北条家

北条家にゆかりのあるもの

三崎城(神奈川県)

三崎城の感想 三崎城は定かではありませんが、三浦半島に勢力を覇っていた三浦氏が築城したと云われております。三崎城はたぶんですが、三浦氏が居城とした新井城と岡崎城支城として重要な城だったと思われますが、北条早雲に攻められて三浦道寸が自決し三浦氏が滅びると支城としての役割は無くなり、その後は北条早雲や氏康の保養城?として利用されたみたいですね(〃艸〃) 今は・・・・・三崎城としては跡形もありませーん( […]

長浜城(静岡県)

長浜城の感想 長浜城は静岡県沼津市の伊豆方面にある長浜・重須(おもす)湊を含む西浦7カ村(重寺・三津・長浜・重須・木負・久連・平沢村)を守るために築かれた城の様であり、現在の海賊城になったのは当初伊豆を支配した北条早雲の時代ではなくて、三代目氏康・四代目氏政の時代に本格的な水軍強化のために築城された城ではないかと思います。二代目氏綱時代から本格的に戦うようになった里見氏(安房)にも対抗するように、 […]

葛西城(東京都)

葛西城の感想 先日、国府台城を紹介させていただいたので、やはりこちらの城も紹介しなくては。と思い葛西城跡へ行ってきました。葛西城は鎌倉時代に葛西氏の館があったとも言われているようですが、確証は無いようです。初代城主は大石石見守と言われており、15世紀ごろに作られたとするのが有力みたいです。その後1462年、千葉実胤が入城しているようです。その後、後北条氏の城となり、国府台合戦で最前線の城であり陣と […]

国府台城(千葉県)

国府台城の感想 今回は千葉県市川市にある国府台城に行ってきました。国府台城は江戸川沿いの丘陵地にあったお城で、後北条氏VS里見氏・足利氏の国府台合戦のあった場所です。1538年、足利義明と里見氏は国府台城で北条氏綱と戦いました。第一回国府台合戦。これは北条氏が勝利し足利義明は戦死しました。1564年、里見義弘が国府台城で再び北条氏と対戦しました。第二回国府台合戦。この合戦も北条氏が大勝し、里見氏は […]

早雲寺(神奈川県)

早雲寺の感想 かねてからどぉしても行きたいところに行ってきました。 『早雲寺』です 戦国時代に関東に覇をとなえた北条(後北条)五代のお墓があると言われています『早雲寺』です。(因みに、今大河ドラマでやってる北条とは全く関係がありません)初代とされる北条早雲は元々は伊勢新九郎といい、(現在の)岡山県井原市にある高越城出身で、幕府に遣えるために岡山から京都へ、姉を助けるために嫁ぎ先の今川家のある静岡へ […]

韮山城(静岡県)

韮山城の感想 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が備中から京~駿河を経て駿東の興国寺城を今川氏親から与えられ、初めての城持ちとなった興国寺城から約20㎞の場所に居城を移します。その城が『韮山城』です!今になれば興国寺城も韮山城もたいした距離ではないのですが、当時は伊豆に権力を振るう『堀越公方』の館近く(約1.8㎞)に韮山城を築くことを考えれば、当初から堀越公方を次のターゲットにしていたことがわかるのと、後 […]

小田原城(神奈川県)

小田原城の感想 北条五代のお城といえば小田原城ということで小田原城へ行ってきました。 小田原城は初代の北条早雲(そううん)が大森氏を倒し手中に収めたお城です。小田原駅のロータリーにも北条早雲公の銅像があります。北条早雲は北条五代で話す場合は使われる名前ですが、この方ものすごい呼び名が多く存命の頃は北条とは名乗っておらず「伊勢宗瑞(そうずい)、伊勢盛時(もりとき)、伊勢新九郎(しんくろう)」などと呼 […]

興国時城(静岡県)

興国寺城の感想 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が自分の姉が嫁いでいた今川家の家督争いを治め、当主となった今川氏親よりこの『興国寺城』がある駿東(富士郡下方十二郷)を与えられて入城したと言われています。名前が『興国寺』といわれているので元々はお寺だったんかも知れませんね?この辺の地名は『根方』って言うらしく『根方街道』があることから交通の要衝だったんではないかと思います。伊勢新九郎(北条早雲)さんもちゃ […]

滝山城(東京都)

滝山城の感想 八王子城から約10㎞・・・北条氏照が拡張した滝山城です!拡張って・・・なぜかというと、滝山城はもともと山内上杉家の重臣、武蔵国守護代の大石定重が築いたとされています。1546年に北条氏康があの日本三大奇襲といわれる『河越城の夜戦』を仕掛け見事大勝利!!!扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏を武蔵から勢力を排除したため、大石定重は北条氏康の軍門に降ります。大石定重の後を継いだ大石定久は北条氏 […]

八王子城(東京都)

八王子城の感想 関東での屈指の山城である『八王子城』です。関東制覇を目論む北条(後北条)氏が小田原城の支城とした築いた城で、築城は北条氏照(北条氏康の三男)といわれており、そうとう思いを込めてこの壮大な山城を築城したと思われます。北条氏照は当初、有力豪族であった由井領主の大石氏の娘を娶り養子として入り、北条氏ではなく大石氏を名乗っていたこともあり、この地域は武田からの侵略を防ぐため重要な役割を氏康 […]