吉良城 / 吉良峰城(高知県)
吉良城の感想 土佐国の戦国七守護のひとりである吉良(土佐吉良)氏によって築かれた城で築城の年は不明です!吉良氏は土佐国でも名門の一族です。吉良城は標高111mほどの平山城で南北両嶺の曲輪を有しているみたいです。北嶺は南北40m、東西20mの楕円形で南端には櫓台のような場所もあるそうです。 土佐国における吉良氏の全盛期を築いた吉良宣直が五千貫を領し土佐七雄のひとりとして覇を唱えていたが、勢力を急激に […]
お城の中でも平地に築かれた平城や丘陵、低山などに築かれた平山城を表示しています。
吉良城の感想 土佐国の戦国七守護のひとりである吉良(土佐吉良)氏によって築かれた城で築城の年は不明です!吉良氏は土佐国でも名門の一族です。吉良城は標高111mほどの平山城で南北両嶺の曲輪を有しているみたいです。北嶺は南北40m、東西20mの楕円形で南端には櫓台のような場所もあるそうです。 土佐国における吉良氏の全盛期を築いた吉良宣直が五千貫を領し土佐七雄のひとりとして覇を唱えていたが、勢力を急激に […]
浦戸城の感想 長宗我部元親を想うと切っても切り離せない重要なお城です!浦戸(うらど)城です!!!( `ー´)ノ♪♪♪ 浦戸城の築城ははっきりしていませんが、本山城を居城としていた「土佐七雄」の一つである本山氏が勢力を伸ばし、朝倉城と共にこの浦戸湾のある地に本山茂宗(清茂)によって築かれたと云われています。浦戸城の本山氏は復興した長宗我部国親・元親親子の攻撃を受け浦戸一帯(土佐国)の覇権を争うように […]
土佐 長浜城の感想 長浜城は長宗我部元親の初陣となった『長浜の戦い(長浜表の戦い)・戸ノ本の戦い』の舞台となった城です。長宗我部国親・元親親子は、種﨑城に運んでいいた兵糧を本山氏側の潮江(うしおえ)城の兵に奪われたことから戦に発展し、長浜城攻略に踏み切った戦となりました。長浜城攻めには面白いエピソードが残っています。元々は長宗我部氏配下の福富右馬允という者が罪を犯し放逐されました。福富右馬允は本山 […]
高知城 / 鷹城の感想 土佐国の有名な名城『高知城(別名鷹城)』です!(。◕ˇдˇ◕。)/ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ高知城は『日本100名城』にも選ばれている名城で、皆さんの中では山内一豊や幕末の妖怪(失礼かも!?)山内容堂の居城として有名な城だと思います。 高知城は元々『大高坂山(おおたかさか)城』という城がベースだったとされています。大高坂山城は大高坂氏の居城である。大高坂氏はその昔、源平合戦で平家 […]
吉田備後守邸跡 / 吉田城の感想 吉田城は長宗我部氏の居城、岡豊(おこう)城より国分川を挟んで約2kmの場所に、『吉田備後守邸 / 吉田城』があります。吉田備後守孝頼は智謀勇猛で知られた武将で、その昔は藤原秀郷の後裔とと云われており、足利尊氏の下で武功を上げ土佐国の地を貰ったとされています。吉田孝頼は長宗我部国親(元親の父)が土佐国の岡豊城に復帰できると、二十歳ぐらい若い国親の叔母婿となり国親を支 […]
大津天竺城 / 大津城 / 天竺城 / 大津御所の感想 大津天竺城は土佐守護の細川氏の流れを組むとか家臣とかと云われている天竺氏が居城とした城で覇を唱えていましたが、『応仁の乱』をきっかけに細川氏が土佐国から離れると(土佐国から阿波国、畿内へ進出したのかな???)天竺氏はその後ろ盾を失い勢力は縮小していったと思われます。1547年、当時の城主だった天竺孫十郎花氏は隣接(直線距離で約3~4㎞)の岡豊 […]
香宗城の感想 香宗(こうそ)城です!けっこう~期待して香宗城に訪れてみたのですが・・・・何???すげぇちっちぇ!(´;ω;`)ウゥゥ 香宗城は土佐の名門 香宗我部氏の居城で、香宗我部氏は土佐七雄の一家とされていた勢力のある一族だったとされています。香宗我部氏のスタートは1193年頃、一条忠頼の家臣だった中原秋家が土佐国香美郡宗我の地頭に命じられ、主君だった一条忠頼が暗殺されるとその子の秋通が養子と […]
姫倉城の感想 昔この辺は大忍荘と呼ばれ熊野新宮の領地であったが、戦国時代は安芸氏の勢力下にはいった朝倉右京の居城として姫倉城は存在していたみたいですね。。。築城はいつだかわからないみたいです(o^―^o) 姫倉城は、夜須川右岸に南北に連なる丘陵が土佐湾に突き出した先端部に位置する月見山山頂部に築かれている山城で、月見山山頂部を二段に削平して一の曲輪と二の曲輪とし、一の曲輪には低くなっているが囲繞す […]
夜須城 / 下夜須城の感想 夜須城(下夜須城)は、平安時代末から鎌倉時代にかけての源氏方の武将であり、源平合戦の壇ノ浦の戦いで敵方の岩国兼秀・兼季兄弟を生け捕りにするという功を立てた、夜須行宗(行家とも???同一人物???)が築いた城だと云われています。夜須川東岸に横たわる標高40mほどの丘陵に築かれており、またの呼び名を三つ城『みつしろ』とも云うみたいですね~((´∀`))夜須城(下夜須城)は長 […]
金岡城の感想 案内板によると・・・((´∀`*))ヶラヶラ金岡城は南北朝が対立したとき、南朝方の大高坂松王丸らと共に北朝方と戦った『和食(わじき)孫三郎の城であった。戦国時代まで和食郷一帯を和食氏が治めていたが、境を接する安芸氏との争いが繰り返されたのち、1532年~1555年頃には安芸氏の領地となった。1569年に長宗我部の2,000騎が金岡城に押し寄せ、城を守っていた安芸国虎の重臣黒岩越前は5 […]