曲輪

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妻鹿城/国府山城(兵庫県)

妻鹿城/国府山城の感想 妻鹿城(めがじょう)もしくは国府山城(こうざんじょう)と読みます。妻鹿城は妻鹿長宗によって1330年ごろに築城されたと言われております。その後、詳細な経緯は不明ですが、1573年に黒田官兵衛の父、黒田職隆(くろだもとたか)が居城として入ります。黒田官兵衛も羽柴(豊臣)秀吉に姫路城を譲った後、この妻鹿城に短い間ですが入ります。1585年、父の黒田職隆が亡くなるとこの妻鹿城も廃 […]

遠江 飯田城(静岡県)

遠江 飯田城の感想 遠江(遠州)飯田城は山内道美の孫(三代目)である山内大和守通泰によって築かれた城みたいです。元々は山内道美が築いた飯田古城(当時はそんな呼び名ではなかっでしょうね)があったようですが、そこから新たに築き移り住んだとされています。時代は戦国時代真っ只中ですからね~!?!?!? 1569年に徳川家康の家臣である榊原康政と大須賀康高らに攻められ落城し、山内通泰は討死してしまいます!1 […]

枝吉城(兵庫県)

枝吉城の感想 枝吉城(えだよしじょう・しきつじょう)は明石氏の居城で、明石氏は赤松氏に使える被官だったとのことです。枝吉城は1429年ごろに築城されたとのことですが、明石氏自体は鎌倉から室町時代初め頃には播磨地域に存在していたようです。1539年に第一次枝吉城の戦いで明石氏は赤松氏と和睦し、赤松氏の傘下に入ります。1554年第二次枝吉城の戦いで三好長慶と戦い1555年に和睦。明石氏は別所氏が織田軍 […]

刈谷城(愛知県)

刈谷城の感想 三河と知多半島のちょうど中間にある刈谷城です。『刈谷』は『刈屋』と呼ばれており、またの名を『亀城』と呼ばれていたようですね。刈谷城は衣ヶ浦(ころもがうら)の北端東岸に面して築かれ、西側から東側にかけて順に、本丸→帯曲輪→内堀→二ノ丸→三ノ丸→大手門→城下町となっており、刈谷城が西側(織田氏)に備えた東側(今川氏)の城を意識して築かれたように感じます。1533年に築城したのは水野忠政と […]

中久喜城 / 亀城 / 栃井城 / 中岫城 / 岩壺城(栃木県)

中久喜城 / 亀城 / 栃井城 / 中岫城 / 岩壺城の感想 中久喜城は現在の栃木県と茨城県の県境、当時でいえば下野国寒川郡に築かれた城で、『小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)』のひとつであり重要な城であったと思われます。小山氏はもともと藤原秀郷(ふじわらひでさと)の後裔と称した太田氏の流れを組む一族らしく、小山政光が下野国小山に移住し小山氏姓を名乗ったことから始まるらしく、中久喜城も小山 […]

久野城 / 座王城 / 蔵王城 / 鷲之巣城(静岡県)

久野城 / 座王城 / 蔵王城 / 鷲之巣城の感想 久野城は遠江国(現在の静岡県袋井市鷲巣)にある城で、標高は34mをピークとする本丸があり山城と云うよりは平山城で、後で調べてみると周りの田んぼは廃城後に開拓されたみたいで池というか沼っていうかに取り囲まれた沼城の様な城だった様です。1492年~1501年頃に駿河国今川氏が遠江国へ侵攻する際に、今川家旗本の久野宗隆が築城したと伝えられています。今川 […]

玉縄城 / 甘縄城(神奈川県)

玉縄城の感想 玉縄城はずっと行ってみたかった城です!残念ながら玉縄城全体は住宅地と本丸には中学校が建設されており全体を楽しむことはできません(´;ω;`)ウゥゥ しかし、相模国の支配を始めた北条早雲にとっては、この鎌倉の北に位置する玉縄城は鎌倉を管理をするためにも重要な役割を果たさせる城でなかったのではないかと思います( `ー´)ノ 玉縄城は北条早雲が1512年に築いた城だと云われていますが、もと […]

平賀氏城跡(長野県)

平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]

内山城(長野県)

内山城の感想 内山城は永世年間(1504年ごろ)に大井美作入道玄岑(おおいみまさかのにゅうどうげんしん)が築城したとされています。1546年に武田晴信(信玄)の佐久侵攻により落城し、その後は武田家臣の小山田 虎満 / 小山田 昌辰(おやまだ とらみつ / おやまだ まさたつ)が城代として入ったお城になります。内山城はその後、1582年に武田氏が滅んだことにより翌1583年に廃城になったようです。そ […]

志賀城(長野県)

志賀城の感想 志賀城は武田晴信(武田信玄)の志賀城攻めで有名なお城で、「小田井原の戦い」の中心になったお城です。現在は佐久市内の長閑な場所といった印象ですが、1546年に武田晴信(信玄)は領地拡大のために佐久地域がどうしても欲しく、志賀城城主の笠原清繁(新三郎)に戦いを挑みます。笠原氏は関東管領の上杉憲政に援軍を頼みますが、流石の武田晴信(信玄)、家臣たちに碓氷峠へ向かわせて上杉の援軍を足止めどこ […]

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