グルメ・お土産情報

4/8ページ

備中高松城(岡山県)

備中高松城の感想 高松城とはありますが、現在の岡山県に存在する備中高松城(四国ではありません!)です。備中高松城は豊臣秀吉(若しくは黒田官兵衛)の代名詞にもなった『水攻め』で攻め滅ぼされた城で、その後、小田原征伐の時に秀吉の側近、石田三成が北条方の成田氏が守る忍城を備中高松城と同様に水攻めを行い大失敗し、小田原征伐で唯一北条方のお城を落とせなかった城として、石田三成の戦下手のレッテルが張られるぐら […]

八王子城(東京都)

八王子城の感想 関東での屈指の山城である『八王子城』です。関東制覇を目論む北条(後北条)氏が小田原城の支城とした築いた城で、築城は北条氏照(北条氏康の三男)といわれており、そうとう思いを込めてこの壮大な山城を築城したと思われます。北条氏照は当初、有力豪族であった由井領主の大石氏の娘を娶り養子として入り、北条氏ではなく大石氏を名乗っていたこともあり、この地域は武田からの侵略を防ぐため重要な役割を氏康 […]

大洲城(愛媛県)

大洲城の感想 大洲城は鎌倉時代1331年に宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が地蔵ヶ岳に城を築いたのが始まりです。このお城の特徴は複合連結式の4層4階天守閣。連結とは櫓と天守が繋がっていることで、しかも櫓は現存櫓で天守も極力当時の技術と日本の木材を使い現代の技術で精巧に復元されているところです。復元天守は中に入ると綺麗で一眼で当時のものではないと分かりますが、繋がっている現存の櫓と見比べると新旧の違 […]

三原城(広島県)

三原城の感想 三原城は1567年に小早川隆景(こばやかわたかかげ)が築城したお城です。小早川隆景は毛利元就(もうりもとなり)の三男で関ヶ原で有名な小早川秀秋(こばやかわひであき)のお父さんになります。秀秋は養子なので隆景の嫡男ではありません。三原城は現在残っているのは天守台と舟入櫓跡など一部なのですが、一番驚いたのは電車の駅と一体化していることです。実際天守台に行くには駅の構内から階段を登ります。 […]

亥鼻城/千葉城(千葉県)

亥鼻城の感想 千葉県千葉市にある亥鼻城(千葉城)に行ってきました。千葉県庁の近くにある亥鼻城は千葉市のシンボルでもあるお城です。天守閣のような建物が立っておりますが、これは千葉市立郷土博物館で天守閣ではありません。そもそも亥鼻城に天守閣は元々あったわけではないのであくまでも観光的な意味合いが強い建物ですね。ただ、郷土資料館もお城のある亥鼻公園も無料で入れるので気軽に行けて良い場所だと思います。亥鼻 […]

岩殿城(山梨県)

岩殿城の感想 山梨県大月市にある岩殿城(いわどのじょう)へ行ってきました。岩殿城は岩殿山にあったお城で岩殿山城ともいわれます。ここは織田・徳川軍に負けて敗走した武田勝頼が辿り着くはずであったお城で、小山田氏の裏切りにより勝頼はお城には入れてもらえず天目山で自害することになります。この近辺は武田家の家臣であった小山田氏が支配していた地域で、岩殿城は岩の名前がつく通りの岩山で断崖絶壁のような場所に作ら […]

深大寺城(東京都)

深大寺城の感想 東京都調布市にある深大寺城へ行ってきました。深大寺は深大寺そばというお蕎麦が有名な観光地でもあります。深大寺城は今は都立神代植物公園の水生植物園内に遺構があります。無料の区域ですので開園時間内であれば誰でも見ることができます。都立神代植物公園に有料の駐車場がありますが、水生植物園(深大寺城跡)は駐車場から離れているので水生植物園の入り口周辺にある有料駐車場に止める方が城を見る方には […]

花隈城(兵庫県)

花隈城の感想 都心にどしっと構えている『花隈城』です!神戸です!花隈城は別名『花熊城』や『鼻隅城』や『鼻熊城』と呼ばれていたみたいで、その名の通り、当時はこれは六甲山の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」、その稜線を「隅」で言い表したものだと言われております。荒木村重が織田信長に命じられて築城した城といわれていますが、和田惟政が織田信長に摂津の支配を任されたときに築いた城だともいわれています。どちら […]

水戸城(茨城県)

水戸城の感想 水戸城といえば水戸黄門のイメージが強いですね。私もその一人です。徳川御三家の水戸徳川家でしかも江戸時代に築城されたお城だろうと勝手に思っていたのですが、実は平安時代末期から鎌倉時代にかけての築城ということでだいぶ古くからあるお城のようです。 現在は文教地区となっており、ほとんどの遺構が高校か中学校、小学校に幼稚園などになっております。お城に学校がある感じですね。たぶん観光目的の集客も […]

関宿城(千葉県)

関宿城(せきやどじょう)の感想 関宿城は関東以外もしくは千葉、茨城あたりの境に住んでいない方には聞いたことも無いお城かも知れません。でも、このお城、とても重要な位置に築城されており、築城は簗田氏(やなだし)と言われてますが、その後、北条氏の城となっても重要なお城とされ、小田原征伐以降は徳川家系の城となりますが、家康も重要と判断し家康の弟、松平康元を城主として送り込みます。そして明治の廃城令まで使用 […]

1 4 8