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水戸城(茨城県)

水戸城の感想 水戸城といえば水戸黄門のイメージが強いですね。私もその一人です。徳川御三家の水戸徳川家でしかも江戸時代に築城されたお城だろうと勝手に思っていたのですが、実は平安時代末期から鎌倉時代にかけての築城ということでだいぶ古くからあるお城のようです。 現在は文教地区となっており、ほとんどの遺構が高校か中学校、小学校に幼稚園などになっております。お城に学校がある感じですね。たぶん観光目的の集客も […]

笠間城(茨城県)

笠間城の感想 茨城県笠間市(かさまし)にある笠間城へ行ってきました。ここは鎌倉時代に笠間氏が築城したとされるお城で、笠間氏はこの地で18代まで領主として納めていたということです。宇都宮氏(笠間氏の本家)に滅ぼされて笠間氏は滅亡したとのことです。その後、宇都宮市、蒲生氏と城主を変えながら廃城令の明治までお城としては残りました。 かなり山上にあり、また下は草や土、階段も滑りやすいのである程度登山を考慮 […]

蕨城(埼玉県)

蕨城(わらびじょう)の感想 日本で一番小さい市として有名な蕨市(わらびし)にある蕨城跡。蕨城の本丸跡が公園となっており、南側は市民会館に現在はなっています。南北朝時代に渋川氏が築城したと言われてますが、現在まで残っている渋川氏時代の遺構はほとんどないと思われます。今ある遺構の一部は江戸時代に徳川家の鷹狩の御殿として利用されていた頃の名残ではないかと思われます。蕨城は足利義政が渋川氏に命じて築城され […]

関宿城(千葉県)

関宿城(せきやどじょう)の感想 関宿城は関東以外もしくは千葉、茨城あたりの境に住んでいない方には聞いたことも無いお城かも知れません。でも、このお城、とても重要な位置に築城されており、築城は簗田氏(やなだし)と言われてますが、その後、北条氏の城となっても重要なお城とされ、小田原征伐以降は徳川家系の城となりますが、家康も重要と判断し家康の弟、松平康元を城主として送り込みます。そして明治の廃城令まで使用 […]

二俣城(静岡県)

二俣城の感想 『二俣(ふたまた)城』です。二俣川と天竜川の合流地点にある両川を大きな堀とした天然の要害地です。『鳥羽山城』が付城として存在しており、今回はそれもひっくるめて『二俣城』としています。ここで徳川と武田が激しい争奪戦を展開する激戦区で、武田側から見れば信濃から攻め込むと遠州平野の入り口となり、南下して気賀まで行けば東海道の脇街道にあたる道が東西に延びており、さらに南下すれば浜名湖に到着す […]

二条城(京都府)

二条城の感想 二条城へ訪問しようと京都へ向かったのですが、想定以上の渋滞に巻き込まれて到着が夜になってしまい残念ながらすでに閉館してまして中に入ることができませんでした。せめても。と、ライトアップされた二条城の写真を撮りました。翌日時間があったらとも思っていたのですが、人と会う約束などもあり中に入るのは次回に持ち越しとなりました。二条城ですが、徳川家康が築城し豊臣家を滅ぼし、15代慶喜のときに大政 […]

佐賀城(佐賀県)

佐賀城の感想 『佐賀城』です!旧名は『佐嘉城』です。別名は『沈み城』『亀甲城』と呼ばれており、『沈み城』とは過激な城名だと思われますが、佐賀平野(?)にある平城で堀は石垣ではなく土塁で築かれており、当時は何重にも堀が廻らされていたようです。平城の弱点を補うために攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕掛けがしてあったため『沈み城』と言われていたとか!?一般的には鍋島氏の居城として有 […]

大阪城(大阪府)

大阪城の感想 泣く子も黙る『大阪城』です。今は近代的になっていますが、今確認できるのは本丸の中の本丸!笑笑 ご存じの方はたくさんいらっしゃると思いますが、当時の『淀川』と『大和川』を天然の堀として総構え(町も取り込んだ要塞)の作りとして、堅固中の堅固のお城だったみたいですね。大阪城の主は豊臣秀吉!彼の英知が詰まったお城だと思います。石垣のスケールは半端なく凄くてまさに権力の象徴ですね。淀川と大和川 […]

逆井城(茨城県)

逆井城の感想 茨城県坂東市にある逆井城(さかさいじょう)に行ってきました。遺構が綺麗に整備されておりとても勉強になるお城の一つです。元々は逆井氏が納めていたところのようですが、1536年に北条氏に攻められ落城。その後は豊臣秀吉に北条氏が滅ぼされるまで北条氏の北関東を守る重要なお城であったようです。茨城県というとイメージ的には佐竹氏か結城氏どちらかのお城なのかななんて思って訪問しましたが違ってました […]

米子城(鳥取県)

米子城の感想 前から一度足を運んでみたかったお城です。 『米子城』です(*`艸´)ウシシシ毛利の一族、吉川広家さんが築城したお城です。 吉川広家さんは毛利元就の次男吉川元春の三男坊で、幼き頃は『うつけ』として周りからは厳しい評価をされていたようです。父の元春と長男の元長が死去すると、吉川家を継いで当主となり武闘派としてならし豊臣秀吉からも高い評価を得ることとなります。 当時の毛利家(毛利輝元)は拡 […]

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