小金城(千葉県)
小金城の感想 小金城は高城氏のお城で、高城氏は諸説ありますが、千葉氏の流れの家系で、原氏の家臣として活躍しこの小金城のある千葉の東葛地域を所領するようになります。高城氏は、原氏に支えた後に、後北条氏と豊臣秀吉の戦いで北条氏が滅亡すると同時に高城氏も滅亡し小金城は1593年に廃城となりました。高城胤則は小田原城でなくなりますが、子の高城胤重が関東を徳川が収めるようになると旗本として召し抱えられたとの […]
小金城の感想 小金城は高城氏のお城で、高城氏は諸説ありますが、千葉氏の流れの家系で、原氏の家臣として活躍しこの小金城のある千葉の東葛地域を所領するようになります。高城氏は、原氏に支えた後に、後北条氏と豊臣秀吉の戦いで北条氏が滅亡すると同時に高城氏も滅亡し小金城は1593年に廃城となりました。高城胤則は小田原城でなくなりますが、子の高城胤重が関東を徳川が収めるようになると旗本として召し抱えられたとの […]
花輪城の感想 花輪城は平本定虎のお城と言われており、小金城の城主だった高城氏の家臣だったとのことです。平本定虎がどんな武将だったかはよくわからないですが、平本氏は高城氏の支流の家系になるようです。花輪城は小金城の支城だったと思われていて、小金城の高城氏の家柄出自など詳細はあまりわかっていないようですが、千葉氏の系譜で原氏が千葉氏宗家を倒してこの千葉県西部に進出する際に高城氏も従うようになったのでは […]
門司城の感想 門司城は下関(山口)と北九州(福岡)の間、関門海峡を望む北九州側にあり古城山の山頂に築かれた山城で、古くは源平の合戦時に 平 知盛 が源氏との合戦に備えて築かせた城です。その後は1559年とその2年後の1561年に起こった大友義鎮(大友宗麟)と毛利元就との合戦、『門司城の戦い』の舞台となった城として知られており、毛利元就好きの私も毛利元就を通してこの城も知りました(^▽^)/関門海峡 […]
獅子ケ城 / 獅子城 / 鹿家城の感想 1069年に松浦党の祖となる 源 久 が松浦郡宇野御厨の荘官(しょうかん)となり、源からその地名の松浦を名乗るようになり、松浦党を結成したと云われております。松浦党は古くは平安時代から戦国時代に組織された松浦氏の武士集団の連合軍で、その一族は48にも別れていたと云われています。そのことから『松浦四十八党』とも呼ばれ、現在の長崎県~佐賀県北部まで幅広く分散され […]
筑前 大野城の感想 高橋紹運の岩屋城と同じ場所に築かれている壮大な山城『大野城』があります。今から約1360年(記載時は2024年12月)前の飛鳥時代だった665年に太宰府政庁の防衛のために築かれた 『古代山城(こだいさんじょう)』の一つだと云われています。飛鳥時代の大和朝廷は『白村江の戦い』で、唐・新羅の連合軍に大敗を喫した倭国(後の日本)が大宰府防衛を目的として築いた城だと考えられています。『 […]
筑前 岩屋城の感想 平城だった高橋城から約20㎞離れた場所にある『岩屋城』です!!!念願です(´;ω;`)ウゥゥ念願の山城!!!岩屋城です!!!♡。゚.(♡´‿人´‿ ♡)゚♡ °・岩屋城は大友宗麟の重臣 立花道雪と共に筑前国(大宰府一帯)を守っていた忠臣 高橋紹運(たかはし じょううん)が、九州統一を目前とする島津軍2万に対し高橋紹運は手勢約700名で岩屋城に籠り壮絶な戦いを行い全員が討死した『 […]
秋月城 / 秋月陣屋の感想 秋月城と云えば、紀伊国(和歌山)の秋月城や阿波国(徳島)の秋月城がありますが、私の中ではここ筑前国(福岡)の秋月城が『秋月城』です!!!(^▽^)/~♪(ごちゃごちゃしてすみません!) 行ってみて気が付いたのですが、秋月城はてっきり秋月氏が築いた城だと思っていたのですが、黒田長興(黒田長政と栄姫(家康の養女)との間に生まれた次男)が秋月城を築城し、秋月藩初代藩主となった […]
城井ノ上城 / 城井谷城 / 萱切城 / 城井郷城の感想 この城もめちゃくちゃ城攻めしたかった山城です!『城井ノ上城』です(」’ω’)」オォオォオ!!!ウウゥゥアアォオ!!!!!! これが意外とめちゃくちゃ難しくて・・・(混乱)当初は私は『城井谷城(きいだにじょう)』だと思い辿り着いてみたら、『城井ノ上城(きいのこじょう)』だったり、何かしらの違いはあるのかもしれませんが、よくわからないのでいっし […]
馬ヶ岳城の感想 個人的に・・・絶対に攻め落としたかった山城です( `ー´)ノ『馬ヶ岳城(うまがたけじょう)』ですわ!!!!何故かと云えば、俺の大好きな黒田官兵衛が九州征伐後、豊臣秀吉から豊前国八郡のうち六郡(ただし宇佐郡の一部を除く)12万5000石を領地として与えられ入国した際に、豊後国最初に入城したのがこの馬ヶ岳城でした!!!(⌒∇⌒)黒田官兵衛は、当初、馬ヶ岳城を拠点としましたが短期間だった […]
日出城の感想 日出城は『ひでじょう』と書いて『ひじじょう』と読みます(^▽^)/元々は、豊後国を大友氏が支配をしていた頃は大神氏の城でしたが、島津軍が侵攻し火を放たれ落城したとも云われています。大友義統が改易されると豊臣氏の家臣が豊後国にも入国し、この日出城一帯を毛利重政(元々の名前は森氏で毛利輝元より『毛利氏』を名乗ることを許され(豊臣家臣なのに?笑)毛利氏を名乗っています。佐伯城の城主毛利高政 […]