2024年

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中村城 / 為松城(高知県)

中村城の感想 中村城は、公家一条氏の流れを組む前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が、土佐の国人衆だった大平氏の支援により土佐国幡多郡中村に下向し土着したのが発端し、初代の一条房家、房冬、房基、兼定、内政の五代に渡り土佐一条氏の居城となった城です。中村城は元々土佐国中村にいた国人の為松氏が築いた城で、一条氏がこの地に流れてくると為松城は一条氏の城となり、為松氏は一条氏の重臣として仕えることとなり […]

朝倉城 / 重松城(高知県)

朝倉城の感想 すげぇ~前々から行きたかった憧れの山城です( `ー´)ノ『朝倉城』です!!!めちゃくちゃ気合入れて朝倉城の城攻めに向かったのですが・・・・・・・・・・・・・・・ 築城はいつだか定かではありませんが(1521年〜1527年頃かな・・・?)、本山茂宗(清茂)によって築城されたと云われており、本山茂宗は勢力拡大を図り南下し当時岡豊城の城主だった長宗我部兼序(長宗我部国親の父親、元親の祖父) […]

吉良城 / 吉良峰城(高知県)

吉良城の感想 土佐国の戦国七守護のひとりである吉良(土佐吉良)氏によって築かれた城で築城の年は不明です!吉良氏は土佐国でも名門の一族です。吉良城は標高111mほどの平山城で南北両嶺の曲輪を有しているみたいです。北嶺は南北40m、東西20mの楕円形で南端には櫓台のような場所もあるそうです。 土佐国における吉良氏の全盛期を築いた吉良宣直が五千貫を領し土佐七雄のひとりとして覇を唱えていたが、勢力を急激に […]

浦戸城(高知県)

浦戸城の感想 長宗我部元親を想うと切っても切り離せない重要なお城です!浦戸(うらど)城です!!!( `ー´)ノ♪♪♪ 浦戸城の築城ははっきりしていませんが、本山城を居城としていた「土佐七雄」の一つである本山氏が勢力を伸ばし、朝倉城と共にこの浦戸湾のある地に本山茂宗(清茂)によって築かれたと云われています。浦戸城の本山氏は復興した長宗我部国親・元親親子の攻撃を受け浦戸一帯(土佐国)の覇権を争うように […]

長宗我部元親公の墓(高知県)

長宗我部元親公の墓の感想 私の大好きな武将のひとりです!!!(≧◇≦)長宗我部元親!!!四国を統一した唯一の戦国武将!英雄だと思っています!\(゜ロ\)(/ロ゜)/ その『長宗我部元親の墓』に行ってきました~(^▽^)/ 長宗我部元親は1539年に長宗我部国親の嫡子として岡豊(おこう)城で誕生したと云われています。幼名は『弥三郎』のちに土佐守護だった細川晴元の偏諱を受け『元』の文字をもらい『元親』 […]

長宗我部盛親公慰霊之碑(高知県)

長宗我部盛親公慰霊之碑の感想 秦神社に長宗我部元親の四男『長宗我部盛盛親公慰霊之碑』がありました。秦神社は長宗我部氏が秦氏の流れからくる一族なのであったのかな?って思っていたんですが、元々長宗我部氏の菩提寺であった『雪蹊寺』が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の機運が高まっていた明治3年に廃寺となったため、長宗我部元親の弟の親房(別名は島親益といい四男の弟である親益を元親はとてもかわいがっていたが、親益 […]

土佐 長浜城(高知県)

土佐 長浜城の感想 長浜城は長宗我部元親の初陣となった『長浜の戦い(長浜表の戦い)・戸ノ本の戦い』の舞台となった城です。長宗我部国親・元親親子は、種﨑城に運んでいいた兵糧を本山氏側の潮江(うしおえ)城の兵に奪われたことから戦に発展し、長浜城攻略に踏み切った戦となりました。長浜城攻めには面白いエピソードが残っています。元々は長宗我部氏配下の福富右馬允という者が罪を犯し放逐されました。福富右馬允は本山 […]

潮江城(高知県)

潮江城の感想 潮江は『しおえ』ではなく『うしおえ』と呼びます。よってこの城は潮江(うしおえ)城と云います(^▽^)/ 潮江城の築城はわかっていません。南北朝時代には南朝方の大高坂山城(現在の高知城)を支援するために南朝方の諸将が潮江山に陣取って北朝方と対峙したとされているので、砦などがあったのかもしれません。戦後期時代に入ると潮江城の城主に『片岡氏』や『長氏』の名前が見えますが、『長氏』は本山氏の […]

高知城 / 鷹城(高知県)

高知城 / 鷹城の感想 土佐国の有名な名城『高知城(別名鷹城)』です!(。◕ˇдˇ​◕。)/ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ高知城は『日本100名城』にも選ばれている名城で、皆さんの中では山内一豊や幕末の妖怪(失礼かも!?)山内容堂の居城として有名な城だと思います。 高知城は元々『大高坂山(おおたかさか)城』という城がベースだったとされています。大高坂山城は大高坂氏の居城である。大高坂氏はその昔、源平合戦で平家 […]

吉田備後守邸跡 / 吉田城(高知県)

吉田備後守邸跡 / 吉田城の感想 吉田城は長宗我部氏の居城、岡豊(おこう)城より国分川を挟んで約2kmの場所に、『吉田備後守邸 / 吉田城』があります。吉田備後守孝頼は智謀勇猛で知られた武将で、その昔は藤原秀郷の後裔とと云われており、足利尊氏の下で武功を上げ土佐国の地を貰ったとされています。吉田孝頼は長宗我部国親(元親の父)が土佐国の岡豊城に復帰できると、二十歳ぐらい若い国親の叔母婿となり国親を支 […]

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