戦国時代(室町・安土桃山時代含む)

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十二丁目城/獅子ヶ鼻城(岩手県)

十二丁目城/獅子ヶ鼻城の感想 十二丁目城(じゅうにちょうめじょう)と読みます。そのまま読むんだ笑築城時期は不明ですが、稗貫氏(ひえぬきし)の家臣だった伊藤氏が十二丁目氏を名乗って居城にしたとのことです。1590年の奥州仕置によって稗貫氏、十二丁目氏も滅ぼされて寺林城同様に浅野氏が十二丁目城に入りますが、1592年に廃城になったとのことです。 現在の城跡ですが、遺構は水田になってしまっており残ってな […]

寺林城(岩手県)

寺林城の感想 寺林城(てらばやしじょう)は鎌倉時代、1279年に河野通重(かわのみちしげ)によって築城されたと言われています。名前だけ見た時に甲斐の武田家臣の河野通重が最後は岩手県に来ていたのか。と思いましたが同名の別の武将でしたね。ただ、伊予国(愛媛県)の河野氏の家系であることはどちらの武将も変わらないので、同じ家系の別時代の同姓同名の武将ということになります。ややこしい笑 でも、鎌倉時代に伊予 […]

高水寺城/斯波御所/郡山城(岩手県)

高水寺城/斯波御所/郡山城の感想 名門奥州斯波氏の居城、高水寺城(こうすいじじょう)です。斯波御所とも言われます。高水寺城は1335年に奥州管領として斯波家長がこの地に来た時に築城されたと言われています。そこから約400年間もの間、斯波氏の居城として使用されます。そんな名門だった斯波氏も戦国時代に入り、南部氏が力をつけてくると、南部氏から養子として中野康実を送りこまれます。これ以降、斯波家の乗っ取 […]

久々館(岩手県)

久々館の感想 たまたま見つけた久々館遺跡の標柱。どんな館跡なのかと車を止めて見て見ましたが藪に覆われて遺構などはわからず。また、道路整備の際に作られたもののようで関係ないみたいです。 久々館(くくだて)は書物など資料には出てこないようで伝承とかも謎のようですが、状況から判別して中世から近世にかけての方形の居館跡とのことです。現在は中央部を南北に通る県道盛岡石鳥谷線によって東西に分断されてしまってい […]

本堂城(秋田県)

本堂城の感想 本堂城は本堂氏が築いた平城で、『戸沢三十五城』の1城と云われています。城跡の北西側を矢島川が南西方向に流れており、東西182m・南北273mの矩形をなして幅は約10mで東西南北にめぐらされ内堀が築かれていた様です。本堂城の周囲には内堀に接して高さ4mの土塁が築かれていた様で、今ではよくわかりませんが西門の付近に少し土塁の形跡が確認できます!本堂氏は清和源氏の流れを組む一族で鎌倉時代に […]

太田城(秋田県)

太田城の感想 『戸沢三十五城』のひとつとされる太田城です(=゚ω゚)ノ大仙市にある太田城跡は小神成(こがなり)地域の隣「築地古館」と呼ばれる場所にある城館跡です。現在は、大仙市太田支所や幼稚園敷地となっています。築城は太田四郎秀頼が築城したと云われており、その後の書物には『太田城は太田小治郎某の居城』とされている様で、1587年の唐松野合戦においては太田源七郎名が記載されている様です。東西65m× […]

角館城/小松山城/古城山城(秋田県)

角館城/小松山城/古城山城の感想 1424年頃、門屋城の戸沢氏は南に約9km先の角館城に移動し居城としたらしいのですがそれもいろいろったらしく、角館城の前身の小松山城を築城したと云われる戸沢家重臣の菅能登守利邦(若しくは、角館能登守)が上浦郡の小野寺氏と通じて戸沢氏に対し謀叛を起こしたため、主君の戸沢飛騨守家盛は謀反がわかると小松山城(角館城)に攻め込み菅能登守利邦(角館能登守?)を討伐し小松山城 […]

湊城(秋田県)

湊城の感想 湊城の築城時期はよくわかっていませんが、安藤(安東)康季(あんどうやすすえ)が1436年に将軍野(土崎の東に広がる平原、現在は住宅地)の西北に城を築いたと云われています! 元々、土崎湊の地は1395年には十三湊を下国安藤(安東)氏の一族の安藤(安東)盛季の弟の安藤鹿季(あんどうかのすえ)が支配し居城としたと思われます。安藤鹿季は後に湊氏を名乗り、更に秋田城介と名乗った様ですね。その後、 […]

雀舘(秋田県)

雀舘の感想 雀館(すずめだて)は五城目城/砂沢城の支城として築かれた様です。現在は雀館公園として整備されています。周囲に帯曲輪状の平坦地が見られる程度で明瞭な遺構は残っていなかったです。道路を跨いで体育館側に県指定の『雀館古代井戸』が残っていました(`・ω・´)ゞ 雀舘画像ギャラリー これが『雀館古代井戸』です!(。◕ˇдˇ​◕。)/ 雀舘情報 築 城 不明(1590年頃?) 城 主 不明(五城目 […]

五城目城/砂沢城(秋田県)

五城目城/砂沢城の感想 五城目城/砂沢城は1590年頃に築城されたと伝えられていて、五城目/砂沢城の城主は藤原李盛(藤原内記?)だった様です。1588年頃に安東氏の内紛が勃発(湊騒動)後に、五城目/五十目地域を支配した藤原氏は後に五十目氏を名乗る様になります。城主は藤原四郎右衛門秀盛(秀兼)であり、856石の知行を持って檜山安東氏に属したようですね。。。五城目城/砂沢城に移った後に五十目内記秀盛と […]

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