2024年

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引田城(香川県)

引田城の感想 引田城の築城は定かではありませんが、1504年〜1521年頃に昼寝城主の寒川元政の家臣で信濃国から入国した四宮右近が城主となった城らしく、阿波(徳島県)との国境を守備し阿波の三好氏との防衛ラインとしての最前線の城だったと思われます。西側が播磨灘に面し淡路島を望める事が出来、標高82mの城山の山頂に築かれた「山城」でありながらも、北側と南側も海に面し三方を海に囲まれた「海城」でもありま […]

遠江小山城(静岡県)

遠江小山城の感想 小山城へ行ってきました!小山城は他の地域にもあるためこのサイトでは遠江小山城とさせていただきます。遠江小山城は武田信玄が今川氏が滅びた後、三河の徳川家康と遠江の領有を争った際に天神山城と合わせて武田側の重要拠点となったお城です。現在は能満寺山公園となっており、お寺の一部となっております。遠くからでも天守閣が目立つお城ですが、当時天守閣のあったお城ではありません。天守閣は展望台とな […]

田中城(静岡県)

田中城の感想 田中城に行ってきました!田中城は元々、今川氏の城でしたが、今川氏が滅びると武田信玄が今川の領地に侵攻してきて、この田中城は落城しました。そして、武田家臣四天王の一人、馬場信春がこの田中城を改修します。そんな武田信玄が手に入れた田中城ですが、長篠・設楽原の戦いで馬場信春は討ち死にしてしまいます。田中城の城主として入ったこちらも四天王と言われる山県昌景も馬場信春同様に長篠・設楽原の戦いで […]

横須賀城(静岡県)

横須賀城の感想 横須賀城は武田信玄の高天神城に対するお城の一つとして徳川家康が大須賀康高に造らせたお城になります。この頃からなのか、それともそれ以前から徳川家康に従っていたのかわかりませんが、個人的にはこの地域発祥の「横須賀党(衆)」という家康の家臣団に興味がありずっと行きたいと思っていました。横須賀党の部隊は高天神城の攻略で活躍し、歴史に名を刻んだ武士たちになります。この横須賀党の活躍により、大 […]

浜松城(静岡県)

浜松城の感想 徳川家康の城といえば浜松城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。1570年から1586年の駿府城へ移るまでの居城で、この前の記事でも書きましたが、武田信玄との戦いに備えるためのお城でもあり、三方原の戦いなどはこの浜松城の近くになります。浜松城は元々、曳馬城と呼ばれていて、家康が移ってきた時に浜松と名前を変えた経緯があります。家康が先ほど書いた武田信玄に対する城にするために改修を […]

三方原古戦場(静岡県)

三方原古戦場の感想 徳川家康・織田信長 対 武田信玄の戦いの地である三方原古戦場に行ってきました。三方原の戦いといえば徳川家康が武田信玄に大敗し、多くの死傷者を出した戦いとして有名です。大河ドラマ「どうする家康」でもこのころは家康は頼りない武将として描かれており、この頃の失敗が糧になって関ヶ原以降の天下取りに生かされているようなストーリーになっていたかと思います。当時は武田信玄が天下に一番近い(強 […]

今川氏輝公の墓(静岡県)

今川氏輝公の墓の感想 今川氏輝は桶狭間の戦いで有名な今川義元の兄にあたる方になります。今川氏輝は24歳という若さで亡くなっており、家督を継いだ時は14歳という若さで今川の当主になっています。若くて何もせずになくなっているかというとそんなことはなく、小田原の後北条氏と手を組んで武田信虎(武田信玄の父)と戦って勝利を納めたりしています。ただ氏輝は後継がいないまま亡くなってしまったので、後継者争いで今川 […]

旭姫(徳川家康正室)の墓(静岡県)

旭姫(徳川家康正室)の墓の感想 徳川家康の正室で豊臣秀吉の妹になります旭姫のお墓に行ってきました。駿府城からも近い場所なので駿府城へ行ったのでこれは行っておこうと思いお参りさせていただきました。個人的には大河ドラマきっかけで知った方なので詳しいわけではないですが、どうする家康では山田真歩さんが演じられていました。旭姫は徳川家康の最初の正室である築山殿(こちらは有村架純さんが演じられていました。)が […]

大田原城 / 龍城 / 龍体城(栃木県)

大田原城 / 龍城 / 龍体城の感想 『大田原(おおたわら)城』は、大田原資清(おおたわらすけきよ)によって築城され、1543年~1545年には大田原氏の本拠としていたと思われます。大田原氏は元々『大俵氏』だったらしく、14代だった資清の代に「大田原」に改姓したらしいですね。。。この辺の判断など、大田原資清の判断力と実行力には結果的に驚かされますね(〃艸〃)ムフッ大田原氏は那須氏の有力武将の『那須 […]

黒羽城(栃木県)

黒羽城の感想 黒羽城は現在の栃木県大田原市(下野国)にある県北でも那須烏山城と同様に大規模な山城で、白旗城にいた大関高増が新たに黒羽城を築き自らの居城として移り住んだ様です。この大関高増は元々は大田原資清の長男でしたが戦略上大関氏へ養子に出され、大関氏の家督を継いだものと思われます。那須氏の傘下にいましたが1560年小田倉の戦い(白河結城氏と蘆名氏が那須氏を滅ぼすために侵攻した戦い)で、数で劣る那 […]

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