北陸・新潟

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小浜城 / 雲浜城(福井県)

小浜城 / 雲浜城の感想 小浜城は『こはまじょう』ではなく『おばまじょう』って読みます!やっぱ日本語は難しいぃぃぃぃぃ~(´;ω;`)ウゥゥ また、別の名を『雲浜城』と云い『うんぴじょう』って呼びます! やっぱり難しいぃぃぃぃぃぃぃ(;゚Д゚) 関ケ原合戦後、1601年に若狭国に入国した京極高次が小浜城を築城し始めました。その後、新たに入った酒井忠勝が小浜城の完成に着手!縄張りも拡大しながら現在の […]

後瀬山城(福井県)

後瀬山城の感想 後瀬山城・・・皆さんはなんて読みますか??? 私は『ごせやまじょう』って読んでいましたが、本当の読み方は『のちせやまじょう』って読むみたいです~日本語って難しいぃ~(ノД`)・゜・。 後瀬山城は武田元光(若狭国守護大名六代目当主)によって築かれたと云われています。後に若狭武田氏四代(元光を初代、元明を四代と考えると)の城として栄えていましたが、四代目の武田元光が朝倉義景に一乗谷に連 […]

後瀬山城跡守護居館跡 / 若狭武田氏館跡(福井県)

後瀬山城跡守護居館跡 / 若狭武田氏館跡の感想 後瀬山城跡守護居館跡/若狭武田氏館跡は、若狭国を治める守護大名の武田氏の館とされ、その裏山が若狭武田氏の居城『後瀬山城』ですね(=゚ω゚)ノ当時、全国でも有数の国際港湾都市となっていた小浜を統治するために、館の後背にそびえる後瀬山に城を築き、実質の政務はここ後瀬山城跡守護居館跡 / 若狭武田氏館跡で行っていたんじゃないでしょうか? 後で後瀬山城のレポ […]

砕導山城(福井県)

砕導山城の感想 『砕導山⇒はどうやま』と読むのかなって思っていたら『砕導山⇒さいちやま』って読むんですね!日本語って難しい!?((+_+)) 砕導山城(さいちやま城)は逸見昌経によって築かれた城です。これまた難しいなぁ~って思うのが、『逸見⇒いつみ』ではなく『逸見⇒へみ・へんみ』と呼ぶそうです!?これまた((+_+))!!!逸見氏を少し深堀すると、ルーツは甲斐源氏の流れを組むみたいで、甲斐の武田・ […]

末森城(石川県)

末森城の感想 末森城は能登国、現在の石川県能登半島の付け根にある山城です。前々から行ってみたく、たまたま金沢に行く用事があり宿泊したので、朝の4時に起床し出発前に朝駆け!山城一発勝負をやるために末森城を訪れてみました。 末森城を知ったのは、『原哲夫』先生の漫画『花の慶次』で、傾奇者の前田慶次郎が佐々成政が率いる軍15,000人で包囲された末森城を助けに行き、末森城の城主、奥村永福との友情や爽やかさ […]

亀山城(富山県)

亀山城の感想 増山城に隣接する山城、亀山城です! 亀山城は増山城の支城として存在していたんじゃないかと個人的には思っています・谷を挟んで西に位置する標高133.1mの山上にあるようで、増山城も標高が高い場所に亀山城はあるようですね!なんか不思議な感じがします~(* ´艸`)クスクス 増山城の弱点、北側を守るため神保氏が支配をしているときは、神保安芸守がこの支城に入城していたらしいです。しかし、神保 […]

増山城/和田城(富山県)

増山城の感想 増山城は富山県砺波市(チューリップ祭りで有名な場所)にある山城で、越中三大山城(増山城・松倉城・森山城:共に富山県)にある堅固な山城です。 増山城の城主は神保長職で、神保氏は加賀国太田の戦いで絶望的な大敗をしてしまい、一度滅んでしまいそうになりますが、神保長職は越中大乱と云われる戦火の中で増山城と富山城を支配し勢力を拡大しますが、その後、上杉謙信からの圧力に負け徐々に衰退をはじめます […]

安田城(富山県)

安田城の感想 安田城は現在の富山県富山市婦中町安田の地にある平城です。 1585年(天正13年)に豊臣秀吉が富山城に拠る佐々成政を征討するために出陣し、安田城から少し離れた(クルマで10分ぐらい)白鳥城の本陣を引き対峙します。その白鳥城の支城としてあったのが安田城とされています。安田城は白鳥城が山城と比べ井田川から水を引入れ大きな堀を有した平城です。個人的には従来の城って云うよりも館的な建物が建っ […]

白鳥城(富山県)

白鳥城の感想 白鳥城は、呉羽丘陵の最高峰(145.3メートル)に築かれた富山平野の中央にある山城です。昔から越中における軍事重要要塞と考えられていたみたいで、上杉謙信の進軍を恐れ、今井氏・神保氏が白鳥城を居城とし防衛ラインを張っていた様です。神保氏が上杉謙信に降伏すると城は神保氏が守ることとなりますが、一向一揆衆に西側から攻められて神保氏と白鳥城は落城してしまいます。 1586年(天正13)には富 […]

北条城(新潟県)

北条城の感想 北条(きたじょう)城と呼びます。北条城は上杉謙信の家臣だった北条高広の城で、その昔は鎌倉幕府時代に源頼朝の重臣だった大江広元が四男季光が相模原毛利荘を貰い毛利季光となり、季光の四男経光が越後国刈羽郡佐橋荘南条を与えられ入国したことから始まります。その南条の地に館を築き毛利経光→基光(嫡男)→時元(嫡男)と続き毛利から南条の名を語っていた様ですが、時元の時代に南条(なんじょう)から北条 […]

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