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若神子城(山梨県)

若神子城の感想 若神子城へ行ってきました。この周辺は武田氏発祥の地とも言われている地域で、武田氏の祖と言われる、源義光(新羅三郎義光)が築いたと言われているお城が若神子城になります。武田氏の流れとしては、源義光→2代目源義清→3代目源清光の時に逸見氏(へみ)を名乗ります。→4代目信義になり、武田神社で元服し武田信義を名乗るようになり武田氏が成立します。若神子城は棒道と佐久往還が分岐する要地で、信濃 […]

有馬晴信の謫居/自害の跡(山梨県)

有馬晴信の謫居(たっきょ)/自害の跡の感想 少し歴史に詳しい人からすれば違和感を感じるかもしれません。有馬晴信は九州の武将で、肥前国日野江藩初代藩主であり九州動乱の中で勢力を拡大した大名のひとりです。叔父に大村純忠がいるなどキリシタン大名として有名です。(当初は有馬晴信はキリシタンを毛嫌いしていたのですが途中で洗礼を受けキリシタン大名になったらしいですね) 当初は肥前守護職の大友宗麟に従い勢力を拡 […]

武田勝頼(夫人/信勝 )生害石(山梨県)

武田勝頼(夫人/信勝 )生害石の感想 前回の武田勝頼/夫人/信勝の墓からの流れで、同じ景徳院内に3名の生害(自害)した場所があります。3名がお互いに生害石(その石の上に座って自害した場所)がありました。何とも言えない気持ちが湧き出てきて、苦しさがたくさんあったと思うのですが、その時の疲れと諦めと切なさと・・・複雑な気持ちが入り乱れていたと容易に想像がつきます。 是非!皆さんも足を運んで感じて頂けれ […]

武田勝頼公(夫人/信勝)の墓(山梨県)

武田勝頼公(夫人/信勝)の墓の感想 前回の続きから・・・織田軍の総攻撃に未完の新府城を焼き払い撤退を余儀なくされた武田勝頼は、当初、親族の小山田信茂の岩殿城を目指し共に撤退を行うが、途中、この小山田信茂に裏切られ岩殿城への入城(小山田領地への入国?)を拒否されてしまうため、武田家とゆかりのある天目山棲雲寺(せいうんじ)を目指し、この甲州街道(国道20号線)から外れ現在の県道218号線の日川沿いを進 […]

武田勝頼公腰掛石(山梨県)

武田勝頼公腰掛石の感想 地図を眺めながら・・・『天目山』ってどこなんだよ?ってふと疑問に感じました。武田勝頼さんは説明いらないぐらいの有名な方ですよね。あーじゃーこーじゃーありましたが、武田信玄の跡を継ぎ、戦国最強の武田軍団のTOPとなった武田信玄の四男です。結果的に武田を滅ぼしてしまうので賛否あると思うのですが、俺個人的には非常に能力の高い戦国武将だったので武田を継いだ武将だと思っています。 歴 […]

於曽屋敷跡(山梨県)

於曽屋敷跡の乾燥 今は公園として整備されていますが、しっかりと土塁・堀の跡を残しています。於曽(おぞ)屋敷跡です。於曽屋敷は甲斐源氏の祖となった源義光の子である義清の四男であった、加賀美遠光(かがみ とおみつ)が加々美荘を支配したことから始まるようです。当初、この一帯は旧豪族の三枝一族が支配していたが、甲斐源氏であった加賀美遠光の四男光経と五男光俊がこの地を支配し於曽氏と称したようです。於曽氏の創 […]

武田信春館(山梨県)

武田信春館の感想 武田信春は武田家の9代目当主で、武田信玄の7代前の当主になります。どのような活躍をしていたのかはあまりわかっていないようですが、甲斐国の守護で1413年に亡くなったとされています。現在は慈徳院と言うお寺になっており、信春の菩提寺でもあります。館としての遺構はほぼ無く、標柱がなければ館跡であることも正直わからない場所です。 武田信春館画像ギャラリー 武田信春館情報 築 城 不明 城 […]

勝沼氏館(山梨県)

勝沼氏館の感想 いやぁぁぁ~ナメていました!?(# ゚Д゚)存在は昔から知っていたんですが『館』ってついていたんで、あまり行ってみる気になれずに戦友を誘って城攻めのリハビリ程度に訪問してみました。 『勝沼氏館』・・・マジ神!マジ最高!!!(*`艸´)ウシシシ!!!館っていうか城でも充分いける~♪ 勝沼館は側を流れる日川の河岸段丘に築かれた館で、武田信虎(武田信玄のお父さん)の弟、武田信友が勝沼衆を […]

新井城(神奈川県)

新井城の感想 北条早雲と激しい戦を繰り返した三浦(道寸)義同(よしあつ)の居城と知られ、名門相模三浦氏の本拠地です。混乱を生まないためにあえて上記には記載しませんが、新井城は別名を、荒井城・小網代城・三崎城とも呼ばれており、新井城からクルマで8分(3.6㎞)にある三崎城 や、三崎場周辺の小網代湾のある近辺まで新井城であった可能性があり、歴史小説を読んでいると三浦道寸を攻めて新井城に籠城させた北条早 […]

三浦(道寸)義同の墓(神奈川県)

三浦(道寸)義同の墓の感想 三浦道寸(どうすん)こと三浦義同(よしあつ)のお墓が新井城にあります。 三浦道寸は同寸とも呼ばれることがあり、元々は扇谷上杉氏の子で三浦時高の養子として三浦氏に入りました。しかし、三浦時高に子が出来たため祖父であった大森氏頼を頼りの大森領内の足柄にある総世寺に出家し、三浦義同→道寸(同寸)と名乗ったようです。三浦氏が一族内で分断し混乱していた時に、大森氏頼の力を借りて三 […]

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