島津義弘居館跡/御屋地跡(鹿児島県)
島津義弘居館跡/御屋地跡の感想 島津義弘居館跡へ行って来ました!島津義弘が松尾城からこの帖佐へ移ってきて建てた館になります。現在は稲荷神社になっていました。石垣は当時のもので復元?使用されているみたいでノミで石を割った後など当時の痕跡が残っています。1595年に松尾城から島津義弘が移ってきて1606年まで義弘の居館として使われます。島津義弘が平松城へ移った後は、御屋地様(おやじさま)が居館として使 […]
お城の中でも平地に築かれた平城や丘陵、低山などに築かれた平山城を表示しています。
島津義弘居館跡/御屋地跡の感想 島津義弘居館跡へ行って来ました!島津義弘が松尾城からこの帖佐へ移ってきて建てた館になります。現在は稲荷神社になっていました。石垣は当時のもので復元?使用されているみたいでノミで石を割った後など当時の痕跡が残っています。1595年に松尾城から島津義弘が移ってきて1606年まで義弘の居館として使われます。島津義弘が平松城へ移った後は、御屋地様(おやじさま)が居館として使 […]
小浜城 / 雲浜城の感想 小浜城は『こはまじょう』ではなく『おばまじょう』って読みます!やっぱ日本語は難しいぃぃぃぃぃ~(´;ω;`)ウゥゥ また、別の名を『雲浜城』と云い『うんぴじょう』って呼びます! やっぱり難しいぃぃぃぃぃぃぃ(;゚Д゚) 関ケ原合戦後、1601年に若狭国に入国した京極高次が小浜城を築城し始めました。その後、新たに入った酒井忠勝が小浜城の完成に着手!縄張りも拡大しながら現在の […]
後瀬山城跡守護居館跡 / 若狭武田氏館跡の感想 後瀬山城跡守護居館跡/若狭武田氏館跡は、若狭国を治める守護大名の武田氏の館とされ、その裏山が若狭武田氏の居城『後瀬山城』ですね(=゚ω゚)ノ当時、全国でも有数の国際港湾都市となっていた小浜を統治するために、館の後背にそびえる後瀬山に城を築き、実質の政務はここ後瀬山城跡守護居館跡 / 若狭武田氏館跡で行っていたんじゃないでしょうか? 後で後瀬山城のレポ […]
別府城/加世田城の感想 お城の名前だけ見ると間違えてしまうかと思いますが、こちらは鹿児島県南さつま市にある別府城になります。別名「加世田城(かせだじょう)」とも言います。別府城は1177年に別府忠明によって築城されたお城になります。この別府氏は桓武平氏の流れをもつ家系で、平貞時を祖とする平氏一族とされているようです。別府氏は1177年から1420年まで別府城の城主としてこの地を治めますが、島津家第 […]
宮津城の感想 宮津城にはてこずりました・・・(ノД`)・゜・。細川(当時は長岡姓)藤孝(名将ですねぇ~♪)が築城した宮津城だったので、めちゃめちゃ興味があり城攻めしてみましたが・・・ほぼほぼ城郭は住宅地として再開発され跡形も無くなっていました・・・(´;ω;`)ウッ… それでも宮津城の形跡を追い宮津市の市内をあっちに行ったりこっちに行ったり右往左往です!丹後国守護大名の一色氏を滅ぼした細川藤孝は […]
大久保山城 / 大窪山城の感想 大久保山城/大窪山城は小倉氏が築いた城の様ですが明確にはわかっていません。小倉氏は丹後国守護大名一色氏の傘下にいた国人衆らしく、細川氏と明智氏が丹後国に攻め込み『降参する者は除名する』との投げかけに降参した者の中に『小倉播磨守』が含まれていたとされています。『宮津府志』ではその小倉播磨守の傘下だった野村将監という武将がおり、その野村将監が大久保山城/大窪山城の城主だ […]
内城の感想 内城は戦国時代のお城としては珍しく平城であまり戦闘のことは考えていなかったお城と思われます。しかも島津家として50年間も居城にしていたお城と考えると違う意味で島津家の凄さがわかる気がします。内城は島津家の第十五代当主「島津貴久」によって1550年に築城されたお城になります。島津貴久は有名な島津4兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の父親になります。この4兄弟があるのも貴久の活躍があってこそで […]
平松城の感想 平松城は蒲生氏が敗れた後に島津義弘が岩剣城の在番を任されて入りますが、岩剣城が山城で普段の生活に使うには厳しい場所にあったために、麓にこの平松城を建てました。お城の築城としては1554年ごろかと思われますが、島津義弘が平松城(屋形)を居館としたのは1605年ごろから1615年ごろまでとされています。1607年に島津義弘の夫人がこの場所で亡くなられているとのことです。島津義弘はその後、 […]
山名館跡の感想 清和源氏の流れで新田義重の子(庶子)義範が上野国碓氷郡八幡荘の山名郷を与えられたことから、山名を名乗る様になり山名義範を名乗ったのがはじめとされるみたいです(o^―^o)ニコ その山名義範がこの現在の高臺寺(高台寺)に館を構えたのが始まりらしく、山名義範は源頼朝の御家人として兵て討伐にも源義経に従い一ノ谷の戦いで活躍し、清和源氏受領六人の筆頭として『伊豆守』に任命されるなどしたみた […]
鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]