土塁

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長久保城 / 長窪城(静岡県)

長久保城 / 長窪城の感想 築城時期や築城者はまったく確認されていませんが、鎌倉時代初期に竹之下頼忠が築いた砦が始まりとされています! または、大友親頼(おおともちかより)の三男大友親政が今川氏に仕え駿河国駿東郡(すんとうぐん)長久保に領地をもらったため、大友氏から長久保氏と名を変えとされています・・・けど、そんな時代にマジで豊後・筑後の守護大名だった大友氏の一族がこの駿河国まで来たのかなぁ・・・ […]

花倉城 / 花蔵城 / 葉梨城(静岡県)

花倉城 / 花蔵城 / 葉梨城の感想 『花倉城』は『花蔵城』『 葉梨城(はなしじょう)←知らんかった~!!!苦笑』って云うみたいですねぇ~((´∀`*))ヶラヶラ♪ 『花倉城』は静岡県中部にある標高297mの城山?に築かれた山城ですね!それこそ!今川範氏によって1353年頃に築城されたと云われているみたいですねぇ~!!!うん!うん!夢がある!!!!花倉城は、南北に伸びる山頂稜線に堀切を設け二分し! […]

小山城 / 祇園城(栃木県)

小山城 / 祇園城の感想 『小山城』は小山市城山町の思川沿いにある城で、別名は『祇園城(ぎおんじょう)』と呼んでおり、地元の方々は主に『祇園城』と呼んでいるようです。『小山城跡』は『小山氏城跡』と呼ばれる『鷲城』・『祇園城』・『中久喜城跡』をひとつにまとめ『祇園城』とされ国の史跡とされているみたいですねぇ。。。(ややこしぃ~苦笑) 『祇園城』にするのが一番なのかもしれませんが、『関ケ原の戦い』の前 […]

八幡城/八幡山城(静岡県)

八幡城/八幡山城の感想 八幡城(やはたじょう)もしくは八幡山城(やはたやまじょう)と読みます。八幡城は1411年に駿府へ来た今川範正(いまがわのりまさ)が築城したと言われております。駿府城の支城的なお城だったと思われます。説明板には1476年の今川家の家督争いで太田道灌の軍勢がこの八幡城に布陣したと書いてありました。これは今川義忠が無くなり、義忠の従兄弟である小鹿範満が家督を主張し起きた争いになり […]

栃木城(栃木県)

栃木城の感想 栃木駅の近くにああります・・・『栃木城』です!!!(〃艸〃)ムフッ なかなか行けない城は勢いで行っちゃってから、後で調べてみて驚き(楽しみ)があるのですがぁぁぁ~♪♪♪『皆川城』の皆川広照の時代に、山城から平山城に移すべく築かれたのが『栃木城」らしいです! 栃木城は、1591年に、皆川広照の居城だった皆川城にかわって築かれたとされ、本丸や東二ノ丸とか、蔵屋敷や東三之丸、南三之丸からな […]

騎西城 / 私市城 / 根古屋城 / 山根城(埼玉県)

騎西城 / 私市城 / 根古屋城 / 山根城の感想 騎西城です!(^▽^)/~♪歴史(特に北条氏や佐竹氏)の本を読んでいると、よく獲った獲られたって城で騎西城が出てきます。 騎西城の築城は・・・よくわかっていません! 上杉氏の配下の太田氏(確かに近所だからね~)って話もありますが、自分自身もどんな感じだったのか?を妄想しながら楽しんでいます。でも現地にに行ってみて、『忍城』や『羽生城』にある様に、 […]

草津城 / 安芸草津城 / 田方城(広島県)

草津城 / 安芸草津城 / 田方城(広島県)の感想 草津城は今は埋め立てられたのでわかりませんが戦国時代には海に面した山城で、広島湾の西岸にある標高 320.6 mの鈴ケ峰に築かれていたとされています。海に向って南東に派生する尾根の先端部に位置している。草津城の本城跡は4つの郭群からなり、各郭群は4本の堀切によって区分されている。これら郭群を北側から4郭群とした。この4つの郭群は、古江分(2つの郭 […]

天霧城 / 尼斬城(香川県)

天霧城の感想 最初に言っておきます!!! 天霧城!!!断念!!!(´;ω;`)ウゥゥ 極寒の中、辿り着くまでに結構四苦八苦し、辿り着くと天候が悪化!?写真ではわからないのですが、霙っぽいのと強風がガタガタし始め、先の長そうな戦いにシッポを巻いて逃げ帰っていました~(´;ω;`)ウッ… 本当に申し訳ございません!!!! 天霧城は本当に行きたかった念願の城で!天霧城は香川信景の居城で、香川信景は長宗我 […]

木村城(広島県)

木村城の感想 『木村城』は、相模国を本拠地としていた桓武平氏の土肥氏であった土肥実平が源頼朝に支え、源平の合戦後土肥実平の子遠平が安芸国沼田(ぬた)荘の地頭職となり拝領し、これを譲られた養子の影平が安芸国に移住した事から始まります。土肥氏は出身の相模国早河荘から名をとって土肥氏から小早川氏と名を変えたらしく、当初は沼田川が流れる場所に『高山城』を築き本城としたが、1258年に本城だった本郷沼田庄の […]

高山城(広島県)

高山城の感想 高山城は相模国早河荘に所領を持っていた土肥実平が、安芸国沼田荘に地頭として入部したことに始まるり、早河荘からの地名から『小早川』と名乗ったのが始まりとされたと云われています。1206年に小早川茂平が高山城を築き居城としたとされ、後に茂平の三男、小早川雅平が沼田荘を引き継ぎ本家筋とし、四男の小早川政景が都宇竹原荘へ移り住み分家として木村城を築いたとされています。のちに本家の『沼田小早川 […]

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