門司城(福岡県)

門司城(福岡県)

門司城の感想

門司城は下関(山口)と北九州(福岡)の間、関門海峡を望む北九州側にあり古城山の山頂に築かれた山城で、古くは源平の合戦時に 平 知盛 が源氏との合戦に備えて築かせた城です。
その後は1559年とその2年後の1561年に起こった大友義鎮(大友宗麟)と毛利元就との合戦、『門司城の戦い』の舞台となった城として知られており、毛利元就好きの私も毛利元就を通してこの城も知りました(^▽^)/
関門海峡は長門国と豊前国の間にS字のヘアピンの様な海峡になっている難所で、源平の合戦では平家が滅んだ『壇ノ浦の戦い』の場でもあります。門司城は関門海峡を見下ろす交通の要衝であったため、大友氏と大内氏、大内氏滅亡後は毛利氏の間でが争奪戦が繰り広げられました。
当時、門司城を支配していた大内氏を1430年に大友氏側の秋月氏と原田氏が門司城を攻めて大内氏から奪い取りますが、その後は再び大内氏に取り戻されてしまいます。毛利元就が大内氏を滅ぼした陶晴賢を『厳島の合戦』で勝利したのち、周防・長門の平定のため大友 義鎮と不可侵条約の条件として豊前国は大友領となるため門司城は大友氏側の城となります。しかし、1558年に毛利氏側は小早川隆景(毛利元就の三男)を総大将に門司城を攻撃し奪取に成功! 門司城に城代として 仁保 隆慰(にほ たかやす)を入城させ門司城を固めます。。。
1561年大友氏側は再び、戸次 鑑連(べっき あきつら→のちの立花道雪)・田原親堅・臼杵 鑑速(うすき あきはや)の軍勢で門司城に攻め込みますが毛利氏側はこの軍勢を撃退してしまいます!
この門司城奪還の戦いに敗れた大友義鎮はこの敗戦をきっかけに出家し『大友宗麟』と名乗るようになったとか!?!?!?Σ(・□・;) その後も門司城は毛利氏の城であり続け、1600年関ケ原の戦い後、豊前国は細川忠興は門司城に長岡氏を城代として入城させたと云われています。

現在の門司城は『和布刈(めかり)公園』となっており、明治時代には陸軍の要塞として砲台などが設置されたりして、昔の門司城の構造はほとんど残っていない様です。。。石垣が一部あるだけなのかな???

門司城画像ギャラリー

門司城には『和布刈 第1展望台 駐車場』にクルマを停めて上がっていく事が出来ます。

門司城への入口を発見!!!!!!!

崩れた石垣が埋もれているように感じますね・・・

なんじゃこれ????『山の神』???

いやぁぁぁ~これって石垣だよなぁ~?????(; ・`д・´)

門司城の本丸に到着!!!!  朝早かったので・・・暗!!!!!!(´;ω;`)ウッ…

本丸らしく土塁とか石垣も見られますねぇ~

本丸には鉄塔が建っちゃってますねぇ~なんか悲しい~( ノД`)シクシク…

門司城の本丸から関門海峡を見渡してみます・・・・・・最高!!!(^▽^)/~♪

門司城情報

築 城1185年
城 主平氏、門司氏、大友氏、大内氏、毛利氏、細川氏
住 所栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33
種 別山城
廃 城1615年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

門司城へのアクセス

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