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近畿エリアのお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

観音寺城(滋賀県)

観音寺城の感想 色々な歴史系の記事やYoutubeなどでも影が薄くいじられ役のイメージがある六角氏の居城、観音寺城へ行ってきました。鎌倉時代から続く名家で滋賀(近江)の武将だというのに戦国時代のTV番組やほとんど取り上げられることがない武将のイメージが強い武家です。観音寺城はその名の通り観音寺がある繖山(きぬがさやま) に築かれたお城で、佐々木定綱から始まった後、四家に分かれ、その別れた家の一つが […]

本能寺跡(京都府)

本能寺跡の感想 日本歴史で一番有名な本能寺の変のあった場所、本能寺跡へ行って来ました。すでに当時の本能寺の面影は全くなく、現在でも本能寺自体はありますが、移築して建てられたものなので現在の本能寺は織田信長時代の場所ではありません。本能寺の変自体は語るまでもないかと思いますが、簡単に説明を書いておきます。1582年に織田信長の家臣だった明智光秀が主君の織田信長をこの本能寺で討った出来事です。教科書で […]

森可成公の墓(滋賀県)

森可成公の墓の感想 たまたま見つけた森可成(もりよしなり)のお墓に行ってきました。坂本城にいったので近くに明智家に関わる菩提寺などがあるのではと検索していたら、聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)というお寺に森可成公のお墓があるのを見つけ行って来ました!森可成は森蘭丸や森長可のお父さんになります。森蘭丸は言わずと知れた本能寺の変で織田信長と共に討ち取られた武将で有名ですよね。蘭丸はこの時18歳とのこ […]

大津城(滋賀県)

大津城の感想 坂本城に行くついでに大津城跡へ行って来ました。遺構らしきものはほとんど残っていないようですが、訪問時に気づきませんでしたが、1980年に大津城の石垣らしきものが発見され、大津祭曳山展示館横の駐車場にて見られるとのことです。大津城は明智光秀の坂本城を廃城にして代わりに建てられたお城で、坂本城で使われたていたものを一部使って作られたとも言われております。また、一部材料が使われているだけで […]

坂本城(滋賀県)

坂本城の感想 坂本城と言えば明智光秀のお城ですね。ほとんど何も残っていないこともありなかなか足が向かなかったのですが、今回、幻の城と言われた坂本城に新発見、令和6年2月11日に三の丸の石垣が発見されたとのことで発掘調査説明会に行ってきました。坂本城は1571年に織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちによる功績により明智光秀に与えた所領坂本に築城されたお城です。明智光秀は岐阜県可児市の明智城で生まれたと言 […]

小谷城(滋賀県)

小谷城の感想 浅井氏のお城、小谷城(おだにじょう)へ行ってきました。浅井・朝倉 対 織田信長の戦いで浅井氏はこの城で自害し滅亡してしまいます。浅井氏は滅びますが、戦国時代のキーマンとしての浅井家は面白くて仕方がないですよね!そんな浅井氏3代の居城は楽しみで仕方がないです。浅井家について紹介します。浅井家は小谷城の戦いで家としては滅亡してしまいますが、浅井長政の継室が織田信長の妹「お市の方」で信長は […]

長浜城(滋賀県)

長浜城の感想 琵琶湖のほとりに建つ長浜城へ行ってきました。豊臣秀吉の城として有名ですが、秀吉が長浜という地名に変えるまでは今浜とよばれ今浜城があったとのことです。今城跡にある天守閣のように見える建物は長浜城歴史博物館で初期天守の様式で作られているとのことです。もちろん見た目だけなので鉄筋の現代工法の建物です。見晴らしが良いので琵琶湖を見渡したり展望所として行ってみるのも歴史好きじゃなくても楽しめる […]

新宮城/丹鶴城(和歌山県)

新宮城/丹鶴城の感想 和歌山県新宮市にある新宮城へ行って来ました。新宮城は特別歴史の表舞台に出てくる有名なお城ではないですが、国の指定史跡になっているくらい遺構が残っているお城で江戸時代のお城の作りを知るにはとても良いお城だと思います。平山城で街中に隣接してあるのもアクセスが良くておすすめです。新宮城は浅野忠吉が1601年築城を始めますが、一国一城令(1615年)で一時廃城。その後主君、浅野 長晟 […]

  • 2023.08.19

九度山真田庵(和歌山県)

九度山真田庵の感想 信州長野や群馬のイメージが強い真田氏ですが、真田昌幸、幸村の親子は関ヶ原後ここ九度山に幽閉されて昌幸はこの九度山で生涯を閉じています。個人的に真田昌幸は黒田官兵衛と並ぶ優秀な戦国時代の軍師(策士)だと思っており、とても好きな武将の一人です。幸村はここ九度山から出奔し「日の本一の兵」と呼ばれ大阪夏の陣で活躍したことで有名ですね。あの時、徳川が打ち取られていたら・・なんて考えるのも […]

郡山城/大和郡山城(奈良県)

郡山城/大和郡山城の感想 藤堂高虎が縄張りしただけあって、なかなかの石垣を有する城です。 郡山城は郡山衆と云われる国人たちが築いた城だった様で、筒井順慶が筒井城から郡山城に移ってから(筒井城から郡山城まで約4㎞ぐらいかぁ)改築されていったんだと思います。筒井順慶が亡くなると秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次が家督を相続し郡山城の城主となります。長年、秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次は順慶 […]

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