- 2025.12.21
- 入場料無料,
笑隈城/隈ノ城/咲隈城(鹿児島県)
笑隈城(えみのくまじょう)と読みます。読み方は同じで「咲隈城」とも書くようです。別名「隈ノ城(くまのじょう)」とも呼ばれるみたいです。説明版を読むと南北朝期の貞治2年(1363年)頃、第六代当主島津氏久が三年間布陣し、天降川対岸の姫木城(ひめぎじょう)に立て籠もる税所一族だった重久氏と戦ったようです。税所(さいしょ)とは徴税のために任ぜられた役職でこれを世襲していた一族が、税所氏を名乗ったとされる […]
主に南北朝時代1400年頃までの室町時代に存在したものを表示しています。
笑隈城(えみのくまじょう)と読みます。読み方は同じで「咲隈城」とも書くようです。別名「隈ノ城(くまのじょう)」とも呼ばれるみたいです。説明版を読むと南北朝期の貞治2年(1363年)頃、第六代当主島津氏久が三年間布陣し、天降川対岸の姫木城(ひめぎじょう)に立て籠もる税所一族だった重久氏と戦ったようです。税所(さいしょ)とは徴税のために任ぜられた役職でこれを世襲していた一族が、税所氏を名乗ったとされる […]
鹿屋城/亀鶴城の感想 鹿屋城(かのやじょう)は、鹿屋氏、伊集院氏などが居城としたお城になります。鹿屋城は城郭は本丸(貯水池)、二の丸(公園)、中城(公園)、松尾城(幼稚園・老人福祉センター)、大名城、今城、鳥添城からなるお城となっているとのことです。正直、初見だと全くどこが本丸とか中城とかわからないです。現在道などに合わせて案内板が欲しいところですね。説明板を読むと、「島津久経時代津野四郎兵衛、鹿 […]
志布志城・松尾城の感想 志布志城の松尾城になります。志布志城は松尾城、内城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城となっています。内城は別で記事をあげていますので興味のある方は見てみてください。現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということで来たのですが、入り口近くにお住まいの方とお話をさせていただき迷子(遭難)。するからやめときなさい。誰も登ってかないよ!。と言われてしまいました笑諦めずに […]
志布志城・内城の感想 志布志城の内城へ行ってきました!志布志城はこの内城と松尾城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城と呼んでいるそうです。ただ、現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということになっています。志布志城・新城については現在、志布志中学校の校庭となっていて遺構はだいぶなくなってしまているようですが、校庭の周囲に土塁が残っているとのことです。別で書きますが、松尾城の登城に挑戦しよ […]
福島城/大仏城/杉妻城/杉目城の感想 福島城の築城は伊達氏だったんではないかと云われているみたいですね。阿武隈川と荒川を天然の堀とした平城だったらしく、元々は『杉妻城/杉目城(すぎのめじょう)』と呼ばれたり『大仏城』とも呼ばれていたらしく、古墳時代の頃には既に何かしらの機能を持った機関の建物があったと云われているみたいですね~すごい(+_+)1413年の頃は伊達持宗が関東公方足利持氏(この人は本当 […]
須賀川城の感想 須賀川城は福島県須賀川市にある平山城で近くを釈迦堂川(しゃかどうがわ)が流れています。須賀川城の築城は二階堂行続が行ったと云われており、長くからこの地を支配する二階堂氏がこの須賀川城を居城としたみたいです( ̄▽ ̄)1572年には那須 資胤(なす すけたね)の軍勢が攻めてきたが、何とか須賀川城は凌ぎ!!!1581年に城主の二階堂盛義(須賀川二階堂氏7代当主)が亡くなると、後室の大乗院 […]
曽我城 / 曽我氏館跡の感想 曽我城/曽我氏館跡は、曽我祐信の居城で鎌倉時代初期にかけて武士・御家人で相模国曽我荘の領主であり、曽我祐信はあの有名な『曽我兄弟』の養父としても有名ですよねぇ~(o^―^o)曽我兄弟と云えば『曽我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)』であり、これは源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曽我祐成と曽我時致の兄弟が父親である河津 祐泰(かわづ すけやす)の仇である工藤佑経を […]
松山城の感想 松山城、(別名:松尾城)は1188年平清盛の弟、頼盛の孫である重頼(しげより)が松山に来て築いた山城だとされるお城とのことです。1413年には新納氏(にいろし)が領有しており、嘉吉の乱1441年頃に赤松満祐(あかまつみつすけ)の子、赤松教康(あかまつのりやす)島津氏を頼ってこの地へ来て赤松氏が領有していた時代もあるとのことです。個人的にはこの赤松氏が松山城に来ていたことに驚きました! […]
都城/都之城/鶴丸城の感想 都城は北郷義久によって1375年に築城されました。北郷氏は島津家第4代当主の島津忠宗の子、島津資忠(しまづすけただ)から始まります。都城市周辺の地域をもらい北郷氏を名乗り、この地で約240年領有を続けます。江戸時代に入り、北郷氏はまた島津姓に戻したことで都城島津家とも言われます。都城市周辺は戦国時代領地の取り合いで目まぐるしく城主が入れ替わっているお城が多いので周辺のお […]
姫木城の感想 姫木城は「ひめぎじょう」と読みます。説明版を読むと、肝付氏の支城だったとのことです。肝付氏は南北朝時代に南朝方に属したので、北朝方の守護代だった森行重とここで戦闘になったとのことです。その後姫木城がどうなったのかは不明とのことでいつ築城されていつ廃城になったのかよくわかっていないようです。1339年には肝付兼重が日向から畠山氏に負けて追い出されているので遅くともこの頃には肝付氏のお城 […]