市区町村指定史跡

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市区町村の指定史跡です

山名城/前城/寺尾下城(群馬県)

山名城の感想 山名城は武田信玄の家臣、木部氏のお城ですが、1395年に尹良親王(ゆきよししんのう)が築城したとされています。山名城があるのは観音山丘陵と呼ばれる丘になるみたいですが、この丘陵には5つの城址があり、1、寺尾上(てらおかみ)城、2、寺尾中(てらおなか)城、3、茶臼山(ちゃうすやま)城、4、根小屋(ねごや)城、5、山名(やまな)城の5つになります。表現としてはあったという方が正しいのかも […]

秋元氏の墓(元誉寺)(埼玉県)

秋元氏の墓(元誉寺)の感想 秋元氏館跡から約1㎞ほど離れた『元誉寺』に秋元氏の墓があります。秋元氏館跡にあった案内板から『元誉寺』を知りやって来ました。ここには秋元景朝・長朝のお墓があると記載されていたのでやって来ましたが・・・看板はありましたがよくわかりませんでした(´;ω;`)ウゥゥ 見つけたのもとても新しくなっており・・・んんんん???って感じです。その時も不完全燃焼でしたが、家に戻り調べて […]

秋元氏陣屋跡/秋元氏館跡(埼玉県)

秋元氏陣屋跡/秋元氏館跡の感想 案内板によると・・・秋元氏は上総国(千葉県)出身の武将らしく、1541年頃、秋元景朝の時に深谷城主の上杉憲賢・憲盛に仕え、深谷上杉氏三宿老のひとりとして活躍し、息子の秋元越中守長朝も深谷城最後の城主となる上杉氏憲に仕えたとされています。豊臣秀吉の小田原征伐の際に、主君の上杉氏憲は後北条氏の命に従い小田原城に籠城します。上杉氏憲の留守となった深谷城に入城し守備すること […]

中牧城/浄古寺城(山梨県)

中牧城/浄古寺城の感想 武田信玄の時代この地を北国防備強化をするために、1548年に地元の豪族大村氏に命じて中牧城/浄古寺城を築城させたと云われており、大村加賀守・大村伊賀守が城主となっています。1582年に武田勝頼が討たれ甲斐武田家が滅亡すると中牧城はそれでも徹底抗戦を行います。しかし、徳川家康に反抗して敗れ落城・・・徳川家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり1589年今の規模へ修築したみた […]

武田信玄公墓所(山梨県)

武田信玄公墓所の感想 武田信玄公の菩提寺である乾徳山 恵林寺(けんとくさんえりんじ)に『武田信玄公墓所』があります。この 恵林寺は1582年に織田信忠を総大将とする甲州征伐として甲斐武田家を滅ぼした時に、恵林寺を織田軍が焼き討ちすると燃え盛る恵林寺で快川和尚が織田軍に屈することなく『安禅不必須山水 滅却心頭火自涼 = 心頭滅却すれば火も自ら涼し』の辞世を残し焼け死んだとされる寺です( `ー´)ノ […]

本庄城(埼玉県)

本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]

安田義定一族之墓/安田氏五輪塔付宝篋印塔(山梨県)

安田義定一族之墓/安田氏五輪塔付宝篋印塔の感想 安田義定館跡から約1.8km先に『安田義定一族之墓』があります( `ー´)ノ 安田義定館跡にも記載しましたが、安田義定の嫡男の安田義資は越後守に任じられるなど、父子ともども長く鎌倉幕府を支えた安田一族でしたが、建1193年に安田義資が艶書を女房の聴聞所へ投げ入れたと鎌倉幕府から言い掛かりをつけられ安田義資は梟首させられ、安田義定も縁坐で所領を没収され […]

一条氏館跡/一条氏塁跡(山梨県)

一条氏館跡/一条氏塁跡の感想 上野城/甲斐上野城から直ぐ目と鼻の先に『一条氏館跡/一条氏塁跡』があります。(`・ω・´)ゞ 一条信龍の居館址であり一条信龍は武田二十四将のひとりとされています。 一条家は武田氏の有力分家であったようですが鎌倉時代に途絶えていたため、武田信玄が信龍に名家の一条家を継がせ復活させたようです。因みに・・・一条信龍は武田信虎(武田信玄の父親)の末子みたいですね!(^◇^)信 […]

上野城 / 甲斐上野城(山梨県)

上野城 / 甲斐上野城の感想 んんん・・・・なんだろうなぁぁぁ・・・・(;´Д`) 現在は『歌舞伎文化公園』として整備されている曽根丘陵に・・・ここは『市川團十郎発祥の地』がある文化に富んだ場所の上野城/甲斐上野城があります。立派なお城が建っているのですが・・・歴史的な構造や城らしさを感じません。 この先に『一条氏館跡』があるため、従来はそこと合わせて城があったんではないかと思います。一条氏は武田 […]

奈胡十郎義行の墓(山梨県)

奈胡十郎義行の墓の感想 奈胡十郎義行は1160年頃甲斐国奈胡荘を拠点とした武将で、甲斐源氏清光の十男として生まれたと云われています。甲斐源氏といえば1130年に源義清(武田冠者)と源清光(逸見冠者)の両名は常陸国より甲斐国に配流されましたが、甲斐国で各自が勢力を伸ばし拡大していきます。源清光は官牧の発達していた逸見郷へ進出し源清光の長男の光長が『逸見氏』を名乗ることとなります。。。その十男目の義行 […]

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