佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城の感想 大分県佐伯市にあり豊後水道を見下ろす山城として築かれた城、『佐伯城』です!!!『佐伯』と書けば『さえき』と読みそうですがこれは誤りで『さえき』ではなく『さいき』と読みます。。。よって、『佐伯城(さいきじょう)』です!!!\(◎o◎)/! 佐伯城の築城は意外と新しく1606年で関ケ原の戦いが終わった後に、1601年に豊後国海部郡佐伯に2万石で入国した […]
高知城 / 鷹城の感想 土佐国の有名な名城『高知城(別名鷹城)』です!(。◕ˇдˇ◕。)/ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ高知城は『日本100名城』にも選ばれている名城で、皆さんの中では山内一豊や幕末の妖怪(失礼かも!?)山内容堂の居城として有名な城だと思います。 高知城は元々『大高坂山(おおたかさか)城』という城がベースだったとされています。大高坂山城は大高坂氏の居城である。大高坂氏はその昔、源平合戦で平家 […]
岡豊城の感想 さてさて・・・岡豊城です!!!云わずと知れた長宗我部元親の居城!岡豊城です!!!(*`艸´)ウシシシ♪『岡豊=おこう』と呼びます。(^▽^)/ 岡豊(おこう)城は、現在の南国市街の北西にある香長平野の北西、国道32号線沿いの国分川を天然の堀とした北側にある標高97mの『岡豊山』に築かれた山城です。岡豊城は長宗我部能俊(よしとし)が鎌倉時代初期に信濃から土佐国に移住し築いた城と云われて […]
高天神城の感想 高天神城へ行ってきました!静岡県で行きたかったお城の一つです。高天神城は武田信玄・勝頼親子の徳川・織田との戦いの中心になったお城。元々は今川氏の支城であったが、今川氏が滅亡し取り合いになり、徳川が援軍を送れずに武田に攻められて高天神城の城主であった小笠原氏が城を開城し武田側のお城となりました。この時に難攻不落の高天神城を開城させたのは武田信玄ではなく息子の勝頼でした。武田を滅ぼした […]
勝瑞城の感想 勝瑞(しょうずい)城は政治・経済・文化の中心だった勝瑞館から、現在は県道松茂吉野線を挟んで北東の位置に存在する城で、当時は勝瑞館と隣接(一緒)していた城だったと思います。阿波国で中世城郭の中では珍しい平城で細川氏9代・三好氏3代の約240年の根拠地だとされており、いかにこの国が大きな動乱が無く平和に発展していたかがわかりますね。細川氏も機内との関係も深く、この勝瑞館・勝瑞城から大軍を […]
引田城の感想 引田城の築城は定かではありませんが、1504年〜1521年頃に昼寝城主の寒川元政の家臣で信濃国から入国した四宮右近が城主となった城らしく、阿波(徳島県)との国境を守備し阿波の三好氏との防衛ラインとしての最前線の城だったと思われます。西側が播磨灘に面し淡路島を望める事が出来、標高82mの城山の山頂に築かれた「山城」でありながらも、北側と南側も海に面し三方を海に囲まれた「海城」でもありま […]
横須賀城の感想 横須賀城は武田信玄の高天神城に対するお城の一つとして徳川家康が大須賀康高に造らせたお城になります。この頃からなのか、それともそれ以前から徳川家康に従っていたのかわかりませんが、個人的にはこの地域発祥の「横須賀党(衆)」という家康の家臣団に興味がありずっと行きたいと思っていました。横須賀党の部隊は高天神城の攻略で活躍し、歴史に名を刻んだ武士たちになります。この横須賀党の活躍により、大 […]
足利氏宅跡(鑁阿寺)の感想 足利義康を祖とする足利氏の館跡に行って来ました。鑁阿寺(ばんなじ)として本堂が国宝に指定されており、途中で修繕されているとのことですが、1299年に建てられたとのことです。震災など地震もありながら今でも残っていることが奇跡に感じます。今後も大事に残してほしいですね。この足利氏館は義康の息子である足利氏2代目の義兼によって1197年に建てられたとのことです。この義兼の妻は […]
烏山城の感想 烏山城(からすやまじょう)は、栃木県那須烏山市にある標高202mの八高山に築かれた山城で、『那須烏山市』の地名にある通り、源平の合戦際に『屋島の戦い』で平家側の舟の上に掲げた『扇の的』を射落とした『那須与一』の末裔であると云われているみたいです。鎌倉幕府創設期には、結城氏・佐竹氏と共に那須氏も『関東八屋形』と呼ばれていたが、途中、那須氏も『上那須家』と『下那須家』の二つに分裂してしま […]
長篠城の感想 とても有名な城ですね!歴史のターニングポイント!トリガーとなる時代の重要な城です。 『長篠城』です!!!!! 長篠城は菅沼氏が築城したといわれ、主に松平氏の居城としていました。長篠城は豊川と宇連川が合流する天然の要害を要し、信濃国・遠江国・三河国への街道に繋がる交通の要所でもある重要な城だったことがわかります。武田信玄が西上作戦を実施、長篠城もその勢いに呑まれていき当時城主であった菅 […]