胤が相馬中村城に入城した様です。伊達氏や田村氏との南陸奥での戦いが […]

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