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近畿エリアのお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

丹後中山城(京都府)

丹後中山城の感想 冒頭に言っておきます・・・丹後中山城攻め断念です!!!!( `ー´)ノ 丹後中山城は丹後国守護大名の一色氏の家臣 沼田幸兵衛の居城だったとされ、築城ははっきりされていません・・・1579年に織田軍の細川藤孝・明智光秀軍が侵攻してくると、丹後国守護大名の一色義道は居城の建部山城を支えきれずにこの中山城に退いたとされています。その際に中山城主の沼田幸兵衛が細川氏に内通して逃げ場を失っ […]

宮津城(京都府)

宮津城の感想 宮津城にはてこずりました・・・(ノД`)・゜・。細川(当時は長岡姓)藤孝(名将ですねぇ~♪)が築城した宮津城だったので、めちゃめちゃ興味があり城攻めしてみましたが・・・ほぼほぼ城郭は住宅地として再開発され跡形も無くなっていました・・・(´;ω;`)ウッ…  それでも宮津城の形跡を追い宮津市の市内をあっちに行ったりこっちに行ったり右往左往です!丹後国守護大名の一色氏を滅ぼした細川藤孝は […]

本庄宗秀・宗武の墓(京都府)

本庄宗秀・宗武の墓の感想 本庄宗秀・宗武は宮津藩の最後の藩主として知られており、本庄氏は近世大名家であり華族の子爵家でもあります。本庄松平氏の流れであり本庄宗秀は松平宗秀の名の方が有名なのかもしれませんね。本庄(松平)宗秀は幕末時代幕府の老中職として務めており、第二次長州征討にも幕府側の軍として従軍し副総督を務ており、その際に長州藩の捕虜を釈放したり独断で休戦協定を締結したために老中職をとかれてし […]

大久保山城 / 大窪山城(京都府)

大久保山城 / 大窪山城の感想 大久保山城/大窪山城は小倉氏が築いた城の様ですが明確にはわかっていません。小倉氏は丹後国守護大名一色氏の傘下にいた国人衆らしく、細川氏と明智氏が丹後国に攻め込み『降参する者は除名する』との投げかけに降参した者の中に『小倉播磨守』が含まれていたとされています。『宮津府志』ではその小倉播磨守の傘下だった野村将監という武将がおり、その野村将監が大久保山城/大窪山城の城主だ […]

稲富一夢斎の墓(京都府)

稲富一夢斎の墓の感想 稲富一夢斎は稲富祐直(いなとみすけなお )といい、初名は直家と云われており『伊賀守』を名乗っていました。 なぜ『伊賀守』かと云えば、稲富氏は、元々は鎌倉時代末期ごるは伊賀国に住んでいたとされ、伊賀国から丹後国に移り住み、当初は『山田氏』と名乗っていましたが移り住んだ土地が『稲富保(いなとみのほ)』と呼ばれる港町だったことから『稲富氏』を名乗った様ですね。祖父の稲富相 […]

弓木城(京都府)

弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]

淡河城(兵庫県)

淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]

別所長治公の首塚(兵庫県)

別所長治公の首塚の感想 わずか26歳で織田信長(羽柴秀吉)に刃向かい三木城に籠城の末、お城を開城し切腹となった別所長治の首塚に行ってきました。ほぼ三木城と繋がっていると言っても間違いじゃないくらいの場所に雲龍寺というお寺がありそのお寺に別所長治公の首塚があります。一緒に妻、照子婦人も並んで首塚が建てられております。別所長治の辞世の句は「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへ […]

鷹尾山城(兵庫県)

鷹尾山城の感想 鷹尾山城は三木城鷹尾山城とも言われており、三木城の南側を守る支城だったようです。別所長治の時代に鷹尾山城には別所長治の弟、別所友之が入っていましたが、1580年、秀吉軍により落城してしまいます。別所友之は兄の別所長治同様に自刃されたようです。現在の鷹尾山城のあたりは、市役所と勤労者体育センターができてしまっており、土塁や堀などが一部残っているのみとなっております。三木城で出会った地 […]

三木城(兵庫県)

三木城の感想 三木城に訪問してきました!三木城は釜山城や別所城とも呼ばれていたみたいです。三木城といえば、別所長治(べっしょながはる)が羽柴秀吉から離反して起こした三木合戦が有名ですね。でも、その前に別所氏が東播磨で力を付けていくきっかけを作ったのが別所則治(べっしょ のりはる)です。この方がいたから別所氏は東播磨八郡の守護代にまでなり別所氏を名門にしたと言えます。三木城を築城したのも別所則治にな […]

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