益子古城/高館城跡/西明寺城(栃木県)
益子古城の感想 益子古城は益子氏のお城で、高館城(たかだてじょう)、西明寺城(さいみょうじじょう)とも呼ばれています。実際には高館城(西明寺城)と呼ばれている高館山の山頂にあるお城は詰城で平時はこの益子古城で生活していたものと思われております。益子城は南北朝時代には南朝方のお城として北朝方の攻撃を退け続けましたが1352年に関東六城の中で最後に落城したとのことです。ちなみに南北朝時代の関東六城とは […]
益子古城の感想 益子古城は益子氏のお城で、高館城(たかだてじょう)、西明寺城(さいみょうじじょう)とも呼ばれています。実際には高館城(西明寺城)と呼ばれている高館山の山頂にあるお城は詰城で平時はこの益子古城で生活していたものと思われております。益子城は南北朝時代には南朝方のお城として北朝方の攻撃を退け続けましたが1352年に関東六城の中で最後に落城したとのことです。ちなみに南北朝時代の関東六城とは […]
鎌田城の感想 鎌田城は1189年に鎌田俊長によって築かれた山城だと云われていますが、はっきりとはわかっていません。。。平治の乱で敗れた源義朝は家臣の鎌田政清(鎌田俊長のお父さん)と共に尾張国に逃亡するが平家側に討たれてしまいます。息子の鎌田俊長は平家の来襲に備える為に鎌田城を築いたと云われているみたいですね。その後、鎌田城は伊東氏の居城となり伊東氏の別の一族は日向国(宮崎)へ下向し一大勢力を築く伊 […]
朝比奈城の感想 朝比奈城は今川氏、武田氏に仕えた朝比奈氏が築いたお城になります。朝比奈氏は藤原北家の子孫という説と、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」でも出てきた三浦一族の和田義盛の息子朝比奈義秀を祖とする説の2つがあるようですが、正確にはわかっていないみたいです。ちなみに和田義盛は源頼朝が打倒平家を掲げて最初に挙兵した頃からの家臣です。和田義守は北条義時と戦うことになり討ち死にし、神奈川県の鎌倉市由比 […]
花倉城 / 花蔵城 / 葉梨城の感想 『花倉城』は『花蔵城』『 葉梨城(はなしじょう)←知らんかった~!!!苦笑』って云うみたいですねぇ~((´∀`*))ヶラヶラ♪ 『花倉城』は静岡県中部にある標高297mの城山?に築かれた山城ですね!それこそ!今川範氏によって1353年頃に築城されたと云われているみたいですねぇ~!!!うん!うん!夢がある!!!!花倉城は、南北に伸びる山頂稜線に堀切を設け二分し! […]
鞆城の感想 『鞆城(ともじょう)』は現在の広島県福山市にある『鞆の浦』と云うめちゃくちゃ雰囲気のいい港町の面影を残した場所にあります。私は広島出身なのですが『鞆の浦』と云えば昔から古き良き港町のイメージがあり、今でも是非皆様に行って欲しいスポットのひとつです!!!(^▽^)/ 『鞆城』を私が知ったのは、戦国時代、織田信長に京を追い出され足利義昭が毛利氏を頼って辿り着いた場所がここ鞆の浦と云われてい […]
松ヶ崎城の感想 松ヶ崎城は誰が作ったのかよくわかっていないお城とのことですが、遺構としては非常に多く残っていて見どころのあるお城でした!お城も結構広いのでそれなりにきちんとした屋敷が立っていて居城として使用されていたのではないかと思います。砦とか出城などではなさそうな気がしますが、これほどの広さがあり遺構の残っているお城でもわからないのは残念です。いつか詳細が書かれた書物など出てきたら嬉しいです。 […]
馬ヶ岳城の感想 個人的に・・・絶対に攻め落としたかった山城です( `ー´)ノ『馬ヶ岳城(うまがたけじょう)』ですわ!!!!何故かと云えば、俺の大好きな黒田官兵衛が九州征伐後、豊臣秀吉から豊前国八郡のうち六郡(ただし宇佐郡の一部を除く)12万5000石を領地として与えられ入国した際に、豊後国最初に入城したのがこの馬ヶ岳城でした!!!(⌒∇⌒)黒田官兵衛は、当初、馬ヶ岳城を拠点としましたが短期間だった […]
黒田如水本陣跡の感想 東側に海があり西側の実相寺山に布陣して約2.2km下った石垣原古戦場へ殺到する中、北側に布陣していたのがこの『黒田如水本陣跡』だと思われます。『黒田如水本陣跡』とありますが、黒田官兵衛(如水)本人は赤根峠を越えて国東に進出し富来城の垣見一直を包囲し、続いて安岐城の熊谷直盛攻めて出てきた熊谷軍を撃退し、ここ石垣原に向かっていた様です。黒田如水本陣にいたのは井上九郎衛門と野村市右 […]
大友宗麟公の墓の感想 大友宗麟の墓です!!!大友宗麟はキリシタン大名の代表的な武将として有名で、大友宗麟が当主となってから武威を誇り、豊前豊後、筑前筑後、肥前肥後の6箇国と日向伊豫の各半分を領し、勢威九州を圧し大友の最盛期を築いた、戦国時代屈指の武将とされていますが・・・個人的にはあまり好きではありません~苦笑自分が抱いているイメージは女性漁りがひどくて家臣の嫁まで奪い取り、キリスト教に没頭し過ぎ […]
中村城の感想 中村城は、公家一条氏の流れを組む前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が、土佐の国人衆だった大平氏の支援により土佐国幡多郡中村に下向し土着したのが発端し、初代の一条房家、房冬、房基、兼定、内政の五代に渡り土佐一条氏の居城となった城です。中村城は元々土佐国中村にいた国人の為松氏が築いた城で、一条氏がこの地に流れてくると為松城は一条氏の城となり、為松氏は一条氏の重臣として仕えることとなり […]