石垣

5/20ページ

浜松城(静岡県)

浜松城の感想 徳川家康の城といえば浜松城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。1570年から1586年の駿府城へ移るまでの居城で、この前の記事でも書きましたが、武田信玄との戦いに備えるためのお城でもあり、三方原の戦いなどはこの浜松城の近くになります。浜松城は元々、曳馬城と呼ばれていて、家康が移ってきた時に浜松と名前を変えた経緯があります。家康が先ほど書いた武田信玄に対する城にするために改修を […]

小幡陣屋(群馬県)

小幡陣屋の感想 群馬県甘楽町の小幡陣屋へ行ってきました。小幡藩は織田信長の次男、織田信雄が初代藩主でこの小幡陣屋は信勝から数えて三代目の織田信昌が建てたものになります。現在は楽山園として綺麗な日本庭園がある公園として観光名所になっています。また、この小幡陣屋の近くに織田信雄など「織田七代の墓」もありますのでついでに寄ってみても良いかと思います。織田信雄はこの小幡藩の祖ですが、実際には小幡の地に居住 […]

三河川尻城 / 川尻城(愛知県)

三河川尻城 / 川尻城の感想 三河川尻城(川尻城はたくさんあるのでここではあえて『三河川尻城』と云わせて頂きます)は、上野国甘楽郡奥平郷(現在の群馬県)から三河国作手に移り奥平貞俊により築城された城とされています。(因みに、上野国甘楽郡奥平郷が奥平氏発祥の地と云われており、その名も奥平城があるみたいなので後日行ってみたいと思います(^▽^))後に、奥平貞俊は勢力拡大と共に手狭になった三河川尻城から […]

観音寺城(滋賀県)

観音寺城の感想 色々な歴史系の記事やYoutubeなどでも影が薄くいじられ役のイメージがある六角氏の居城、観音寺城へ行ってきました。鎌倉時代から続く名家で滋賀(近江)の武将だというのに戦国時代のTV番組やほとんど取り上げられることがない武将のイメージが強い武家です。観音寺城はその名の通り観音寺がある繖山(きぬがさやま) に築かれたお城で、佐々木定綱から始まった後、四家に分かれ、その別れた家の一つが […]

烏山城(栃木県)

烏山城の感想 烏山城(からすやまじょう)は、栃木県那須烏山市にある標高202mの八高山に築かれた山城で、『那須烏山市』の地名にある通り、源平の合戦際に『屋島の戦い』で平家側の舟の上に掲げた『扇の的』を射落とした『那須与一』の末裔であると云われているみたいです。鎌倉幕府創設期には、結城氏・佐竹氏と共に那須氏も『関東八屋形』と呼ばれていたが、途中、那須氏も『上那須家』と『下那須家』の二つに分裂してしま […]

大津城(滋賀県)

大津城の感想 坂本城に行くついでに大津城跡へ行って来ました。遺構らしきものはほとんど残っていないようですが、訪問時に気づきませんでしたが、1980年に大津城の石垣らしきものが発見され、大津祭曳山展示館横の駐車場にて見られるとのことです。大津城は明智光秀の坂本城を廃城にして代わりに建てられたお城で、坂本城で使われたていたものを一部使って作られたとも言われております。また、一部材料が使われているだけで […]

飯山城(長野県)

飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]

葛尾城(長野県)

葛尾城の感想 村上義清の居城、葛尾城に行ってきました。と言ってもナビの案内通りの葛尾城の駐車場はとてつもない道を通って行く道で今回は大失敗でした。(道中の動画は下へスクロールしていただくと見られます。)動画では伝わりづらいかもしれないですが、SUV系の車でも腹下をするくらい道がひどいのと結構砂利の勾配がキツく2駆だと空転するような場所もあります。途中からずっと4駆で走りました。あと大きい車も道幅が […]

坂本城(滋賀県)

坂本城の感想 坂本城と言えば明智光秀のお城ですね。ほとんど何も残っていないこともありなかなか足が向かなかったのですが、今回、幻の城と言われた坂本城に新発見、令和6年2月11日に三の丸の石垣が発見されたとのことで発掘調査説明会に行ってきました。坂本城は1571年に織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちによる功績により明智光秀に与えた所領坂本に築城されたお城です。明智光秀は岐阜県可児市の明智城で生まれたと言 […]

長篠城(愛知県)

長篠城の感想 とても有名な城ですね!歴史のターニングポイント!トリガーとなる時代の重要な城です。 『長篠城』です!!!!! 長篠城は菅沼氏が築城したといわれ、主に松平氏の居城としていました。長篠城は豊川と宇連川が合流する天然の要害を要し、信濃国・遠江国・三河国への街道に繋がる交通の要所でもある重要な城だったことがわかります。武田信玄が西上作戦を実施、長篠城もその勢いに呑まれていき当時城主であった菅 […]

1 5 20