孤高の反逆児ポンタ

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結城城(茨城県)

結城城の感想 結城城ははっきりしていませんが(古すぎて)結城朝光(ゆうきともみつ)が築いた城だと云われているようです。結城朝光は平安時代~鎌倉時代中期ごろまで活躍した武将で、勢力を持った有力な御家人として存在してました!!!下総結城氏の初代当主でもあったと思われます。(下総国は現在の千葉っぽいですがまんざら外れてもいなく、千葉の北部と茨城の南西部辺りを指すようです。。。けど今回は下野国(しもつけの […]

長島高城(東京都)

長島高城の感想 現在の東京都江戸川区東葛西に『長島高城』があります。かなり古いお城だったのかもしれません。今は『清光寺(せいこうじ)』となっています。お城がお寺になっていることはよくあることですね。案内板によると『小田原北条氏が関東一円を支配していた時代の記録『小田原衆所領役帳』には江戸川区内十六の郷村名が登場し、その中に『長島高城』という記載があります。』と書かれていました。調べてみますと、平安 […]

安国寺恵瓊の墓(広島県)

安国寺恵瓊の墓の感想 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は毛利家の外交僧であり一説では豊臣政権下では秀吉に取り立てられ大名であったともされています。(異説ありますなぁぁぁ・・・・)安国寺恵瓊はなかなかの不思議な生き様があり、もともと毛利元就が滅ぼした名門の安芸武田氏の一族だった様で、1541年に毛利元就に安芸武田氏が滅ぼされると、武田信重(これも諸説ありますが)子だった恵瓊は家臣に守られ佐東銀山城を脱 […]

福島正則の墓(広島県)

福島正則の墓の感想 福島正則さんのこと知っていますか!?!?!?!?(〃艸〃)ムフッ 福島正則さんは幼名を『市松』といい、尾張の国二つ寺村で桶屋を営む家の長男だったみたいです。再婚された母親がたまたま豊臣秀吉の母(大政所)だったため、身内として豊臣秀吉に重要視されたようですね~(⌒∇⌒) 幼名、市松は相当の暴れん坊だったみたいで、盗人を捕まえ一刀両断したとか!?!?!?いろんな話が上がるほどの暴れ […]

伊能城(千葉県)

伊能城の感想 伊能城は現在城山と云われる大きな曲輪と他ふたつの曲輪を有する、この地域でいえば結構大きな規模の平山城だと思われます。実際に行ったときはとにかく草が生えまくっててすごく、夏場の山城攻めはかなり厳しいもんだと感じました!苦笑城内は切通の道が築かれており、土塁も小口の曲輪も確認できるはずが何度も言いますが草ぼーぼーで全然よくわかりませんでした!?(´;ω;`)ウゥゥ 伊能城は伊能朝辰が築城 […]

大崎城 / 矢作城(千葉県)

大崎城 / 矢作城の感想 大崎城(現地ではそぉ書かれていので)は矢作城とも云われ、本矢作城の城主第4代目の国分胤長の次男、国分泰胤が城替えして拠ったと云われています。大崎城/矢作城は本矢作城よりはるかに大きな城で、佐原へ向かうための交通の要衝だったため城を築いたんだと思います。もともとこの大崎の地(大崎庄)は足利家の次男である斯波宗家が大崎庄を領有したが、斯波氏が奥州を本拠とするようになり移ってい […]

助崎城(千葉県)

助崎城の感想 助崎城は現在の千葉県成田市にある尾羽根川の北側にあるこんもりとした小山に築かれた城です!助崎城は千葉 常胤(ちば つねたね)の四男の大須賀 胤信(おおすが たねのぶ)が築いた城と云われており、大須賀 胤信が助崎城を築いた後、新たに松子城を築き本人は移り居城としたため、助崎城は代々大須賀 胤信の子孫が助崎城を守っていたみたいです。 1590年、小田原征伐による豊臣秀吉が進軍した際に、助 […]

時崎城(千葉県)

時崎城の感想 全く偶然見つけブラリと城攻めした城『時崎城』です。誰が城主で何の目的で築かれた城なのか全然わかりません!( ノД`)シクシク…しかし、時崎城の案内板を読むと、時崎城は佐倉市市民文化資産に指定されており、地域住民にとっては貴重な文化資産とされていました・・・Σ(・□・;) 城内は小ぶりですが土塁や曲輪(かなり小さめ)が確認され、確かに・・・城だよなぁ・・・っと納得できる築城状況です。大 […]

小竹城(千葉県)

小竹城の感想 小竹城も臼井城の支城として築かれた城の様で、案内板からすると、臼井氏同様千葉紙の流れを組む小竹氏の城だった様で、1390年頃、小竹五郎高胤が築いたとされています。簡単ではありますが土塁や空堀のある城だった様ですが、行ったときは草がボーボーで全然よくわからず、しかも立ち入り禁止の看板があったので、この案内板だけしか確認できませんでした!(´;ω;`)ウッ… 小竹城画像ギャラリー 小竹城 […]

師戸城(千葉県)

師戸城の感想 「臼井家由来抜書」によると、鎌倉時代末期には臼井氏の支城として師戸(もろと)城は支城として築城されていた様です。印旛沼(西印旛沼)を囲むように、臼井城の北側に支城として築かれ、西側には飯野城も築かれており印旛沼の水路の要としてあったんだと思われます。築城時期はよくわかっていないようですが、臼井氏四天王のひとり師戸四郎の居城としていた様です。その後、上杉謙信の侵攻にも奇跡的に防いだ臼井 […]

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