江戸時代

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三木城(兵庫県)

三木城の感想 三木城に訪問してきました!三木城は釜山城や別所城とも呼ばれていたみたいです。三木城といえば、別所長治(べっしょながはる)が羽柴秀吉から離反して起こした三木合戦が有名ですね。でも、その前に別所氏が東播磨で力を付けていくきっかけを作ったのが別所則治(べっしょ のりはる)です。この方がいたから別所氏は東播磨八郡の守護代にまでなり別所氏を名門にしたと言えます。三木城を築城したのも別所則治にな […]

里見家墓所(鳥取県)

里見家墓所の感想 この伯耆国で『里見』の名を聞くのに意外な方がいらっしゃる(私自身もそうです)と思いますが、打吹城の麓の大岳院に安房国の館山城10代目の城主だった里見忠義の墓がありました。里見忠義は1614年に江戸幕府内の勢力争いに巻き込まれてしまい、大久保忠隣に連座し転封を命じられ伯耆国倉吉に国替えされてしまいます。しかも、倉吉3万石とされていたのですが実際は4千石しか与えられず打吹城にすら入城 […]

打吹城(鳥取県)

打吹城の感想 打吹城(うつぶきじょう)と読みます<(`^´)>打吹城は現在の鳥取県倉吉市にある打吹山(標高204m)に築かれた城で、1356年~1361年頃、または1370年頃に伯耆国の守護大名であった山名時氏の嫡男、山名師義(もろよし)が打吹城を築き田内城から移し守護所を移したとされています。守護所を移してから打吹城の城下は整備され商工業者を集めたり、市を開かせ城下町を活性化させてい […]

岩倉城 / 岩倉山城(鳥取県)

岩倉城 / 岩倉山城の感想 現在の鳥取県倉吉市岩倉にある岩倉城です!!!ここは行ってみたかったお城なのですが・・・全く入口がわからず(もしかしたら民家を抜けないとだめだったのかもしれません)、案内板で大興奮した後・・・1時間以上炎天下の中でさまよって断念してしまいました~( ノД`)シクシク…~くやしぃぃぃぃぃぃぃ!!!! 岩倉城は小鴨(『こがも』ではなく『おがも」って呼びます)氏の居城で、尼子氏 […]

黒坂鏡山城 / 鏡山城 / 黒坂城(鳥取県)

黒坂鏡山城 / 鏡山城 / 黒坂城の感想 実は・・・私には行きたい安芸国の鏡山城がありますので、ここではあえて黒坂鏡山城と云わせてもらいます!!!(。◕ˇдˇ​◕。)/1600年の関ケ原の戦い後、伯耆国に中村一忠が入国していましたが、1609年に中村家内でゴタゴタが発生し改易されたため伯耆国には大小の大名に分割されます。その中のひとり、伊勢国亀山より関一政(せきかずまさ)が入国したみたいです。関一 […]

洲本城/三熊城(兵庫県)

洲本城/三熊城の感想 洲本城(すもとじょう)に行ってきました!洲本城は、1526年に安宅(あたぎ)氏によって築かれたとされています。この安宅氏ですが、三好氏の水軍として活躍した氏族になります。発祥は熊野水軍の一員とされ、紀伊国安宅荘が発祥とされ、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町日置川地区にあたるようです。安宅氏は阿波小笠原氏の流れの家系で阿波小笠原氏の小笠原頼春が阿波国から紀伊安宅荘に移り住んだことで […]

龍野城(兵庫県)

龍野城の感想 龍野城は1499年に赤松村秀(あかまつむらひで)が鶏籠山(けいろうざん)の山頂に築城して始まります(こちらは龍野古城とも言われています。)が、1577年に赤松氏が羽柴(豊臣)秀吉にお城を明け渡します。ただ、秀吉は姫路城に入ったので、蜂須賀正勝が龍野城に入りました。1658年に龍野城に入っていた京極氏が丸亀城へ移封となり一旦龍野城は廃城となります。今回はその後、第2期目として1677年 […]

姫路城(兵庫県)

姫路城の感想 ある意味有名すぎているかもでは避け続けてきたお城なのですが、ついに姫路城へ行ってきました。厳密にはいるかも始める前には行ってますが。。姫路城といえば、国宝であり、世界遺産でもあり、現存天守を持つお城、現存12天守のうちの一つでもあります。世界的にみても日本で一番有名なお城と言っても過言ではないお城なのでこのサイトで取り扱わなくても調べればいくらでも情報が出てくるので取り扱ってきません […]

刈谷城(愛知県)

刈谷城の感想 三河と知多半島のちょうど中間にある刈谷城です。『刈谷』は『刈屋』と呼ばれており、またの名を『亀城』と呼ばれていたようですね。刈谷城は衣ヶ浦(ころもがうら)の北端東岸に面して築かれ、西側から東側にかけて順に、本丸→帯曲輪→内堀→二ノ丸→三ノ丸→大手門→城下町となっており、刈谷城が西側(織田氏)に備えた東側(今川氏)の城を意識して築かれたように感じます。1533年に築城したのは水野忠政と […]

加古川城(兵庫県)

加古川城の感想 加古川城は羽柴秀吉(織田軍)が毛利氏討伐について話し合い(加古川評定)を行ったお城になります。この加古川評定に三木城の城主だった別所長治は参加せず、別所氏はその後、織田氏から離反していき三木合戦へと繋がっていきます。この加古川城の城主は粕屋武則という武将で、豊臣秀吉の賤ヶ岳の七本槍として活躍した武将の一人です。糟屋氏は源頼朝から平氏討伐の褒美として糟屋有季(かすやありより)がこの加 […]

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