神奈川県

2/3ページ

大庭城(神奈川県)

大庭城の感想 大庭城は訪れたい城のひとつでした((´∀`)) 大庭城は古くは平安時代に桓武平氏の流れを組む鎌倉景正によって築かれた(当時は館みたいなものだと思いますが)とされ、後にこの地の名をとって大庭氏と名乗り、築城は大庭景親の父である景宗によって築かれた城らしいです。大庭景親の時代には相模国の大物となっており、平清盛の信頼もとても厚かったようです。 伊東祐親と共に大庭景親も源頼朝の監視役だった […]

早川城(神奈川県)

早川城の感想 早川城は現在の神奈川県綾瀬市にある城です。 早川城は鎌倉時代に活躍した渋谷氏が築城したといわれており、渋谷重国の時に源頼朝の家臣である御家人となり早川城一帯の地域を統率していたと思われます。その後、息子の高重が跡を継ぎますが1213年(建暦3年)に和田義盛が起こした反乱『和田合戦』の際に、渋谷高重は和田義盛に組したため討たれてしまいます。 他の渋谷一族は許され宝治合戦の際には多くの軍 […]

権現山城(神奈川県)

権現山城の感想 大都会の真ん中に城と合戦場があります!!! 権現山(ごんげんやま)城です(^▽^)権現山城は横浜駅のすぐ隣神奈川駅の目の前にあり、今は住宅と公園になっています。 権現山城は扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎ)の家臣であった上田氏の居城で、出自は武蔵七党のひとつである西党の流れを組む上田氏の嫡流、上田政盛の城であったとされています。自らの支配地域だった神奈川県湊地域を主君であった扇谷上 […]

和田城(神奈川県)

和田城の感想 和田城は戦国よりも少し前の話かもしれません。和田氏は少し前の鎌倉(創世記)時代の武士!和田義盛が築いた城らしく、私が心の底からリスペクトしている毛利元就さんの祖先の大江広元さんが『絵に描いたような坂東武者』って言わせるなど、そんな逸話が残るほどの武将です(〃艸〃)ムフッ 有名なのが『和田合戦』です。 和田合戦は和田城城主の和田義盛が起こした反乱で、三代目源実朝の時の鎌倉幕府最大の権力 […]

三崎城(神奈川県)

三崎城の感想 三崎城は定かではありませんが、三浦半島に勢力を覇っていた三浦氏が築城したと云われております。三崎城はたぶんですが、三浦氏が居城とした新井城と岡崎城支城として重要な城だったと思われますが、北条早雲に攻められて三浦道寸が自決し三浦氏が滅びると支城としての役割は無くなり、その後は北条早雲や氏康の保養城?として利用されたみたいですね(〃艸〃) 今は・・・・・三崎城としては跡形もありませーん( […]

相模岡崎城(神奈川県)

相模岡崎城の感想 岡崎城といえば愛知県岡崎市にある岡崎城(徳川家康が生まれた城)が有名ですが、それよりも早く築城されていたと思われるのがこの岡崎城です。紛らわしいのでここでは『相模岡崎城』と呼ばせて頂きます。 相模岡崎城は三浦半島の名家三浦氏の一族がこの土地に土着して岡崎氏を名乗っていたようです。三浦義継の四男坊であり、鎌倉幕府の創設に尽力した三浦義明の弟となる義実は『三浦悪四郎』と呼ばれていたこ […]

毛利氏発祥の地/毛利季光屋敷跡(神奈川県)

毛利氏発祥の地/毛利季光屋敷跡の感想 俺が尊敬し崇拝する毛利元就さんのそもそもの『毛利氏』発祥の地が神奈川県にあることをご存じでしょうか???厚木市下古沢にある三島神社付近がその昔『毛利荘』と呼ばれていたらしく、この地を与えられてから毛利氏を名乗ったようですね。(この辺一帯は三島神社がたくさんありますので行くときにはご注意を!笑) 毛利元就さんの祖は、現在『鎌倉殿の13人(2022年HNK大河ドラ […]

早雲寺(神奈川県)

早雲寺の感想 かねてからどぉしても行きたいところに行ってきました。 『早雲寺』です 戦国時代に関東に覇をとなえた北条(後北条)五代のお墓があると言われています『早雲寺』です。(因みに、今大河ドラマでやってる北条とは全く関係がありません)初代とされる北条早雲は元々は伊勢新九郎といい、(現在の)岡山県井原市にある高越城出身で、幕府に遣えるために岡山から京都へ、姉を助けるために嫁ぎ先の今川家のある静岡へ […]

小田原城(神奈川県)

小田原城の感想 北条五代のお城といえば小田原城ということで小田原城へ行ってきました。 小田原城は初代の北条早雲(そううん)が大森氏を倒し手中に収めたお城です。小田原駅のロータリーにも北条早雲公の銅像があります。北条早雲は北条五代で話す場合は使われる名前ですが、この方ものすごい呼び名が多く存命の頃は北条とは名乗っておらず「伊勢宗瑞(そうずい)、伊勢盛時(もりとき)、伊勢新九郎(しんくろう)」などと呼 […]

寺尾城(神奈川県)

寺尾城の感想 神奈川県横浜市にあった寺尾城址へ行ってきました。現在はほぼ何も残っていないお城になりますが、平成5年12月に発掘調査を行い空堀から宝永年間に噴火した富士山の火山灰が発見され18世紀初頭には堀が埋まっていたことがわかったとの記述が案内板にありました。普通の公園となってしまっており、土塁や竪堀があるとのことですが、どこが遺構なのか判別つきませんでした。お城の歴史ですが、戦国時代に後北条氏 […]