高嶺城 / 鴻の峰城 / 鴻之峯城の感想 大内館の詰城として築かれたのが『高嶺城(『こうのみね城』と読みます)』です!高嶺城は大内館と築山館の北側にある鴻ノ峰の山頂に築かれた山城です!後で調べてみると・・・この高嶺城の周りには『兄弟山城(おとどいやま)』、『障子ヶ岳城(しょうじがだけじょう)』『古城ヶ岳城(こじょうがたけじょう)』『七尾山城』『姫山城』などの大内氏の主要拠点となる城が点在しています […]
勝山御殿 / 勝山城 / 且山城の感想 しくじりました・・・(´;ω;`)ウゥゥ且山城(勝山城)を目指しここに来たのですが・・・且山城(勝山城)ではなく『勝山御殿跡』でした!!!(´;ω;`)ウッ…勝山御殿跡且山城/も勝山城の一部らしいのですが、勝山御殿跡の北側にある山に且山城/勝山城があります。。。本当はそこに行きたかったので、今回はあえて分けて『勝山御殿跡』としてレポートさせて頂きます(`・ω […]
櫛崎城 / 串崎城 / 雄山城 / 長府城 / 長府陣屋の感想 櫛崎城(くしざきじょう)は長門国豊浦郡(現在の下関)にあり、実際に訪れたときの案内板には『串埼城』と記載されていました。なぜ『串埼』といえば、鎌倉時代に蒙古襲来の元寇(げんこう)の際に討ちとった敵兵の首をこの海岸に埋めたことから 『首崎』 が転化したものだと云われています((+_+)) 築城は詳しくわかっていませんが、戦国時代には大内 […]
大廻小廻山城の感想 『大廻小廻山城→おおさこ こさこ さんじょう』と読みます(^▽^) 先日、宇喜多氏を訪ねて備中国の城攻めをしていた時に発見しました!私の職場の同僚に『小廻(こさこ)』さんって方がいて、すごく興味と縁を感じ探し当てました。小廻さんに城を見つけたとご連絡すると『祖父がそのあたりの出身ですよ』って聞かされて、驚きと感動がありました。何かしら関係があったのかもしれませんね! 大廻小廻 […]
乙子城の感想 宇喜多直家スタートの城!『乙子城』です!!!(((o(*゚▽゚*)o))) 個人的にはどうしても来たかった念願の乙子城を城攻めできました~♪ 乙子城は、吉井川河口部東岸にあり、かつては瀬戸内海に浮かぶ大小の島と、吉備穴海といわれる内海であったため(今は埋め立てられてて跡形もありませんが・・・苦笑)、九州と関西を結ぶ物流のルートであったと予想され、また、吉井川両脇に広がる有数の穀物地帯 […]
亀山城の感想 亀山城は周りを湿地と深田に囲まれた小さな山に築かれた城で、その山のカタチが亀に似ていることから『亀山』と言われたり、周りの湿地と深田から『沼』と呼ばれていた平山城です。 築城は浦上宗景の家臣であった中山勝政(信正)とされ、元々は浦上氏に敵対する松田氏に付いていたが浦上氏に鞍替えした思われ、東は赤松氏、西は三村氏(松田氏)や毛利氏(小早川氏)の圧力が入り乱れていた時代だったと思います。 […]
高取山城の感想 宇喜多氏の砥石城から約1㎞離れたところに高取山城があります。 高取山城は浦上宗景の重臣、島村豊後守盛実(島村貫阿弥)の居城で、長く島村貫阿弥が砥石城の宇喜多能家を襲撃し殺害、数年後、隠れ住んでいた興家を暗殺した黒幕とされ、成人した宇喜多直家に亀山城(沼城)に誘き出されて、亀山城主の中山勝政と共に宇喜多直家に討ち取られたとされていましたが、最近の研究では江戸時代に作られた創作なのでは […]
砥石城の感想 長野にも真田氏の砥石城(武田信玄が村上義清に敗れた砥石崩れの城)が有名ですが、今回の砥石城は備前国の中心地だった福岡や西大寺、千町平野(大穀物地帯)を見渡せる、標高100mぐらいの平野に突き出した砥石山の尾根に築かれた、宇喜多氏ゆかりの城です。 築城は不明で宇喜多直家の祖父にあたる宇喜多久家の時から浦上氏の城番か何かで関わってから、宇喜多久家→能家→興家→直家(誕生の城)と宇喜多代々 […]
天神山城の感想 浦上宗景の居城『天神山城』に城攻めを掛けましたが、一言でいえば壮大!巨大な石垣と山頂の尾根を上手く利用した防衛ラインを備えた壮大な巨大山城だったため、私は一発でやられました!? 浦上氏は下剋上でのし上がった一族で、浦上宗景の父浦上村宗が播磨国の守護大名であった赤松義村を赤松氏の重臣でありながら騙し討ちし生け捕りにして播磨国の室津城に幽閉、その後暗殺して成り上がってゆき、その息子が備 […]
神辺城の感想 南北朝時代から江戸時代初期まで存在し備後国の中心であったと思われる『神辺(かんなべ)城』です。黄葉山に築かれた城で神辺平野を見渡せ、神辺平野に点在するように他にも名もない城がたくさん点在しています。ただ、近年は研究が進み現在では神辺城も備後国に於ける政治の中心からは外れた存在であったと言われるようになっています。私が心から愛する毛利元就の数多くの本を読んでいても必ず出てくる山城で、山 […]