市区町村指定史跡

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市区町村の指定史跡です

守山城/二上城/海老坂城/森山城(富山県)

守山城の感想 松倉城、増山城、とこの守山城が越中三大山城と呼ばれているそうです。守山城は「もりやまじょう」と読みます。頂上まで舗装されていて車で登れてしまうので訪問するのは非常に簡単な山城なので登山が苦手な方にもおすすめです。守山城はこの前に書いた放生津城の詰城だったとされているお城で、放生津城の神保氏と長尾為景が戦った際には神保氏はこの守山城を拠点に戦ったとされているようです。ちなみに長尾為景は […]

放生津城(富山県)

放生津城の感想 放生津城(ほうじょうづじょう)と読みます。放生津城は神保氏の居城として有名でもありますが、個人的には足利義稙(あしかがよしたね)/義材(よしき)の逃げてきたお城。身を寄せていた場所としての方が面白く興味がある人です。ここの説明版では義材(よしき)と書かれていますが、この記事では義稙(よしたね)で書かせていただきます。義稙は室町幕府の第10代将軍ですが、幼少期に家督争いの都合で父と共 […]

升方城/舛方城(富山県)

升方城/舛方城の感想 升方城は椎名氏が松倉城の支城として築城したお城とされています。椎名氏は越中の守護代として室町時代あたりに来たと思われます。同じ時代に守護代として神保氏も越中に来ており、戦国時代にもなると両者の間で越中の領国支配で争いが加熱して行きます。武田や一向宗を味方につけた神保氏と上杉を味方に付けた椎名氏で争いますが、神保氏の勢力が弱まると椎名氏は武田氏を味方につけて上杉に反旗を翻します […]

天神山城/萩城/越中天神山城(富山県)

天神山城の感想 天神山城は織田軍と上杉軍が戦った際に上杉景勝が陣として使用した場所とされています。戦いの戦地となったのはこの天神山城の麓にある魚津城で1582年に魚津城の戦いが起こり、織田軍に包囲された魚津城を救援するために天神山城に陣を敷きました。しかし、さすがに柴田勝家、佐々成政、前田利家と織田軍でも有力な武将たちに包囲されたお城を上杉景勝も助けることができず魚津城は落城。ただ落城が本能寺の変 […]

魚津城/小津城/小戸城(富山県)

魚津城の感想 魚津城に行ってきました!魚津城跡は金山谷田方町線という県道沿いにある大町小学校跡に現在はなっています。小学校も合併で閉校になり今後はコミュニティセンターが建つようですね。魚津城は上杉軍対織田信長の戦いの激戦の場所で1582年に起きた「魚津城の戦い」で有名なお城でもあります。魚津城は旧北陸道沿いの要衝の地であるにもかかわらず平城という戦いに不利な城の状況も重なり、織田軍の柴田勝家、佐々 […]

三分一ヶ原古戦場(新潟県)

三分一ヶ原古戦場の感想 三分一ヶ原古戦場は上杉謙信の父、「長尾為景(ながおためかげ)」を越後守護上杉家の一族柏崎の上条定憲が1530年、1533年、1534年と三度にわたり討伐を図りますが、上手くいかず、1536年4月に府中に進撃してきた琵琶島城城主「宇佐美定満」、柿崎城城主「柿崎和泉守景家」と長尾為景が夷守郷三分一原で激突します。からくも上条方を撃退することができた戦いでした。その合戦のあった場 […]

宮寺氏館跡(埼玉県)

宮寺氏館跡の感想 宮寺氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏かな?)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構えて宮寺氏を称したとされるみたいですね。1333年の鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代初期にかけて、新田義貞に仕えた加納下野守なる人物がこの宮寺氏館に拠ったと伝わっています。武蔵七党と呼ばれた小規模武士集団は鎌倉幕府開設以前から源氏棟梁との関係が深く、源頼朝の父親、源義朝が関 […]

琵琶島城(新潟県)

琵琶島城の感想 琵琶島城(びわじまじょう)は現在、県立柏崎総合高校となっていて遺構は残っていない状況になります。高校ができる前までは土塁などが残っていたみたいですが、現在は高校の敷地内にある石碑が城跡であることを表示している以外周りを見ても城跡の面影を見つけることはできません。琵琶島城の歴史ですが、上杉憲顕(うえすぎのりあき)が越後の守護を任された時に家臣として着いて来た宇佐美定満(うさみさだみつ […]

私部城 / 交野城(大阪府)

私部城 / 交野城の感想 私部城は『さきのべ』城と読むようですね~難しい~(*´ω`*) 文献か何かに『サキノヘノ城』と呼ばれる城が出てくるようです。また、この地点は交通の要所から『片野』と呼ばれていた様で、片野から『交野』となり、交野(かたの)城とも呼ばれていいた様ですね( ̄▽ ̄)築城は1558年~1560年頃だと云われ安見右近によって築城された様です。安見氏は元々畠山氏の家臣でしたが、畠山氏が […]

清水冠者源義高終焉の地(埼玉県)

清水冠者源義高終焉の地の感想 国道16号線沿い狭山市入間川の側に『清水冠者源義高終焉の地』があります。源義高 って誰かって云うと、以仁王(もちひとおう)の号令により平家討伐のために挙兵し、平家の大軍を破って源頼朝軍よりも早く入京した、木曽(源)義仲の子です!!!木曽(源)義仲(信濃)は源頼朝(鎌倉)と関係が徐々に悪化し武力衝突寸前となりますが、一旦は和解し木曽(源)義仲は和解のしるしに息子の源義高 […]

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