明智煕子・明智光秀一族の墓(滋賀県)
明智煕子・明智光秀一族の墓の感想 明智煕子(あけちひろこ)の墓へ行ってきました。煕子は明智光秀の正妻になります。明智光秀は生涯、煕子以外に側室などを持たなかったとされていて2人の夫婦愛が伝わってくる話が多く有ります。明智光秀は斎藤道三に仕えていたので道三が亡くなると浪人になります。本当かどうかわかりませんが、とても貧しかったこの時代に煕子は自分の自慢の黒髪を売って家計を助けたなどの逸話が残っていま […]
各お城の存在した時代で表示をしています。
明智煕子・明智光秀一族の墓の感想 明智煕子(あけちひろこ)の墓へ行ってきました。煕子は明智光秀の正妻になります。明智光秀は生涯、煕子以外に側室などを持たなかったとされていて2人の夫婦愛が伝わってくる話が多く有ります。明智光秀は斎藤道三に仕えていたので道三が亡くなると浪人になります。本当かどうかわかりませんが、とても貧しかったこの時代に煕子は自分の自慢の黒髪を売って家計を助けたなどの逸話が残っていま […]
河内 野田城の感想 これまたたくさんありそうな野田城ですが、ここの野田城は河内国にある野田城で、1326年に河内国野田荘の地頭になった野田正勝が築いた城で野田正勝(野田氏)は楠木氏に従い各地を転戦していた武将です!野田正勝は楠木正成と共に上洛を目指す足利軍と戦い戦死してしまいます(湊川の戦) 野田正勝の子、野田正氏野田家を継ぐと楠木正行(楠木正成の子)に従い奮闘しますが四条畷の戦いで共に戦死して […]
小谷城の感想 小谷城と云えば近江の巨大な山城で浅井長政の居城だった小谷城が超有名ですが、この和泉国?河内国?にも小谷城が・・・しかも築城はこの堺近郊では最も古く築城された城として小谷城があります!(`・ω・´)ゞ小谷城は鎌倉時代ごろに標高80mの泉北丘陵高台に自然の地形を利用して、平氏一族の小谷氏が築いた城みたいです。小山城は栂山(たぶん『とがやま』)城(現在の原山台)と豊田城(現在の泉北高校)と […]
千石堀城 / 今城の感想 千石堀城は和泉国(大阪府貝塚市橋本)にある山城でほぼ紀州国(和歌山)に隣接した場所にあります。1585年に石山合戦で織田信長と戦っていた本願寺氏が根来衆と雑賀衆と連携し、和泉国の5~7か所にこの様な城を築き防衛ラインを強化し始めます。千石堀城のそのひとつの山城だったと思われます。 本能寺の変が起こり織田信長が壮絶な死を迎えると、豊臣秀吉が権力を奪取し紀州国の要の城岸和田城 […]
清水冠者源義高終焉の地の感想 国道16号線沿い狭山市入間川の側に『清水冠者源義高終焉の地』があります。源義高 って誰かって云うと、以仁王(もちひとおう)の号令により平家討伐のために挙兵し、平家の大軍を破って源頼朝軍よりも早く入京した、木曽(源)義仲の子です!!!木曽(源)義仲(信濃)は源頼朝(鎌倉)と関係が徐々に悪化し武力衝突寸前となりますが、一旦は和解し木曽(源)義仲は和解のしるしに息子の源義高 […]
広島城/鯉城/在間城/当麻城の感想 広島城は1589年に毛利元就に孫にあたる毛利輝元によって安芸国佐東郡(現在の広島市中区基町)にあった太田川の河口デルタ地帯に築かれた城です。当時は河口と海が繋がっていたので『浮城』っぽかったんじゃないかと思います(^▽^)/城の構造は大阪城を参考にしたと云われており、1592年には九州の名護屋城に向かう豊臣秀吉が広島城に立ち寄ったらしく、余談にはなりますが『広島 […]
武蔵 天神山城の感想 『天神山』って名前の城って結構あるなぁ~(*`艸´)ウシシシ ここではあえて『武蔵 天神山城』ってことにしてみます(o^―^o)ニコ武蔵天神山城は近くに深大寺城があり、武蔵天神山城はこの深大寺城の支城であったと思われます。その昔は、後北条氏の砦も築かれていたとか!?!?!?!? 現地に案内板がありそれを確認してみると、築城時期や築城主は不明ですが武蔵七党のひとつである村山党の […]
島津義久公の墓の感想 島津義久公の墓へ行ってきました。島津義久公といえば、第16代島津家当主であり、島津4兄弟の長男で戦国島津の、「薩摩・大隅・日向」三洲統一の立役者といった認識のお持ちの方も多いと思います。ただ、最近はネットで違う人気を博している武将でもありまして、「戦国最強の引きこもり」とか「引きこもり武将」などとして話題になっている人物でもあります。話題性を持たせるためにこの様な表現でYOU […]
舞鶴城/国分城/国分新城/国分御屋形の感想 この前の記事で最初に島津義久が隠居した居城の富隈城について書きましたが、富隈城の後に移った居城が国分城(こくぶじょう)になります。説明するまでもないかもしれないですが、島津義久(しまづよしひさ)は島津家第16代当主にあたり、義弘(次男)、歳久(三男)、家久(四男)と共に「島津四兄弟」として戦国時代で活躍した武将として知られています。そんな義久の居城ですが […]
富隈城の感想 富隈城は「とみくまじょう」もしくは「とみのくまじょう」と読みます。1595年に島津征伐として豊臣秀吉に強制的に隠居させられた島津家第16代当主「島津義久(しまづよしひさ)」が内城を島津忠恒に譲ったため、急遽仕方なく築城したお城が富隈城と言われています。当時はほぼ目の前が海になっていて港を作り、商人を招き薩摩藩のなかでもかなり栄えた場所になったとのことです。ただ、詰城になるような山が近 […]