- 2026.06.21
- 入場料無料,
徳川義季館跡(徳川館)(群馬県)
徳川義季館跡(徳川館)の感想 徳川義季館跡(徳川館)はこの前に書いた記事、徳川館跡の新田義重の宝塔のすぐ近くにあります。徳川義季は新田義重の次男(四男とも)とされ、徳川氏の祖、初代徳川氏ということになります。あの天下統一をした徳川家康の徳川家の発祥が群馬県だったとは驚きませんか?徳川家康は元々は松平でしたが、官位(三河守)をもらうためには松平性ではダメとされたために祖先が新田氏の徳川氏に行き着くと […]
各お城の存在した時代で表示をしています。
徳川義季館跡(徳川館)の感想 徳川義季館跡(徳川館)はこの前に書いた記事、徳川館跡の新田義重の宝塔のすぐ近くにあります。徳川義季は新田義重の次男(四男とも)とされ、徳川氏の祖、初代徳川氏ということになります。あの天下統一をした徳川家康の徳川家の発祥が群馬県だったとは驚きませんか?徳川家康は元々は松平でしたが、官位(三河守)をもらうためには松平性ではダメとされたために祖先が新田氏の徳川氏に行き着くと […]
徳川館跡の新田義重の宝塔の感想 徳川館跡にある新田義重の宝塔ということですね。ということはここは徳川館の敷地内に当たる場所ということになるんだと思いますが、周りは畑で住宅もありますが、城跡らしい痕跡はこの場所では感じ取れませんでした。この宝塔の麓から2つの遺骨が出たとのことなので、新田義重とその妻では無いかと考えられているようです。新田義重(源義重)は新田氏の祖でこの新田の荘をもらったことで新田氏 […]
東方城の感想 東方城は1456年頃に深谷上杉氏の居城深谷城の支城として築城された城らしく、当初は誰が築城し誰の城だったのかわかっていなかったようですが、最近では深谷上杉氏四天王のひとりの矢井重家の弟であった矢井重任が東方城の城主であったとされています。 深谷上杉氏の上杉氏憲が後北条氏の傘下に入り、1590年の豊臣秀吉による『小田原討伐』の際に後北条氏と共に深谷上杉氏も滅んでしまったようです。後に国 […]
上杉憲英公の墓/上杉氏歴代墓の感想 庁鼻和(こばなわ)城内に建てられたとされる『国済寺』に『上杉氏憲英公の墓/上杉歴代墓』があります。 上杉憲英は南北朝時代から室町時代に掛けて活躍した武将で、関東管領山内上杉氏の有力な一門で上杉 憲顕(うえすぎ のりあき)の六男として誕生し、庁鼻和(こばなわ)城を築城し『庁鼻和(こばなわ)上杉氏』を名乗っていた様です。上杉憲英は上野国守護や蔵人大夫、奥州管領などを […]
庁鼻和城の感想 庁鼻和(こばなわ)城の築城は定かではありませんが、関東管領山内上杉憲顕の六男 上杉憲英によって築かれたことから始まったとされ、庁鼻和(こばなわ)上杉氏と名乗り山内上杉氏の有力な分家のひとつとされました( `ー´)ノ その後になりますが、上杉憲英の曾孫にあたる上杉憲房が庁鼻和城を出て新たに深谷城を築き深谷上杉氏を称し一族で勢力を拡大していきます。その流れから庁鼻和上杉氏は深谷上杉氏と […]
深谷城/木瓜城の感想 深谷城の築城はさだけではありませんが、深谷上杉氏の上杉房憲が台地の北端部付近に築いた平山城です!深谷上杉氏の祖とされる上杉憲英(のりふさ)は、はじめは庁鼻和(こばなわ)城を本拠としたため、「庁鼻和上杉氏」と称されました。主家にあたる山内上杉氏は、鎌倉を出て古河を拠点とした古河公方足利成氏に対抗するために、五十子(本庄市)に陣を置いたと云われています。庁鼻和上杉氏である上杉房憲 […]
反町館跡/新田義貞公古城跡の感想 新田義貞の居城とも言われている反町館に行ってきました。築城は鎌倉時代から南北朝時代頃とされているので、13世紀から14世紀ごろでしょうか?最初は一重の掘りだったようですが、戦国時代には三重堀に拡張されたとのことです。現在の堀跡は道路工事などで当時のものというわけではないみたいですが、綺麗な水堀なので見る価値ありです! お城の遺構らしきものはほとんど残っていないです […]
由良成繁公の墓の感想 由良成繁は小野氏の流れを組む横瀬氏の家系で、横瀬氏は新田岩松氏の家臣をしていた家系になります。最初は横瀬成繁と名乗っていましたが、1528年、主君である新田岩松氏、岩松昌純を殺害し新田金山城を落城させた後に由良氏を名乗るようになります。 由良成繁はこの新田金山城を居城にしますが、1573年には嫡男の国繁に譲り、自分は桐生氏から奪った柄杓山城(桐生城)に移ります。そして1578 […]
平井金山城/金山城の感想 平井金山城は平井城の詰城になります。詰城とは戦いの時に籠るお城のことを言います。平時は生活しやすい麓に平城を建てて生活し、戦になると山城など概ね高いところに作ってある詰城を使用して落城させないようにしているお城が多くありました。同じ群馬県内にもう一つ有名な金山城(新田金山城)と区別するためにこちらは平井金山城と呼ばれます。平井金山城の歴史ですが、1466年に上杉顕定によっ […]
藤岡城/芦田城の感想 藤岡城は方形の平城のお城だったようです。1590年に築城なので、戦国時代末期に建てられたお城ということになります。築城主は依田(芦田)康勝で1590年に小田原攻めで後北条氏が滅んだことによる、徳川家康の関東移封で家康から藤岡に3万石をもらったとのことです。しかし、康勝は1600年に大阪で囲碁で同僚の小栗三助と喧嘩になり小栗三助を殺害してしまいます。康勝はそのまま高野山に蟄居さ […]