江戸時代

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増田城/土肥城/土肥館(秋田県)

増田城/土肥城/土肥館の感想 増田城は小笠原義冬が1362年~1367年頃に築城したと云われており、その際に愛娘を生贄(たぶん人柱)したと云う悲話が残されている城です。1458年に小笠原氏は小野寺氏との戦いに負け仙北郡の楢岡城に逃げ去ったため、増田城は小野寺氏の家臣だった土肥氏(土肥頼景)が川連大館の亀岡城より移り入城したため、増田城は土肥城とか土肥館(どいだて)とかと呼ばれるようになった様ですね […]

本堂城(秋田県)

本堂城の感想 本堂城は本堂氏が築いた平城で、『戸沢三十五城』の1城と云われています。城跡の北西側を矢島川が南西方向に流れており、東西182m・南北273mの矩形をなして幅は約10mで東西南北にめぐらされ内堀が築かれていた様です。本堂城の周囲には内堀に接して高さ4mの土塁が築かれていた様で、今ではよくわかりませんが西門の付近に少し土塁の形跡が確認できます!本堂氏は清和源氏の流れを組む一族で鎌倉時代に […]

角館城/小松山城/古城山城(秋田県)

角館城/小松山城/古城山城の感想 1424年頃、門屋城の戸沢氏は南に約9km先の角館城に移動し居城としたらしいのですがそれもいろいろったらしく、角館城の前身の小松山城を築城したと云われる戸沢家重臣の菅能登守利邦(若しくは、角館能登守)が上浦郡の小野寺氏と通じて戸沢氏に対し謀叛を起こしたため、主君の戸沢飛騨守家盛は謀反がわかると小松山城(角館城)に攻め込み菅能登守利邦(角館能登守?)を討伐し小松山城 […]

五城目城/砂沢城(秋田県)

五城目城/砂沢城の感想 五城目城/砂沢城は1590年頃に築城されたと伝えられていて、五城目/砂沢城の城主は藤原李盛(藤原内記?)だった様です。1588年頃に安東氏の内紛が勃発(湊騒動)後に、五城目/五十目地域を支配した藤原氏は後に五十目氏を名乗る様になります。城主は藤原四郎右衛門秀盛(秀兼)であり、856石の知行を持って檜山安東氏に属したようですね。。。五城目城/砂沢城に移った後に五十目内記秀盛と […]

脇本城(秋田県)

脇本城の感想 脇本城は知る人ぞ知る!男鹿半島から日本海を臨む東日本屈指の規模を誇る山城で、その広さは150haに及ぶ想像もつかないぐらいの大規模な山城で、標高約100mの丘陵を活かし整備した土づくりの城で石垣は存在していません。私が脇本城を知ったのは安東愛季(あんどうちかすえ)の存在で、この脇本城を居城にしようと改築を行っていたみたいです。 安東氏は元々安部氏といい、その昔、平安時代の頃は陸奥国( […]

大聖寺城 / 錦城(石川県)

大聖寺城 / 錦城の感想 大聖寺(だいしょうじ)城は標高約67mの錦城山(古城山)に築かれた城で、築城の時期ははっきりしていませんが鎌倉時代に狩野氏によって築かれたと云われています。昔からあった城なのでモロモロ歴史はあった、例えば1335年に名越(なごえ)時兼(北条時兼)が南下し攻め込んできた時には狩野一族が大聖寺城に籠りこれを撃退したとの記録が残っていたり、1337年には新田義貞に加担した敷地伊 […]

小松城 / 芦城 / 小松の浮城(石川県)

小松城 / 芦城 / 小松の浮城の感想 小松城は先にレポート(城攻めを断念しましたが( ノД`)シクシク…)した、舟岡城の城主若林長門守が築いたと云われています。加賀国一向一揆衆と共に1576年に築かれた城です! 1580年に柴田勝家攻め込んだ際に落城させ、その後、佐久間政盛が1582年に加賀国に侵攻し平定しました。1583年に柴田勝家と羽柴秀吉が激突!!!!(# ゚Д゚)!!!賤ヶ岳の戦い(しず […]

小丸山城(石川県)

小丸山城の感想 小丸山城は能登国の付け根(一番南側?)七尾城の北方面(七尾城が山奥の要害の地にあるので北の海側)に、七尾湾を活かし御祓川(みそぎがわ)沿いに小丸山城はあります。織田信長の命により越前国の府中城で10万石を有してた前田利家が能登国一国を与えられ、越前国から能登国に移り七尾城を本拠地としていた様ですが、山深く要害の地だった七尾城では防御上は利点があったが港から離れていて治世・経済上の利 […]

荻野山中藩陣屋跡(神奈川県)

荻野山中藩陣屋跡の感想 荻野山中藩陣屋もしくは荻野山中陣屋と言われている場所になります。住宅に挟まれた場所にポツンとある史跡ですが、遺構はほぼ何もなく、山中稲荷に標柱が山中陣屋跡史跡公園に案内板などがあります。訪問時はあまり詳しく調べてなく、たまたま近くに行った際に寄っただけなので、山中陣屋跡史跡公園があることに気づかずに山中稲荷のところだけ訪問して帰ってしまいました。。次回近くに行った際には公園 […]

鶴舞城 / 鶴舞城本丸之跡 / 鶴舞藩庁跡(千葉県)

鶴舞城 / 鶴舞城本丸之跡 / 鶴舞藩庁跡の感想 大多喜街道(国道号線)から少し外れた鶴舞看護専門学校への道を進むと舞鶴城/舞鶴藩庁跡があります。舞鶴城/舞鶴藩庁跡は意外と築城?は浅く明治元年に入ってからで、浜松城6万石の城主だった井上正直公が、 1868年(明治元年) に徳川家移封に伴い鶴舞へ転封となり築城したと云われています。舞鶴城/舞鶴藩庁跡は養老川の支流である平蔵川の 右岸の台地上に位置し […]

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