早川城(神奈川県)
早川城の感想 早川城は現在の神奈川県綾瀬市にある城です。 早川城は鎌倉時代に活躍した渋谷氏が築城したといわれており、渋谷重国の時に源頼朝の家臣である御家人となり早川城一帯の地域を統率していたと思われます。その後、息子の高重が跡を継ぎますが1213年(建暦3年)に和田義盛が起こした反乱『和田合戦』の際に、渋谷高重は和田義盛に組したため討たれてしまいます。 他の渋谷一族は許され宝治合戦の際には多くの軍 […]
早川城の感想 早川城は現在の神奈川県綾瀬市にある城です。 早川城は鎌倉時代に活躍した渋谷氏が築城したといわれており、渋谷重国の時に源頼朝の家臣である御家人となり早川城一帯の地域を統率していたと思われます。その後、息子の高重が跡を継ぎますが1213年(建暦3年)に和田義盛が起こした反乱『和田合戦』の際に、渋谷高重は和田義盛に組したため討たれてしまいます。 他の渋谷一族は許され宝治合戦の際には多くの軍 […]
相馬中村城の感想 相馬中村城です。戦国時代から江戸時代にかけて相馬氏の居城として長く続き、中村藩の中心的役割を果たしていました。その頃は馬陵城(ばりょうじょう)と呼ばれており、その頃から馬を連想させるお城だったんですね。 南北朝時代に中村氏によって築かれた(当時は館かな?)とされており、小高城の相馬盛胤が勢力を拡大させると、次男の隆胤が相馬中村城に入城した様です。伊達氏や田村氏との南陸奥での戦いが […]
三条城の感想 三条城は平城だったと思われ、海城っていうのはよく聞きますが、ここは川(河)城だったのかもしれませんね・・・信濃川など大きな川が流れていますから、例えば川の中州にあった城とか・・・だからこんな感じで何も残らずに碑のようなものだけがあるのかも知れません。 まぁ~簡単に言えば全然わかりませーん( ノД`)シクシク… 碑は信濃川沿いにありますが、この辺は信濃川・五十嵐川・中ノ口川に挟まれた大 […]
狩野城の感想 伊豆の内陸寄りにある城『狩野(かの)城』って言います。またの名前を『柿木ノ(かきぎの)城』とも言いますねぇ~狩野一族に興味を持ったのは、冨樫倫太郎さんが書いていた『北条早雲』っていう歴史小説を読んでから、伊豆公方『茶々丸』を支えながら徹底的に北条早雲に抵抗する姿が描かれてあり、勝手に『ガッツがあるじゃん!』って思って記憶に残っていました。 その時に描かれていた武将は『狩野道一』という […]
津幡城の感想 津幡城は津幡小学校旧校舎の敷地内にあったため現在遺構と言えるものはほとんど残っていませんでした。津幡城は倶利伽羅合戦の平維盛(たいらのこれもり)の配下の者がここに布陣して砦を作ったのが最初と言われております。その後、上杉謙信が七尾城攻略の砦としてこの地を使用し、1583年に前田秀継が越中への備えとして津幡城に入り、越中も前田利家の支配下となり必要がなくなったので廃城になったお城になり […]
松任城の感想 今回は石川県白山市にある松任城(まっとうじょう)を訪問してきました。お城としては有名ではありませんが、一向一揆の時の一向宗松任組の旗本(武将)の城として歴史的にも重要なお城になります。松任城は現在はJR松任駅前の公園として残されています。残されている部分は城全体ではなく本丸跡になりますので公園としてもそれほど大きなものではありません。当時は手取川の扇状地をいかした水堀などがあるお城で […]
亥鼻城の感想 千葉県千葉市にある亥鼻城(千葉城)に行ってきました。千葉県庁の近くにある亥鼻城は千葉市のシンボルでもあるお城です。天守閣のような建物が立っておりますが、これは千葉市立郷土博物館で天守閣ではありません。そもそも亥鼻城に天守閣は元々あったわけではないのであくまでも観光的な意味合いが強い建物ですね。ただ、郷土資料館もお城のある亥鼻公園も無料で入れるので気軽に行けて良い場所だと思います。亥鼻 […]
水戸城の感想 水戸城といえば水戸黄門のイメージが強いですね。私もその一人です。徳川御三家の水戸徳川家でしかも江戸時代に築城されたお城だろうと勝手に思っていたのですが、実は平安時代末期から鎌倉時代にかけての築城ということでだいぶ古くからあるお城のようです。 現在は文教地区となっており、ほとんどの遺構が高校か中学校、小学校に幼稚園などになっております。お城に学校がある感じですね。たぶん観光目的の集客も […]
月山富田城の感想 私の中では『難攻不落』『戦国No1山城』の名城だと思っています。 『月山富田(がっさんとだ)城』です! (*`艸´)ヨッシャ 築城は佐々木源氏の流れをくむ佐々木義清とされるが不明です。月山富田城は月山(標高184m)に築かれた山城で、山陰の覇者!尼子氏が代々170年間居城としたお城です。(尼子氏は佐々木源氏からの流れをくみます。) 月山富田城といえば、一代で十一か国の太府までのし […]
多賀城の感想 奈良時代のお城。天守のようなものはもちろんなく、建物も中国などに見られるような朱色の柱や梁などの建物で、政治の機関的な役割をもった施設であったと考えられています。ただ、奈良時代に東北地方にこれほどのものがあったのかと思うと戦国時代などよりも実は栄えていたのではないかと素人考えですが思ってしまいます。実際には蝦夷の人たちを監視するために兵を置いていた柵城という施設のようです。規模もかな […]