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近畿エリアのお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

  • 2026.01.07

高槻城/久米路山龍ヶ城/入江城(大阪府)

高槻城/久米路山龍ヶ城/入江城の感想 高槻城は摂津国高槻村にあった平城で築城は不明ですが901年~1000年頃にはあったみたいで、1874年の明治7年まで使用されていた驚きの城です!(;゚Д゚)室町時代には入江氏の居城としていたため入江城と呼ばれていましたが、織田信長に入江氏が滅ぼされてしまうと和田惟政(わだこれまさ)が入城し居城とします。和田惟政は足利義輝に仕えていたが不信を買って和田村に蟄居さ […]

  • 2026.01.07

三好長慶公の墓(大阪府)

三好長慶公の墓の感想 三好長慶はご存じの通り、織田信長よりも早く天下人を目指し天下人となった武将で、三好長慶は阿波国で生まれ(三好長慶公誕生地)スタートになっているのは阿波国の芝生城だと云われています。阿波国の吉野川沿いから阿波国の中心地に進出した三好氏は、勝瑞館を築き館に隣接した勝瑞城を築きました。当時では珍しい平城だった様ですね。その後、勝瑞城は細川氏9代・三好氏3代で約230年間本拠点とした […]

三好元長公の墓(大阪府)

三好元長公の墓の感想 大阪の堺にある顕本寺(けんぽんじ)に三好元長公の墓がありました( `ー´)ノ三好元長といえば、日本で初の天下人となった三好長慶(みよしながよし)の父親で、三好長慶の他にも、三好実休(兄の三好長慶が畿内で天下取りをしている間、故郷・阿波の統治と四国における三好家の勢力拡大を図った武将)、安宅冬康(三男の安宅冬康は大阪湾の制海権を握り、政権の『海』と『知』を支えた武将)、四男の十 […]

明智煕子・明智光秀一族の墓(滋賀県)

明智煕子・明智光秀一族の墓の感想 明智煕子(あけちひろこ)の墓へ行ってきました。煕子は明智光秀の正妻になります。明智光秀は生涯、煕子以外に側室などを持たなかったとされていて2人の夫婦愛が伝わってくる話が多く有ります。明智光秀は斎藤道三に仕えていたので道三が亡くなると浪人になります。本当かどうかわかりませんが、とても貧しかったこの時代に煕子は自分の自慢の黒髪を売って家計を助けたなどの逸話が残っていま […]

河内 野田城(大阪府)

河内 野田城の感想 これまたたくさんありそうな野田城ですが、ここの野田城は河内国にある野田城で、1326年に河内国野田荘の地頭になった野田正勝が築いた城で野田正勝(野田氏)は楠木氏に従い各地を転戦していた武将です!野田正勝は楠木正成と共に上洛を目指す足利軍と戦い戦死してしまいます(湊川の戦)  野田正勝の子、野田正氏野田家を継ぐと楠木正行(楠木正成の子)に従い奮闘しますが四条畷の戦いで共に戦死して […]

小谷城(大阪府)

小谷城の感想 小谷城と云えば近江の巨大な山城で浅井長政の居城だった小谷城が超有名ですが、この和泉国?河内国?にも小谷城が・・・しかも築城はこの堺近郊では最も古く築城された城として小谷城があります!(`・ω・´)ゞ小谷城は鎌倉時代ごろに標高80mの泉北丘陵高台に自然の地形を利用して、平氏一族の小谷氏が築いた城みたいです。小山城は栂山(たぶん『とがやま』)城(現在の原山台)と豊田城(現在の泉北高校)と […]

千石堀城 / 今城(大阪府)

千石堀城 / 今城の感想 千石堀城は和泉国(大阪府貝塚市橋本)にある山城でほぼ紀州国(和歌山)に隣接した場所にあります。1585年に石山合戦で織田信長と戦っていた本願寺氏が根来衆と雑賀衆と連携し、和泉国の5~7か所にこの様な城を築き防衛ラインを強化し始めます。千石堀城のそのひとつの山城だったと思われます。 本能寺の変が起こり織田信長が壮絶な死を迎えると、豊臣秀吉が権力を奪取し紀州国の要の城岸和田城 […]

丹後中山城(京都府)

丹後中山城の感想 冒頭に言っておきます・・・丹後中山城攻め断念です!!!!( `ー´)ノ 丹後中山城は丹後国守護大名の一色氏の家臣 沼田幸兵衛の居城だったとされ、築城ははっきりされていません・・・1579年に織田軍の細川藤孝・明智光秀軍が侵攻してくると、丹後国守護大名の一色義道は居城の建部山城を支えきれずにこの中山城に退いたとされています。その際に中山城主の沼田幸兵衛が細川氏に内通して逃げ場を失っ […]

宮津城(京都府)

宮津城の感想 宮津城にはてこずりました・・・(ノД`)・゜・。細川(当時は長岡姓)藤孝(名将ですねぇ~♪)が築城した宮津城だったので、めちゃめちゃ興味があり城攻めしてみましたが・・・ほぼほぼ城郭は住宅地として再開発され跡形も無くなっていました・・・(´;ω;`)ウッ…  それでも宮津城の形跡を追い宮津市の市内をあっちに行ったりこっちに行ったり右往左往です!丹後国守護大名の一色氏を滅ぼした細川藤孝は […]

本庄宗秀・宗武の墓(京都府)

本庄宗秀・宗武の墓の感想 本庄宗秀・宗武は宮津藩の最後の藩主として知られており、本庄氏は近世大名家であり華族の子爵家でもあります。本庄松平氏の流れであり本庄宗秀は松平宗秀の名の方が有名なのかもしれませんね。本庄(松平)宗秀は幕末時代幕府の老中職として務めており、第二次長州征討にも幕府側の軍として従軍し副総督を務ており、その際に長州藩の捕虜を釈放したり独断で休戦協定を締結したために老中職をとかれてし […]

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