CATEGORY 室町時代(主に南北朝時代)

主に南北朝時代1400年頃までの室町時代に存在したものを表示しています。

志和池城(宮崎県)

志和池城の感想 志和池城に行って来ました!5つの曲輪で構成された連郭式山城ですが、現在残っている曲輪はほとんどなく、綺麗に整備された本丸がある以外は新城などが一部残っている限りになっています。ただ、それほど比高があるわけではないですが、本丸からの眺めはおすすめできるお城です。 志和池城の歴史ですが、北原氏が築城したお城とされており、室町時代の応永年間(1394年〜1428年)に築城されたと言われて […]

石山城(宮崎県)

石山城の感想 石山城は北郷氏が伊東・北原連合軍が対岸の鳥越に陣を構えたことに対抗して建てたお城とのことです。これが1541年頃みたいなのでその頃築城されたのでしょうか?築城は標柱の説明だと天文年間(1532~1555年)となっていました。北郷氏(ほんごうし)と読みます。北郷氏は島津氏の支流にあたる家系で島津宗家第4代当主「島津忠宗」の六男「北郷資忠」から始まる家系になります。ちなみに島津忠宗の子は […]

知覧城(鹿児島県)

知覧城の感想 知覧城へ訪問してきました!知覧城は築城年代は不明ですが、室町時代1300年代にはあったとされており、鎌倉時代に知覧氏が築城したとの説もあるようです。その後、足利尊氏の時代、1353年に島津忠宗の三男「佐多忠光」が知覧城を居城にして以降佐多氏のお城となります。佐多氏の知覧城は一時期「今給黎(いまきいれ)氏」に奪われたり、詳細はよくわかりませんが、豊臣秀吉を怒らせて領地没収された時があっ […]

滝の城 / 本郷城(埼玉県)

滝の城 / 本郷城の感想 滝の城は現在の所沢市(埼玉県)と清瀬市(東京都)の境(所沢市側)にあり柳瀬川の沿いの切り立った山?崖?の上にあった城だと思われます。築城者は太田氏とも大石氏とも云われており誰だがわかりませんが、八王子城の支城と云われており、当時は大石氏が城主であったんじゃないかと思います。大石氏は関東管領上杉氏の重臣で多摩地域に巨大な勢力を持った一族だった様ですが、北条氏が関東へ勢力を拡 […]

柏の城(埼玉県)

柏の城の感想 『柏の城』は現在の柏町3丁目の志木第三小学校辺りにあった中世の城跡です。柏の城は、室町時代中期に関東管領山内上杉家の重臣であった大石氏によって築かれた城の様ですね。その後、北条氏が関東の覇者になると大内氏は北条氏に従っています。因みに・・・当時の城主だった大石直久は駿河国にある獅子浜城の城代へと移されています。江戸時代中期に書かれた『舘村旧記(たてむらきゅうき)』には廃城後の柏の城近 […]

岡の城(埼玉県)

岡の城の感想 埼玉県朝霞市に名も無き城(全然有名でない城)の『岡の城』があります。調べてみると『浜崎陣屋』とか『峡の陣屋』とか呼ばれていた場所らしく、『岡の城』と言う名は、この地域に住む人達によって名付けられた呼び名であるみたいです(o^―^o)ニコこの城の近辺は縄文期や弥生期の集落跡も発掘されているため、経緯や自然地勢を推測すると天然発生型で築かれた山城なんじゃないかなって思います。よって明確な […]

平塚城 / 豊島城(東京都)

平塚城 / 豊島城感想 平塚城は武蔵国豊島郡にあった城で、名門の豊島氏との関係が深い城だったと思われます。平塚城は一般的には有名ですが、別名を『豊島城』と呼ぶそうです(; ・`д・´) 築城の時期は定かではありませんが、豊島近義が平塚城/豊島城を築城したと云われ、源義家(平安時代中期から後期にかけての武将で、源頼朝(鎌倉幕府)と足利尊氏(室町幕府)の祖先となり名将です!)と義光・義綱の三兄弟が平塚 […]

赤塚城(東京都)

赤塚城の感想 赤塚城は1456年に市川城(国府台城)から千葉自胤(ちばよりたね)この地に移った際に築いた城だと云われています。千葉氏は下総国にいたが古河公方足利成氏と手を結んだ原胤房と馬加康胤(まくわりやすたね)に伯父の千葉胤直や父親の千葉胤賢ら一族を殺されたため(市川合戦)、兄の千葉実胤と共に市川城に逃れますが、市川城も落城したため武蔵国に逃れ赤塚城を築いたようですね。扇谷上杉氏の家宰である太田 […]

志村城(東京都)

志村城の感想 志村城は豊島氏の一族の流れを組む地元の豪族志村氏の城で、武蔵千葉氏に従っていた様で武蔵千葉氏の赤塚城の支城・前線基地として機能していた様です。その時には千葉信胤が入城していたとも云われているようです。後北条氏である北条氏綱(後北条二代目)に攻められると落城し、その後は後北条氏の傘下に入ることとなります。(武蔵千葉氏とその一党) その後、後北条氏の配下に組み込まれていましたが、豊臣秀吉 […]

宮城氏館跡(東京都)

宮城氏館跡の感想 宮城氏は舎人氏と共に岩槻太田氏の家臣だった様です。武蔵千葉氏は相模国の後北条氏に従っており、岩槻太田氏は後北条氏に付いたり裏切ったりを繰り返していたので、足立の武将だった宮城氏や舎人氏も四苦八苦だったでしょうねぇ。宮城氏は詳しくわかりませんが、元々は豊島氏の流れを組む一族だった様で、太田道灌が豊島氏を滅ぼすと太田氏の家臣になったようです。太田資正の時に第二次国府台合戦で大敗すると […]

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