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滝山城(東京都)

滝山城の感想 八王子城から約10㎞・・・北条氏照が拡張した滝山城です!拡張って・・・なぜかというと、滝山城はもともと山内上杉家の重臣、武蔵国守護代の大石定重が築いたとされています。1546年に北条氏康があの日本三大奇襲といわれる『河越城の夜戦』を仕掛け見事大勝利!!!扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏を武蔵から勢力を排除したため、大石定重は北条氏康の軍門に降ります。大石定重の後を継いだ大石定久は北条氏 […]

八王子城(東京都)

八王子城の感想 関東での屈指の山城である『八王子城』です。関東制覇を目論む北条(後北条)氏が小田原城の支城とした築いた城で、築城は北条氏照(北条氏康の三男)といわれており、そうとう思いを込めてこの壮大な山城を築城したと思われます。北条氏照は当初、有力豪族であった由井領主の大石氏の娘を娶り養子として入り、北条氏ではなく大石氏を名乗っていたこともあり、この地域は武田からの侵略を防ぐため重要な役割を氏康 […]

能島城(愛媛県)

能島城の感想 皆さんは勿論『村上水軍』はご存じですよねぇ~戦国時代、今のしまなみ海道沿いの島々を根城とし、能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家に別れ、中国側の因島村上、四国側の来島村上のちょうど中間となる能島村上は来島村上と関係が深く(義父)、能島村上の村上武吉は来島村上同様に伊予の国の河野氏とも関係が深かった。 その能島村上の当主村上武吉の居城といわれたのが、この『能島城』です!!!(城全体 […]

大洲城(愛媛県)

大洲城の感想 大洲城は鎌倉時代1331年に宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が地蔵ヶ岳に城を築いたのが始まりです。このお城の特徴は複合連結式の4層4階天守閣。連結とは櫓と天守が繋がっていることで、しかも櫓は現存櫓で天守も極力当時の技術と日本の木材を使い現代の技術で精巧に復元されているところです。復元天守は中に入ると綺麗で一眼で当時のものではないと分かりますが、繋がっている現存の櫓と見比べると新旧の違 […]

三原城(広島県)

三原城の感想 三原城は1567年に小早川隆景(こばやかわたかかげ)が築城したお城です。小早川隆景は毛利元就(もうりもとなり)の三男で関ヶ原で有名な小早川秀秋(こばやかわひであき)のお父さんになります。秀秋は養子なので隆景の嫡男ではありません。三原城は現在残っているのは天守台と舟入櫓跡など一部なのですが、一番驚いたのは電車の駅と一体化していることです。実際天守台に行くには駅の構内から階段を登ります。 […]

明石城(兵庫県)

明石城の感想 JR明石駅でホームに着くともう目の前に明石城が見えるというロケーション。アクセスはとてもしやすくて見学しやすいお城でした。明石城は小笠原忠政(忠真)が築城したお城です。1617年の築城ですので関ヶ原後のお城になります。小笠原忠政は現在の茨城県古賀市にある古河城に生まれ、長野県の松本藩(松本城)などを経て明石城に入りその後は福岡県北九州の小倉城に入るという生涯を送った大名になります。戦 […]

亥鼻城/千葉城(千葉県)

亥鼻城の感想 千葉県千葉市にある亥鼻城(千葉城)に行ってきました。千葉県庁の近くにある亥鼻城は千葉市のシンボルでもあるお城です。天守閣のような建物が立っておりますが、これは千葉市立郷土博物館で天守閣ではありません。そもそも亥鼻城に天守閣は元々あったわけではないのであくまでも観光的な意味合いが強い建物ですね。ただ、郷土資料館もお城のある亥鼻公園も無料で入れるので気軽に行けて良い場所だと思います。亥鼻 […]

寺尾城(神奈川県)

寺尾城の感想 神奈川県横浜市にあった寺尾城址へ行ってきました。現在はほぼ何も残っていないお城になりますが、平成5年12月に発掘調査を行い空堀から宝永年間に噴火した富士山の火山灰が発見され18世紀初頭には堀が埋まっていたことがわかったとの記述が案内板にありました。普通の公園となってしまっており、土塁や竪堀があるとのことですが、どこが遺構なのか判別つきませんでした。お城の歴史ですが、戦国時代に後北条氏 […]

奥沢城(東京都)

奥沢城の感想 東京都世田谷区にある奥沢城へ。奥沢城は世田谷城の出城として築かれたお城と言われており、現在は九品仏浄真寺になってます。世田谷区の高級住宅地の中にあり、緑も多く現在は地域の方々の憩いの場のようなお寺として親しまれています。奥沢城の歴史ですが、吉良頼康が築城したと言われており、1500年代中頃に築城されたものとされております。吉良頼康は扇谷上杉氏に仕えていた武将ですが、北条氏綱の時代に扇 […]

岩殿城(山梨県)

岩殿城の感想 山梨県大月市にある岩殿城(いわどのじょう)へ行ってきました。岩殿城は岩殿山にあったお城で岩殿山城ともいわれます。ここは織田・徳川軍に負けて敗走した武田勝頼が辿り着くはずであったお城で、小山田氏の裏切りにより勝頼はお城には入れてもらえず天目山で自害することになります。この近辺は武田家の家臣であった小山田氏が支配していた地域で、岩殿城は岩の名前がつく通りの岩山で断崖絶壁のような場所に作ら […]

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