土佐 長浜城(高知県)
土佐 長浜城の感想 長浜城は長宗我部元親の初陣となった『長浜の戦い(長浜表の戦い)・戸ノ本の戦い』の舞台となった城です。長宗我部国親・元親親子は、種﨑城に運んでいいた兵糧を本山氏側の潮江(うしおえ)城の兵に奪われたことから戦に発展し、長浜城攻略に踏み切った戦となりました。長浜城攻めには面白いエピソードが残っています。元々は長宗我部氏配下の福富右馬允という者が罪を犯し放逐されました。福富右馬允は本山 […]
主に南北朝時代1400年頃までの室町時代に存在したものを表示しています。
土佐 長浜城の感想 長浜城は長宗我部元親の初陣となった『長浜の戦い(長浜表の戦い)・戸ノ本の戦い』の舞台となった城です。長宗我部国親・元親親子は、種﨑城に運んでいいた兵糧を本山氏側の潮江(うしおえ)城の兵に奪われたことから戦に発展し、長浜城攻略に踏み切った戦となりました。長浜城攻めには面白いエピソードが残っています。元々は長宗我部氏配下の福富右馬允という者が罪を犯し放逐されました。福富右馬允は本山 […]
潮江城の感想 潮江は『しおえ』ではなく『うしおえ』と呼びます。よってこの城は潮江(うしおえ)城と云います(^▽^)/ 潮江城の築城はわかっていません。南北朝時代には南朝方の大高坂山城(現在の高知城)を支援するために南朝方の諸将が潮江山に陣取って北朝方と対峙したとされているので、砦などがあったのかもしれません。戦後期時代に入ると潮江城の城主に『片岡氏』や『長氏』の名前が見えますが、『長氏』は本山氏の […]
高知城 / 鷹城の感想 土佐国の有名な名城『高知城(別名鷹城)』です!(。◕ˇдˇ◕。)/ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ高知城は『日本100名城』にも選ばれている名城で、皆さんの中では山内一豊や幕末の妖怪(失礼かも!?)山内容堂の居城として有名な城だと思います。 高知城は元々『大高坂山(おおたかさか)城』という城がベースだったとされています。大高坂山城は大高坂氏の居城である。大高坂氏はその昔、源平合戦で平家 […]
吉田備後守邸跡 / 吉田城の感想 吉田城は長宗我部氏の居城、岡豊(おこう)城より国分川を挟んで約2kmの場所に、『吉田備後守邸 / 吉田城』があります。吉田備後守孝頼は智謀勇猛で知られた武将で、その昔は藤原秀郷の後裔とと云われており、足利尊氏の下で武功を上げ土佐国の地を貰ったとされています。吉田孝頼は長宗我部国親(元親の父)が土佐国の岡豊城に復帰できると、二十歳ぐらい若い国親の叔母婿となり国親を支 […]
岡豊城の感想 さてさて・・・岡豊城です!!!云わずと知れた長宗我部元親の居城!岡豊城です!!!(*`艸´)ウシシシ♪『岡豊=おこう』と呼びます。(^▽^)/ 岡豊(おこう)城は、現在の南国市街の北西にある香長平野の北西、国道32号線沿いの国分川を天然の堀とした北側にある標高97mの『岡豊山』に築かれた山城です。岡豊城は長宗我部能俊(よしとし)が鎌倉時代初期に信濃から土佐国に移住し築いた城と云われて […]
大津天竺城 / 大津城 / 天竺城 / 大津御所の感想 大津天竺城は土佐守護の細川氏の流れを組むとか家臣とかと云われている天竺氏が居城とした城で覇を唱えていましたが、『応仁の乱』をきっかけに細川氏が土佐国から離れると(土佐国から阿波国、畿内へ進出したのかな???)天竺氏はその後ろ盾を失い勢力は縮小していったと思われます。1547年、当時の城主だった天竺孫十郎花氏は隣接(直線距離で約3~4㎞)の岡豊 […]
香宗城の感想 香宗(こうそ)城です!けっこう~期待して香宗城に訪れてみたのですが・・・・何???すげぇちっちぇ!(´;ω;`)ウゥゥ 香宗城は土佐の名門 香宗我部氏の居城で、香宗我部氏は土佐七雄の一家とされていた勢力のある一族だったとされています。香宗我部氏のスタートは1193年頃、一条忠頼の家臣だった中原秋家が土佐国香美郡宗我の地頭に命じられ、主君だった一条忠頼が暗殺されるとその子の秋通が養子と […]
安芸城 / 安芸(安喜)土居の感想 長宗我部元親にとって、土佐国の西の雄は一条氏(一条兼定)であり東の雄はこの安芸城を居城とする安芸氏(安芸国虎)だったと云え、土佐国においても最大の勢力を持っていたと思われます。安芸氏の祖先は蘇我赤兄(『そがのあかえ』と呼ぶそうです。。。蘇我って・・・めちゃめちゃ古くねぇΣ(・□・;))とし古くからこの安芸の地を有する武将だった様で『土佐七雄』の一角に数えられてい […]
本山城の感想 いよいよ本山城・・・高知県(土佐国)です(^▽^)/ 本山城は本山氏の居城で、本山氏は清和源氏の流れを組む吉良氏の一族の八木氏とか、平家の流れを組む八木氏とかとも云われており、八木氏が土着しこの土地の『本山』を名乗ったともされています。全盛期は本山茂宗(梅慶)であり5千貫の領地を有してたと云われています。本山茂宗は土佐七雄の中では最も勢力が強力だったとされ、山深い土佐北部から出て経済 […]
白地城の感想 白地城は四国の中央部の山間地に立地し、西の境目峠を越えると伊予国に・・・北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国に・・・東の吉野川を下っていくと徳島平野が広がる阿波国に・・・そして南の大歩危小歩危という難所を越えると土佐国に行ける、四国の中心地であることがよくわかります。調べてみると、白地城の大西氏は細川の流れでも小笠原(三好)の流れでもなく、白地の地の荘官だった近藤京帝が白地城を構え大西氏を名 […]