角館城/小松山城/古城山城(秋田県)

角館城/小松山城/古城山城(秋田県)

角館城/小松山城/古城山城の感想

1424年頃、門屋城の戸沢氏は南に約9km先の角館城に移動し居城としたらしいのですがそれもいろいろったらしく、角館城の前身の小松山城を築城したと云われる戸沢家重臣の菅能登守利邦(若しくは、角館能登守)が上浦郡の小野寺氏と通じて戸沢氏に対し謀叛を起こしたため、主君の戸沢飛騨守家盛は謀反がわかると小松山城(角館城)に攻め込み菅能登守利邦(角館能登守?)を討伐し小松山城(角館城)を攻め落とします。
戸沢家盛は攻め落とした小松山城を自らの居城とし門屋城から移り住み小松山城から角館城と名称を変えたようですね。
角館城に入った戸沢家盛は土着の豪族を次々と従えて北浦地方で勢力を増すと、平鹿郡・雄勝郡に勢力を張っていた小野寺氏との間に確執が生まれるようになります。すると1541年に小野寺氏は戸沢氏の出城である小館城を攻め、臣下につくよう要求した。戸沢道盛はこの要求を退け、近隣の楢岡氏、本堂氏、六郷氏、白岩氏らの協力を得て小野寺勢を撃退した。戸沢氏第16代目当主となった戸沢通盛のころ1541年には小野寺氏は戸沢氏の出城である小館城を攻め、臣下につくよう要求した。戸沢道盛はこの要求を退け、近隣の楢岡氏、本堂氏、六郷氏、白岩氏らの協力を得て小野寺勢を撃退した。また、戸沢道盛の子の戸沢家第18代目当主の戸沢盛安(第17代目当主の兄の戸沢盛重を継ぎ)は1584年に唐松野合戦においては小野寺氏と戸沢氏の確執を突いた安東愛季の攻撃を退けることに成功します!!!これにより戸沢盛安は『夜叉九郎』と呼ばれ、その武勇は近隣に鳴り響いたと云われています。
この戸沢盛安はなかなかの奴で、武勇もですが1587年には豊臣秀吉の小田原の陣に一早く駆けつけ本領を安堵されるなど先見力も優れていたと思われます。しかし、戸沢盛安はその陣中に病没してしまいます。。。後を継いだ戸沢盛安の子の戸沢政盛も先を見間違えることなく関ケ原の際は東軍側に付き、西軍側の上杉氏の酒田城を攻めるなどしています。
1602年になると戸沢家は常陸国茨城郡小河城に4万石に転封され移っていきます。。
その替わりとして出羽国には佐竹義宣が転封され入国し、角館城は佐竹義宣の弟の蘆名義広(あしなよしひろ)が入城し今の角館城へ改築したと思われます。
1615年の一国一城令に伴い角館城は廃城となり蘆名義広は城下の館へ移動します。1652年になると蘆名氏が断絶すると佐竹北家の佐竹義隣(さたけよしちか)が入国し佐竹氏が明治維新まで続いたようですね。

角館城/小松山城/古城山城画像ギャラリー

現在は古城山公園として整備されています。遺構はほとんど残っていないみたいですね・・・残念です(´;ω;`)ウッ… 頂部までは車道(自動車通行止となっている)と遊歩道が設けられているため、熊に怯えながら遊歩道を登って行きたいと思います。

どんどん進みますよぉぉぉぉ~ 熊よけの笛を吹いてもらいながら進んでいきます♪

お!!!開けてきました!!!(`・ω・´)ゞ

一旦・・・見晴らしは勿論いいですね♪(●^o^●)

頂上に着きました♪(=゚ω゚)ノ

角館城周辺おすすめグルメ情報

安藤醸造 北浦本館の中にある土鍋屋

雨でずぶ濡れの我々です。。。温かいもんが食べたくて飛び込んでみました!!!『安藤醸造 北浦本館』の中にある『土鍋屋』さんです(●´ω`●)

身体を温めるために一番人気の看板メニュー『旨辛味噌ラーメン+ライス付』を注文(=゚ω゚)ノ ついでに餃子も頼んじゃいましたぁぁぁ~♪

いやぁぁぁ~めちゃくちゃ温まりましたぁぁぁ~(●´ω`●) 生き返りました♪

『安藤醸造』さんは享保から角館に地主として住んでいた歴史があり、その副業として味噌醤油の醸造をはじめた様です。味噌の仕込み樽に嘉永六年の銘がありそこから『安藤醸造』が始まったと云われています。
『安藤醸造 北浦本館』は本店の安藤醸造から離れた観光施設としてあり入りやすいです♪醤油と味噌がメインですが、私は『 寒こうじ 』商品(6種類パック)を購入して帰りましたが、未だにめちゃくちゃ重宝しています(≧◇≦)旨い♪

安藤醸造 北浦本館(土鍋屋)へのアクセス

角館城/小松山城/古城山城情報

築 城1424年
城 主戸沢氏、蘆名氏、(佐竹氏)
住 所秋田県仙北市角館町古城山
種 別山城
廃 城1620年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

角館城/小松山城/古城山城へのアクセス

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