CATEGORY 室町時代(主に南北朝時代)

主に南北朝時代1400年頃までの室町時代に存在したものを表示しています。

志布志城・内城(鹿児島県)

志布志城・内城の感想 志布志城の内城へ行ってきました!志布志城はこの内城と松尾城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城と呼んでいるそうです。ただ、現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということになっています。志布志城・新城については現在、志布志中学校の校庭となっていて遺構はだいぶなくなってしまているようですが、校庭の周囲に土塁が残っているとのことです。別で書きますが、松尾城の登城に挑戦しよ […]

福島城/大仏城/杉妻城/杉目城(福島県)

福島城/大仏城/杉妻城/杉目城の感想 福島城の築城は伊達氏だったんではないかと云われているみたいですね。阿武隈川と荒川を天然の堀とした平城だったらしく、元々は『杉妻城/杉目城(すぎのめじょう)』と呼ばれたり『大仏城』とも呼ばれていたらしく、古墳時代の頃には既に何かしらの機能を持った機関の建物があったと云われているみたいですね~すごい(+_+)1413年の頃は伊達持宗が関東公方足利持氏(この人は本当 […]

須賀川城(福島県)

須賀川城の感想 須賀川城は福島県須賀川市にある平山城で近くを釈迦堂川(しゃかどうがわ)が流れています。須賀川城の築城は二階堂行続が行ったと云われており、長くからこの地を支配する二階堂氏がこの須賀川城を居城としたみたいです( ̄▽ ̄)1572年には那須 資胤(なす すけたね)の軍勢が攻めてきたが、何とか須賀川城は凌ぎ!!!1581年に城主の二階堂盛義(須賀川二階堂氏7代当主)が亡くなると、後室の大乗院 […]

曽我城 / 曽我氏館跡(神奈川県)

曽我城 / 曽我氏館跡の感想 曽我城/曽我氏館跡は、曽我祐信の居城で鎌倉時代初期にかけて武士・御家人で相模国曽我荘の領主であり、曽我祐信はあの有名な『曽我兄弟』の養父としても有名ですよねぇ~(o^―^o)曽我兄弟と云えば『曽我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)』であり、これは源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曽我祐成と曽我時致の兄弟が父親である河津 祐泰(かわづ すけやす)の仇である工藤佑経を […]

松山城/松尾城/志布志松山城(鹿児島県)

松山城の感想 松山城、(別名:松尾城)は1188年平清盛の弟、頼盛の孫である重頼(しげより)が松山に来て築いた山城だとされるお城とのことです。1413年には新納氏(にいろし)が領有しており、嘉吉の乱1441年頃に赤松満祐(あかまつみつすけ)の子、赤松教康(あかまつのりやす)島津氏を頼ってこの地へ来て赤松氏が領有していた時代もあるとのことです。個人的にはこの赤松氏が松山城に来ていたことに驚きました! […]

都城/都之城/鶴丸城(宮崎県)

都城/都之城/鶴丸城の感想 都城は北郷義久によって1375年に築城されました。北郷氏は島津家第4代当主の島津忠宗の子、島津資忠(しまづすけただ)から始まります。都城市周辺の地域をもらい北郷氏を名乗り、この地で約240年領有を続けます。江戸時代に入り、北郷氏はまた島津姓に戻したことで都城島津家とも言われます。都城市周辺は戦国時代領地の取り合いで目まぐるしく城主が入れ替わっているお城が多いので周辺のお […]

姫木城(宮崎県)

姫木城の感想 姫木城は「ひめぎじょう」と読みます。説明版を読むと、肝付氏の支城だったとのことです。肝付氏は南北朝時代に南朝方に属したので、北朝方の守護代だった森行重とここで戦闘になったとのことです。その後姫木城がどうなったのかは不明とのことでいつ築城されていつ廃城になったのかよくわかっていないようです。1339年には肝付兼重が日向から畠山氏に負けて追い出されているので遅くともこの頃には肝付氏のお城 […]

樺山城/小鷹城/雄鷹城(宮崎県)

樺山城/小鷹城/雄鷹城の感想 樺山城は「かばやまじょう」と読みます。現在は上米公園(かんめこうえん)となっていて曲輪などの遺構が残っています。樺山城ははっきりとした築城年がわかっていないようで、伊東氏が築城したという話もあるようですが、現在の遺構として残っている城跡(曲輪)などは慶長4年(1599年)に起こった庄内の乱のときに伊集院氏が整備しものと推定されているようです。樺山城とつくので樺山氏が築 […]

梶山城(宮崎県)

梶山城の感想 梶山城は1352年に樺山氏が築城したとされているお城です。樺山氏は島津家の支流にあたる家系。島津家代4代当主島津忠宗の五男だった「島津資久」が樺山周辺の領地をもらったことにより樺山氏を名乗るようになります。その後経緯はよくわかりませんが、樺山氏から同じ島津家の支流ではありますが北郷氏のお城に変わり梶山城は1394年に梶山合戦という戦いがおこります。この戦いは北郷氏(島津家)対今川氏( […]

北郷久秀・忠道の墓(宮崎県)

北郷久秀・忠道の墓の感想 梶山城の麓に北郷久秀・忠道のお墓があります。ここには大昌寺というお寺があった所で二人が戦死した後に二人の父、「北郷義久」が建立したとされております。現在はお寺もなくなり、大昌寺跡にひっそりと二人のお墓があります。 北郷久秀・忠道ですが、二人は北郷義久の三男と四男にあたる兄弟になります。また北郷家は島津家の支流にあたる家系で、都城島津家とも言われます。南北朝時代末期(厳密に […]

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