指定史跡

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下野 白旗城(栃木県)

下野 白旗城の感想 兵庫(播磨国)赤松氏の城で白旗城があるので、ここでのタイトルは『下野 白旗城』とさせて頂きます。白旗城は1394年~1428年ぐらいに大関増清によって築かれた城と云われており、この頃の大関氏は那須家に属した武将集団『那須七騎(主家の那須氏と、一族の蘆野氏・伊王野氏・壬本氏・福原氏と、重臣だった大田原氏とこの大関氏)』の旗頭だった大関氏が大関城から拠点を白旗城に移し築城した(大関 […]

羽生城(埼玉県)

羽生城の感想 羽生城の築城はいつだか誰だかわかっていませんが、1550年頃に広田直繁が築いたとも云われています。実は個人的に前々から来たかった城で、長尾景虎(上杉謙信)と北条氏康が幾度となく羽生城を奪い合っており、拠点とすれば重要な城だったんだと思うのですが、あまり詳しく知られていない城として何か心に引っ掛かっていました。羽生城は古河公方に従っていた広田直繁や木戸忠朝らが守っており、長尾景虎と共に […]

織田信雄/織田氏七代の墓(群馬県)

織田信雄/織田氏七代の墓の感想 織田信雄から始まり、七代目織田信富までの墓が群馬県の甘楽町にあるとのことで行ってきました!織田信雄といえば信長の次男として生まれ、ダメ息子として有名ですよね。もうダメな話が多くて武将じゃなくて愚将なんて呼ばれたりもしますが、この人の子孫しか信長の直系は江戸時代以降明治維新まで生き残っていないので貴重な存在でもあります。信雄ダメエピソードを少し紹介すると、信長の許可も […]

庭谷城(群馬県)

庭谷城の感想 庭谷城(にわやじょう)は鏑川が蛇行する天然の堀に囲まれた城で、西~南側は土塁(この地方は土居とも云うらしいですね)で守られた、2つの郭をもつ城だった様で、この一帯を支配していた国峰城主だった小幡氏の重臣の庭谷氏の城だったみたいですね。国峰城の支城の役割を果たしていたんだと思われます。元々は山内上杉氏に従っていたのですが、武田氏へ寝返り庭谷氏もそれに従ったとされています。が、武田氏が滅 […]

奥平城(群馬県)

奥平城の感想 先日の川尻城、亀山城(川尻城・亀山城は共に現在の愛知県新城市)、からの流れにより、いろんな方々から『奥平氏は群馬県の上野甘楽郡』の武将と聞き早速行ってみました~♪ 『奥平城』です!!! 奥平氏は赤松則景(この人が誰だか全然わかりませんが・・・( ノД`)シクシク…)を祖とし、上野甘楽郡で奥平城を築き奥平氏代々の居城となったようですが、奥平氏八代目の奥平貞俊のときに三河国作手の川尻城に […]

野田城(愛知県)

野田城の感想 『野田城』は愛知県新城市にある山城で、武田信玄の大掛かりな西上作戦(せいじょうさくせん)の途中の城であったが、野田城を一躍有名にしたのは『武田信玄狙撃の地』でもあるからです!?武田信玄が野田城を攻めた時、野田城から聞こえる笛の音に聴き惚れていたら、野田城の城主、菅沼 定盈(すがぬま さだみつ)の家臣だった、鳥居三左衛門に狙撃されたという言い伝えがあり、武田信玄はその鉄砲傷が原因で亡く […]

臼井城(千葉県)

臼井城の感想 臼井城は千葉氏の家臣臼井氏の居城だったところです。あまり人が来るお城ではありませんが、上杉謙信が唯一負けた戦いと言われているのがこの「臼井城の戦い」とあと「生野山の戦い」の2つと言われています。臼井城の戦いは、1565年に後北条氏の北条氏康と関東管領だった上杉謙信の関東を巡る領有権争いの戦いの一つです。実際に戦っていたのは北条氏側が原氏で上杉謙信側が里見氏と謙信自身になります。臼井城 […]

服部半蔵の墓(東京都)

服部半蔵の墓の感想 服部半蔵の墓も東京にあるということで行ってきました。前回の今川氏真の墓に続いて大河ドラマ「どうする家康」で名脇役として印象に残る服部半蔵。山田孝之さんが演じていたことで知っている人が多いとは思いますが、その服部半蔵のお墓が東京都新宿区にあるのを知っている方は少ないのではないでしょうか。私も正直どこにあるのか調べるまで伊賀出身などと言われていたので三重県かな?と思っていました。ま […]

今川氏真の墓/今川家累代の墓(東京都)

今川氏真の墓/今川家累代の墓の感想 桶狭間の戦いで敗れた今川義元の嫡男、今川氏真の墓が東京にあるとのことで行ってきました。大河ドラマ「どうする家康」で今川氏真は溝端淳平さんが演じており、最後にも年老いた姿で登場するなど通常であれば影に隠れてしまう存在の役ながら意外と大事にされている役として描かれていたので気になっていました。そんな氏真のお墓は地元静岡県のどこかにあるものと勝手に思っていましたが、東 […]

足利氏宅跡/鑁阿寺(栃木県)

足利氏宅跡(鑁阿寺)の感想 足利義康を祖とする足利氏の館跡に行って来ました。鑁阿寺(ばんなじ)として本堂が国宝に指定されており、途中で修繕されているとのことですが、1299年に建てられたとのことです。震災など地震もありながら今でも残っていることが奇跡に感じます。今後も大事に残してほしいですね。この足利氏館は義康の息子である足利氏2代目の義兼によって1197年に建てられたとのことです。この義兼の妻は […]

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