武将・大名

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  • 2024.02.04

山縣昌景 / 山縣昌次・名取道忠 / 高坂助宣 の墓(愛知県)

山縣昌景 / 山縣昌次・名取道忠 / 高坂助宣 の墓の感想 長篠・設楽原古戦場のほぼ正面、たぶん武田軍が陣を引いてあっただろうと思われる小さな丘に、山縣昌景の墓があり、山縣昌景と共に、山縣昌次・高坂助宣の墓もありました。古戦場沿いの農道になるのかな?その道沿いに『山形(縣)の地名』の案内板があり、その横の細道40mに山縣塚としてあります。 山縣昌景 / 山縣昌次・名取道忠 / 高坂助宣 の墓画像ギ […]

甘利信康の墓(愛知県)

甘利信康の墓の感想 長篠・設楽原古戦場のすぐ目の前に『甘利信康の墓(碑)』があります。 甘利って名前にピン!ってくる方もいらっしゃると思いますが、甘利信康は甘利虎泰の子であります、甘利虎泰のは『武田四天王』のひとりとして有名で、武田信玄を国主にするためにクーデターを企てたひとりで、その後も数多くの武功を上げていきます。残念なことに天文17年(1548年)には村上義清(むらかみ よしきよ)との間で起 […]

五味与三兵衛貞氏の墓(愛知県)

五味与三兵衛貞氏の墓の感想 武田勝頼が長篠・設楽原の合戦の際に布陣した場所を探していたら偶然発見できました。 『五味与三兵衛貞氏の墓』です!誰ですか?五味貞氏って???全く知らない武将のお墓を発見しちゃいました。案内板にある通り・・・『謎?』(。´・ω・)? 五味氏はもともと越後国の武将だったみたいで、浪人となり兄である五味長遠と共に五味与三兵衛(貞氏?若しくは、貞成、それとも高重???)は武田信 […]

土屋昌続(昌次)討死の地(愛知県)

土屋昌続(昌次)討死の地の感想 土屋昌続(昌次)は武田二十四将のひとりとされ、金丸寅義の次男として生まれ平八郎と名乗っていたが、成長とともに武田信玄から『昌』の文字を貰い『金丸昌続(昌次)と名乗り、後に真田昌幸・三枝昌貞・曽根昌世・甘利昌忠・長坂昌国らと『奥近習六人衆』とされる信玄直属の若手側近として活躍する。初陣は真田昌幸と同じ第四次川中島の合戦であったため(一番激しい戦い)真田昌幸と共に武田信 […]

新羅三郎義光公御菩堤所・源義光(山梨県)

新羅三郎義光公御菩堤所の感想 『新羅三郎義光公御菩堤所』は1127年、甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光(源義光公)の菩提を弔うためにその子義清によって創立された菩提寺です。当初は天台宗のお寺で高根町にあったようですが、1430年に現在地に移転し曹洞宗に改宗したようです。現在の場所を説明すると中央自動車道須玉バイパスから国道141号を清里方面に上ってすぐ左側に見えます。甲斐武田氏のスタートとなった […]

有馬晴信の謫居/自害の跡(山梨県)

有馬晴信の謫居(たっきょ)/自害の跡の感想 少し歴史に詳しい人からすれば違和感を感じるかもしれません。有馬晴信は九州の武将で、肥前国日野江藩初代藩主であり九州動乱の中で勢力を拡大した大名のひとりです。叔父に大村純忠がいるなどキリシタン大名として有名です。(当初は有馬晴信はキリシタンを毛嫌いしていたのですが途中で洗礼を受けキリシタン大名になったらしいですね) 当初は肥前守護職の大友宗麟に従い勢力を拡 […]

武田勝頼(夫人/信勝 )生害石(山梨県)

武田勝頼(夫人/信勝 )生害石の感想 前回の武田勝頼/夫人/信勝の墓からの流れで、同じ景徳院内に3名の生害(自害)した場所があります。3名がお互いに生害石(その石の上に座って自害した場所)がありました。何とも言えない気持ちが湧き出てきて、苦しさがたくさんあったと思うのですが、その時の疲れと諦めと切なさと・・・複雑な気持ちが入り乱れていたと容易に想像がつきます。 是非!皆さんも足を運んで感じて頂けれ […]

武田勝頼公(夫人/信勝)の墓(山梨県)

武田勝頼公(夫人/信勝)の墓の感想 前回の続きから・・・織田軍の総攻撃に未完の新府城を焼き払い撤退を余儀なくされた武田勝頼は、当初、親族の小山田信茂の岩殿城を目指し共に撤退を行うが、途中、この小山田信茂に裏切られ岩殿城への入城(小山田領地への入国?)を拒否されてしまうため、武田家とゆかりのある天目山棲雲寺(せいうんじ)を目指し、この甲州街道(国道20号線)から外れ現在の県道218号線の日川沿いを進 […]

武田勝頼公腰掛石(山梨県)

武田勝頼公腰掛石の感想 地図を眺めながら・・・『天目山』ってどこなんだよ?ってふと疑問に感じました。武田勝頼さんは説明いらないぐらいの有名な方ですよね。あーじゃーこーじゃーありましたが、武田信玄の跡を継ぎ、戦国最強の武田軍団のTOPとなった武田信玄の四男です。結果的に武田を滅ぼしてしまうので賛否あると思うのですが、俺個人的には非常に能力の高い戦国武将だったので武田を継いだ武将だと思っています。 歴 […]

  • 2023.08.19

九度山真田庵(和歌山県)

九度山真田庵の感想 信州長野や群馬のイメージが強い真田氏ですが、真田昌幸、幸村の親子は関ヶ原後ここ九度山に幽閉されて昌幸はこの九度山で生涯を閉じています。個人的に真田昌幸は黒田官兵衛と並ぶ優秀な戦国時代の軍師(策士)だと思っており、とても好きな武将の一人です。幸村はここ九度山から出奔し「日の本一の兵」と呼ばれ大阪夏の陣で活躍したことで有名ですね。あの時、徳川が打ち取られていたら・・なんて考えるのも […]

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