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毛利氏発祥の地/毛利季光屋敷跡(神奈川県)

毛利氏発祥の地/毛利季光屋敷跡の感想 俺が尊敬し崇拝する毛利元就さんのそもそもの『毛利氏』発祥の地が神奈川県にあることをご存じでしょうか???厚木市下古沢にある三島神社付近がその昔『毛利荘』と呼ばれていたらしく、この地を与えられてから毛利氏を名乗ったようですね。(この辺一帯は三島神社がたくさんありますので行くときにはご注意を!笑) 毛利元就さんの祖は、現在『鎌倉殿の13人(2022年HNK大河ドラ […]

小田城(茨城県)

小田城の感想 『最弱!』それともある意味『最強!!!』小田氏治で有名な小田城です!!!小田氏治は、宇都宮氏の家系の一門で八田知家を祖とする、この関東の中ではめちゃめちゃな名家の小田氏であり、関東八屋形の一つである常陸の小田家の15代当主です。小田氏治は後に出家して『天庵(てんあん)』と名乗るのですが、とにかく戦が下手で連戦連敗!!!何度も何度も負け続けるのですが、この小田城を取り戻そうと何度も何度 […]

  • 2022.10.11

宍戸城/宍戸陣屋跡(茨城県)

宍戸城/宍戸陣屋跡の感想 実は昔からどぉしても行きたいところがありました・・・『宍戸城/宍戸陣屋跡』です。 宍戸氏は『鎌倉殿の13人』にも出てくる八田知家を祖として宍戸氏となり、近所の小田城の小田氏とは同じ流れの一族となります。宍戸氏は一貫して足利氏に味方して各地で戦功をあげ、同じ流れを組む小田氏とは対照的な勢力を振るいます。当時の宍戸氏は鎌倉幕府の中核となり鎌倉で責務を果たしていきますが、時が流 […]

真壁城(茨城県)

真壁城の感想 残念!無念!名門(だと思う?笑)真壁氏の居城『真壁城』ですが、工事なの何だかわからなくて、全然近づくことが出来ませんでした・・・ 真壁氏は桓武天皇からの流れの桓武平家とされ、坂東平家・常陸平家の代表とされる大掾氏(だいじょうし)は勢力を持った一族で、真壁氏もその流れを組んでいる一族です。真壁氏はその昔、北条時行と乱を起こし所領を没収されたりと四苦八苦の名家ですが、戦国乱世になると、真 […]

早雲寺(神奈川県)

早雲寺の感想 かねてからどぉしても行きたいところに行ってきました。 『早雲寺』です 戦国時代に関東に覇をとなえた北条(後北条)五代のお墓があると言われています『早雲寺』です。(因みに、今大河ドラマでやってる北条とは全く関係がありません)初代とされる北条早雲は元々は伊勢新九郎といい、(現在の)岡山県井原市にある高越城出身で、幕府に遣えるために岡山から京都へ、姉を助けるために嫁ぎ先の今川家のある静岡へ […]

韮山城(静岡県)

韮山城の感想 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が備中から京~駿河を経て駿東の興国寺城を今川氏親から与えられ、初めての城持ちとなった興国寺城から約20㎞の場所に居城を移します。その城が『韮山城』です!今になれば興国寺城も韮山城もたいした距離ではないのですが、当時は伊豆に権力を振るう『堀越公方』の館近く(約1.8㎞)に韮山城を築くことを考えれば、当初から堀越公方を次のターゲットにしていたことがわかるのと、後 […]

小田原城(神奈川県)

小田原城の感想 北条五代のお城といえば小田原城ということで小田原城へ行ってきました。 小田原城は初代の北条早雲(そううん)が大森氏を倒し手中に収めたお城です。小田原駅のロータリーにも北条早雲公の銅像があります。北条早雲は北条五代で話す場合は使われる名前ですが、この方ものすごい呼び名が多く存命の頃は北条とは名乗っておらず「伊勢宗瑞(そうずい)、伊勢盛時(もりとき)、伊勢新九郎(しんくろう)」などと呼 […]

興国時城(静岡県)

興国寺城の感想 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が自分の姉が嫁いでいた今川家の家督争いを治め、当主となった今川氏親よりこの『興国寺城』がある駿東(富士郡下方十二郷)を与えられて入城したと言われています。名前が『興国寺』といわれているので元々はお寺だったんかも知れませんね?この辺の地名は『根方』って言うらしく『根方街道』があることから交通の要衝だったんではないかと思います。伊勢新九郎(北条早雲)さんもちゃ […]

神辺城(広島県)

神辺城の感想 南北朝時代から江戸時代初期まで存在し備後国の中心であったと思われる『神辺(かんなべ)城』です。黄葉山に築かれた城で神辺平野を見渡せ、神辺平野に点在するように他にも名もない城がたくさん点在しています。ただ、近年は研究が進み現在では神辺城も備後国に於ける政治の中心からは外れた存在であったと言われるようになっています。私が心から愛する毛利元就の数多くの本を読んでいても必ず出てくる山城で、山 […]

田丸城(三重県)

田丸城の感想 田丸城です!南北朝時代に伊勢近辺に勢力を誇った北畠親房と北畠顕信によって築かれた平山城です。北畠氏の系列である田丸直昌は織田信長の侵攻に伴い、北畠具教(とものり)の養子になっていた信長の次男織田信雄(のぶかつ)に譲って信雄が田丸城に入城しました。田丸城は信雄の居城として1575年に改築され、三層の天守を備えた大規模なお城に生まれ変わり、織田氏の伊勢支配の中心拠点となりました。1584 […]

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