- 2024.07.30
- 入場料無料,
那須与一の墓(栃木県)
那須与一の墓の感想 全国で約六ヶ所(もっとあるのかもしれませんね)あると云われている源平の合戦で活躍した『那須与一の墓』が栃木県の那珂川町(なかがわまち)恩田(おんだ)の地にありました。 那須与一は死後、京都の即成院(そくせいいん)に葬られましたが、分骨され那須の地の福原玄性寺(げんしょうじ)に移され、那須与一公とその一族のために供養碑を建てられたものと伝えられています。 那須与一の墓画像ギャラリ […]
那須与一の墓の感想 全国で約六ヶ所(もっとあるのかもしれませんね)あると云われている源平の合戦で活躍した『那須与一の墓』が栃木県の那珂川町(なかがわまち)恩田(おんだ)の地にありました。 那須与一は死後、京都の即成院(そくせいいん)に葬られましたが、分骨され那須の地の福原玄性寺(げんしょうじ)に移され、那須与一公とその一族のために供養碑を建てられたものと伝えられています。 那須与一の墓画像ギャラリ […]
羽生城の感想 羽生城の築城はいつだか誰だかわかっていませんが、1550年頃に広田直繁が築いたとも云われています。実は個人的に前々から来たかった城で、長尾景虎(上杉謙信)と北条氏康が幾度となく羽生城を奪い合っており、拠点とすれば重要な城だったんだと思うのですが、あまり詳しく知られていない城として何か心に引っ掛かっていました。羽生城は古河公方に従っていた広田直繁や木戸忠朝らが守っており、長尾景虎と共に […]
下野 壬生城 / 馬蹄城の感想 広島(安芸)にも壬生城が存在(有名か有名じゃないかは別として!苦笑)するため、あえてタイトルは『下野 壬生城』にさせて頂きます!(^▽^)/ 壬生城は壬生 胤業(たねなり)とも壬生 綱重(胤業の息子)とも云われており、胤業が壬生城の近くに今でいう古城を築き綱重が現在の壬生城を築いたらしく、古城も併せ壬生城であったのではないかと思います。これはこの土地に来てみないと感 […]
織田信雄/織田氏七代の墓の感想 織田信雄から始まり、七代目織田信富までの墓が群馬県の甘楽町にあるとのことで行ってきました!織田信雄といえば信長の次男として生まれ、ダメ息子として有名ですよね。もうダメな話が多くて武将じゃなくて愚将なんて呼ばれたりもしますが、この人の子孫しか信長の直系は江戸時代以降明治維新まで生き残っていないので貴重な存在でもあります。信雄ダメエピソードを少し紹介すると、信長の許可も […]
松井田城の感想 群馬県の松井田町にある松井田城へ行ってきました。みなさん行かれる際は2点注意して行かれるようにしてください。まず、1点目「熊」に対してです。音を出す「熊よけの鈴」、もしあれば熊撃退スプレーを持っていると良いかと思います。もし鈴など持たずに行かれた場合は必ず入り口に「お菓子の缶」と「木の枝」を置いてくれていますのでこちらで音を出しながら登るようにしてください。次に2点目は冬以外に行か […]
庭谷城の感想 庭谷城(にわやじょう)は鏑川が蛇行する天然の堀に囲まれた城で、西~南側は土塁(この地方は土居とも云うらしいですね)で守られた、2つの郭をもつ城だった様で、この一帯を支配していた国峰城主だった小幡氏の重臣の庭谷氏の城だったみたいですね。国峰城の支城の役割を果たしていたんだと思われます。元々は山内上杉氏に従っていたのですが、武田氏へ寝返り庭谷氏もそれに従ったとされています。が、武田氏が滅 […]
相模 丸山城の感想 厚木にある『丸山城』です。 鎌倉初期の頃、糟屋有季が築城したと云われています。。。。糟屋氏は武蔵七党の一つ横山党の一族で、源頼朝、頼家に仕え、なんと!?義経の家臣・堀景光を捕らえたり、梶原景時の謀反で追討命令を受けるなど活躍した人物なようですが、比企氏の乱に加担したため糟屋有季は自害したって云われています。。。その後は、室町時代には扇谷上杉氏がこの糟屋庄を支配し、後北条氏の時代 […]
渋川寄居城の感想 渋川城は真田(幸綱)幸隆が白井城を攻略する際に建てたお城と言われていて、この正蓮寺のあたりが本廓だったようです。真田幸隆は真田幸村のおじいちゃんに当たる人。息子は4人いて、長男、次男の真田信綱・真田昌輝は武田と徳川/織田の戦いで有名な「長篠・設楽原の戦い」で討死。三男は真田昌幸で大河ドラマ真田丸で草刈正雄さんが演じてたことで知っている方も多いかと思います。また真田幸村のお父さんで […]
奥平氏発祥の地の感想 奥平氏は徳川家康の重臣松平氏との関係が深いため三河の戦国武将と思いがちですが、実は奥平氏発祥は群馬県!?昔の上野国甘楽郡奥平郷が発祥で、しかも赤松則景が祖となり移り住み奥平氏を名乗ったようです。(個人的にはかなりの発見!(〃艸〃)ムフッ)鎌倉時代・・・1200年頃に赤松氏が甘楽郡司となり奥平氏を名乗ったようで、初代は奥平氏行と云うらしく、その後代々 吉行→継定→高定→満定→定 […]
奥平城の感想 先日の川尻城、亀山城(川尻城・亀山城は共に現在の愛知県新城市)、からの流れにより、いろんな方々から『奥平氏は群馬県の上野甘楽郡』の武将と聞き早速行ってみました~♪ 『奥平城』です!!! 奥平氏は赤松則景(この人が誰だか全然わかりませんが・・・( ノД`)シクシク…)を祖とし、上野甘楽郡で奥平城を築き奥平氏代々の居城となったようですが、奥平氏八代目の奥平貞俊のときに三河国作手の川尻城に […]