曲輪

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観音寺城(滋賀県)

観音寺城の感想 色々な歴史系の記事やYoutubeなどでも影が薄くいじられ役のイメージがある六角氏の居城、観音寺城へ行ってきました。鎌倉時代から続く名家で滋賀(近江)の武将だというのに戦国時代のTV番組やほとんど取り上げられることがない武将のイメージが強い武家です。観音寺城はその名の通り観音寺がある繖山(きぬがさやま) に築かれたお城で、佐々木定綱から始まった後、四家に分かれ、その別れた家の一つが […]

額田城(茨城県)

額田城の感想 額田(ぬかだ)城です。 額田城は太田城を佐竹氏に奪われ支配地域を変えられた、藤原通延の孫の通盛が小野崎の地で額田城を築いたとされ、藤原氏は小野崎氏を名乗っていた様で額田小野崎氏としてこの地域を支配していた様で、佐竹の内紛にも関与し独立心の強い一族だった様です。(そりゃ~そうだよね!もともと支配していた太田を佐竹氏に追い出されて憎しみしかなかったと思うよ)佐竹氏の内乱に転じて混乱の中で […]

烏山城(栃木県)

烏山城の感想 烏山城(からすやまじょう)は、栃木県那須烏山市にある標高202mの八高山に築かれた山城で、『那須烏山市』の地名にある通り、源平の合戦際に『屋島の戦い』で平家側の舟の上に掲げた『扇の的』を射落とした『那須与一』の末裔であると云われているみたいです。鎌倉幕府創設期には、結城氏・佐竹氏と共に那須氏も『関東八屋形』と呼ばれていたが、途中、那須氏も『上那須家』と『下那須家』の二つに分裂してしま […]

飯山城(長野県)

飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]

葛尾城(長野県)

葛尾城の感想 村上義清の居城、葛尾城に行ってきました。と言ってもナビの案内通りの葛尾城の駐車場はとてつもない道を通って行く道で今回は大失敗でした。(道中の動画は下へスクロールしていただくと見られます。)動画では伝わりづらいかもしれないですが、SUV系の車でも腹下をするくらい道がひどいのと結構砂利の勾配がキツく2駆だと空転するような場所もあります。途中からずっと4駆で走りました。あと大きい車も道幅が […]

長篠城(愛知県)

長篠城の感想 とても有名な城ですね!歴史のターニングポイント!トリガーとなる時代の重要な城です。 『長篠城』です!!!!! 長篠城は菅沼氏が築城したといわれ、主に松平氏の居城としていました。長篠城は豊川と宇連川が合流する天然の要害を要し、信濃国・遠江国・三河国への街道に繋がる交通の要所でもある重要な城だったことがわかります。武田信玄が西上作戦を実施、長篠城もその勢いに呑まれていき当時城主であった菅 […]

小山城(山梨県)

小山城の感想 山梨県笛吹市八代町にある小城の小山城です。一応、笛吹市指定史跡に指定されていますが・・・草ボーボーですわ!(´;ω;`)ウゥゥ 小山城の築城ははっきりしていないようですが、1459年(宝徳2年)ごろには河内領を有する穴山氏の穴山伊豆守がこの城に入城していたらしく、同族の武田信重と敵対していたとされています。甲斐盆地の南東に位置する小山城は若彦路と鎌倉街道に隣接する交通の要衝で、小山城 […]

壁田城(長野県)

壁田城の感想 壁田城(へきだじょう)へ行ってきました。かなり上の方まで車で行けるので比較的登頂の楽な山城です。壁田城は高梨氏のお城として甲斐の武田信玄に対抗するために使われていたお城のようです。高梨氏は信州の中野市周辺を治めていた豪族で武田氏に対抗するために上杉謙信方に付き、また高梨政頼の時代には武田が攻めてくるまで同じ信濃の領有権を争って戦っていた村上義清と手を組んで武田信玄を撃退したこともある […]

若神子城(山梨県)

若神子城の感想 若神子城へ行ってきました。この周辺は武田氏発祥の地とも言われている地域で、武田氏の祖と言われる、源義光(新羅三郎義光)が築いたと言われているお城が若神子城になります。武田氏の流れとしては、源義光→2代目源義清→3代目源清光の時に逸見氏(へみ)を名乗ります。→4代目信義になり、武田神社で元服し武田信義を名乗るようになり武田氏が成立します。若神子城は棒道と佐久往還が分岐する要地で、信濃 […]

於曽屋敷跡(山梨県)

於曽屋敷跡の乾燥 今は公園として整備されていますが、しっかりと土塁・堀の跡を残しています。於曽(おぞ)屋敷跡です。於曽屋敷は甲斐源氏の祖となった源義光の子である義清の四男であった、加賀美遠光(かがみ とおみつ)が加々美荘を支配したことから始まるようです。当初、この一帯は旧豪族の三枝一族が支配していたが、甲斐源氏であった加賀美遠光の四男光経と五男光俊がこの地を支配し於曽氏と称したようです。於曽氏の創 […]

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