石垣

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石垣のある(残っている)お城

伴城(広島県)

伴城の感想 伴城(ともじょう)は伴氏の居城で安芸武田氏の一族とされています。伴氏は安芸武田氏の庶流で南北朝時代頃に分流したといわれ、武田家中でも一門として勢力を持っていました。伴城は現在の広島市安佐南区沼田町伴にあり、3つの山城から成り立っていたとされ、まとめて伴城と云うみたいですね。。。たぶん。。。伴城は安芸武田氏の居城だった佐東銀山城の裏手にあり、本流の安芸武田氏、及び、佐東銀山城を裏手から守 […]

海老山城(広島県)

海老山城の感想 海老山城は『えび』ではなく『かいろう』と呼びます♪『海老山城(かいろうやまじょう)』ですわぁぁぁ(●^o^●) 現在は埋め立てられて住宅地となり、こんもりとした丘の公園になっていますが、その昔は、陸から少し離れた小島にある島城だったと思われます!? 海老山公園の造成により海老山城のほとんどが破壊されているが、城は二つの郭と三つの小郭からなっていたようです。本丸は54m×20mの規模 […]

甘崎城 / 天崎城(愛媛県)

甘崎城 / 天崎城の感想 甘崎城は愛媛県今治市上浦町甘崎の古城島にある島城であり、別名を古城・岸の城・荒神城と呼ばれており、築城の歴史はめちゃめちゃ古い可能性があり、古代には大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の東方鎮護として機能した島らしく、古名は『アマノサキ』の意味で『アマ』は海人を、『サキ』は防人(さきもり / ぼうじん)の意を指し、鎌倉時代には海人(海武士)を取り締まるために城砦が築かれた( […]

川之江城 / 仏殿城(愛媛県)

川之江城 / 仏殿城の感想 以前、四国で働いていた頃があり、クルマで移動中によく見かけていた城が川之江城でした! 川之江の地は、伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ重要な交通の要衝であったため、南北朝時代に南朝方だった河野氏が川之江の鷲尾山山頂に砦を築き、1337年に土肥義昌が川之江城を築いたと云われています。 1342年 に細川頼春が7千の大軍を率い川之江城を攻撃し、川之江城主の土肥義昌破れ討死してしま […]

丸亀城 / 蓬莱城(香川県)

丸亀城の感想 すごく有名なお城ですね!丸亀城です♪♪♪またの名を蓬莱城(ほうらいじょう)と云うみたいですね!? 現在の丸亀城は(個人的に)『魅せるお城』っぽく感じます。調べてみると丸亀城の改修は豊臣政権が四国を支配し、入国した生駒氏や、その後、山崎氏が行ったようで、丸亀城の築城は奈良元安なる人物らしく『奈良氏って誰???』的に思う人も多いでしょうが、奈良氏はあの『忍城』で有名な武蔵国の『成田氏』の […]

屋嶋城(香川県)

屋嶋城の感想 屋嶋城は『やしまじょう』『やしまのき』と呼ばれる城で、私もよくは知らなかったですが、『白村江の戦い』で唐・新羅連合軍と滅ぼされた百済を復興しようとする日本・百済遺民の連合軍がぶつかった合戦で日本・百済遺民の連合軍は唐・新羅連合軍に大敗し、大敗した大和朝廷が日本の防衛ラインとして対馬~畿内一帯に築いたのが『古代山城』と呼ばれ、福岡の『筑前大野城』もそのひとつらしく、対馬~畿内一帯で30 […]

鞆城(広島県)

鞆城の感想 『鞆城(ともじょう)』は現在の広島県福山市にある『鞆の浦』と云うめちゃくちゃ雰囲気のいい港町の面影を残した場所にあります。私は広島出身なのですが『鞆の浦』と云えば昔から古き良き港町のイメージがあり、今でも是非皆様に行って欲しいスポットのひとつです!!!(^▽^)/ 『鞆城』を私が知ったのは、戦国時代、織田信長に京を追い出され足利義昭が毛利氏を頼って辿り着いた場所がここ鞆の浦と云われてい […]

手島屋敷跡(広島県)

手島屋敷跡の感想 木村城のすぐ近くに『手島屋敷跡』があります♪『手島屋敷』はかって『西殿(にしんどん)屋敷』と呼ばれており、竹原小早川家の居館であったようです。(戦になり籠城する時は木村城を詰城として使っていたんじゃないかと思います) 竹原小早川氏の当主となった小早川隆景が、1550年に本家の沼田小早川家も継ぐことになり、沼田小早川家の本城の高山城に入城した際に家臣の手島氏がこの屋敷を賜り受け継い […]

木村城(広島県)

木村城の感想 『木村城』は、相模国を本拠地としていた桓武平氏の土肥氏であった土肥実平が源頼朝に支え、源平の合戦後土肥実平の子遠平が安芸国沼田(ぬた)荘の地頭職となり拝領し、これを譲られた養子の影平が安芸国に移住した事から始まります。土肥氏は出身の相模国早河荘から名をとって土肥氏から小早川氏と名を変えたらしく、当初は沼田川が流れる場所に『高山城』を築き本城としたが、1258年に本城だった本郷沼田庄の […]

高山城(広島県)

高山城の感想 高山城は相模国早河荘に所領を持っていた土肥実平が、安芸国沼田荘に地頭として入部したことに始まるり、早河荘からの地名から『小早川』と名乗ったのが始まりとされたと云われています。1206年に小早川茂平が高山城を築き居城としたとされ、後に茂平の三男、小早川雅平が沼田荘を引き継ぎ本家筋とし、四男の小早川政景が都宇竹原荘へ移り住み分家として木村城を築いたとされています。のちに本家の『沼田小早川 […]

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